tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

興福寺中金堂建設地に足場

2010年02月09日 | 奈良にこだわる
立春の2/4(木)、興福寺を通りかかると、中金堂(ちゅうこんどう)の建設(再建)地に、いつのまにか写真のような鉄パイプの足場(新築足場)が組まれていた。象のオリならぬ巨大な虫カゴのような格好で、あの世の藤原不比等が目にしたら、びっくり仰天することだろう。

中金堂といえば昨年11/7、この場所に鎮壇具が埋納されたばかりだ。産経新聞(09.11.8付)によると《中金堂再建へ法要 興福寺、七宝鎮壇具を埋納》《興福寺(奈良市)が奈良時代の姿への復興を進めている中金堂の地鎮・鎮壇法要が7日、同寺で営まれた。江戸時代に焼けたままの中金堂は平城宮大極殿に匹敵する巨大建築。中金堂の安泰を願い、金銀など七宝の鎮壇具が出土品から再現され、復元基壇に埋納された》。
http://www.sankei-kansai.com/2009/11/08/20091108-016778.php


奥に見えるのは仮金堂

《再建される中金堂は幅約37メートル、奥行き約23メートル、高さ約20メートル。来年10月に立柱式を行い、平成30年の落慶を目指す。基壇前に多川俊映貫首ら興福寺僧侶らが出仕。春日大社(奈良市)が神事を行い、岡本彰夫権宮司が祝詞(のりと)を奏上した》。


向かって右奥は県庁建物

《この後、再現された金銀の板など七宝の鎮壇具が佐波理(合金)の大盤に盛られ、基壇中央に埋納。高田良信・法隆寺長老が声明(しょうみょう)を唱え、興福寺僧侶が法要を営んだ》。

同寺の多川俊映貫首は、読売新聞(夕刊 1/21付)で、こんなことをおっしゃっていた。タイトルは「奈良・興福寺300年ぶり中金堂再建 現代人に真・善・美伝える」だ。


奥の建物は南円堂(藤原冬嗣が、父内麻呂の冥福を祈って建てた八角円堂)

《1717年に焼失後、仮堂のままだった中金堂の復興は、そうした迷える人々に、「仏教の教えを広く発信する拠点にしたい」という思いが込められている。中金堂は過去7回焼けたが、そのたびに創建時の基壇、礎石上に再建された。今回も、基壇などは新しく整備したが場所は同じで、「原点回帰」を貫く。「興福寺の心と形が整えられたのは天平時代。形の中に、阿修羅像に代表されるような天平の心、仏教の真善美が含まれている」からだ》。


左が仮金堂、右は東金堂

《かつて中金堂の周辺は、桜や松に覆われていた。寺が奈良公園内に位置することもあいまって、「信仰の動線が欠ける」との厳しい声もあった。それだけに復興への思いは強い。「現状はあまりに公園的だが、中心が定まれば、参拝者にも寺をより感じてもらえる。天平時代の雰囲気の中で、『一個の人間』として自分と向きあう場所にしていきたい」。完成は2017年の予定だ》。

これから私たちは、不比等が創建した中金堂の平成復興の過程をリアルタイムで見られるわけである。興福寺の「心と形」が、「原点」上にどのように再構築されていくのか、しっかりと見守っていきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする