かぎろひ歴史探訪ウォークは、「奈良大和路を一歩深く紹介して散策にいざなう情報誌」である『かぎろひの大和路』からスピンアウトした歴史ウォークで、同誌編集者の豊永かずみさんが幹事をお務めになる。「事前申し込みなしの当日自由参加」で参加費は@1,500円・弁当持参。
※トップ写真は畝傍山、まさに「山笑う」の風情だ(写真はすべて2020.5.14撮影)
写真は岡寺駅近くの牟佐坐(むさにいます)神社。《高取川左岸の低い丘上に鎮座。
「延喜式」神名帳高市郡の「牟佐坐神社大、月次新嘗」とされる。祭神は高皇産霊神・
孝元天皇。旧村社》(『日本歴史地名大系』)。
5月14(木)には「謎の大石造物と新沢千塚古墳群」コースに参加した。旅程は、
[集 合] 5月14日(木)午前10時 近鉄吉野線岡寺駅
[コース]近鉄岡寺駅⇒牟佐坐神社⇒益田岩船⇒小谷古墳⇒益田池堤跡⇒
新沢千塚古墳群⇒近鉄橿原神宮駅
豊永さんのブログ「かぎろひNOW」には、このように紹介されている。
見瀬城の建物跡(石垣の上)には屋根の下にベンチがあり、休憩スポットになっている
5月14日、「かぎろひ歴史探訪」第14期⑥も参加者を得て決行、無事終了しました。今回は7人の参加がありました。こんな時期に来てくれはったメンバーを、まず紹介したいと思います。以前からおなじみの、S井さん、H田さん、N井さん。第2回から皆勤のTetsudaさん、第3回から皆勤のS田さん、第4回から皆勤のFさん、そして、初参加のT田さん。たまたま岡寺駅に降りられた人だと思っていたら「かぎろひさん」と言われてビックリ。
見瀬城跡の石垣
沼山古墳
実は、この2月に香久山公民館でお話しさせていただく機会があったのですが、なんとその時に聞いてくださっていたのだとか^^; は、はずかしー。ちゃっかり「かぎろひ歴史探訪」の紹介もし、チラシも配布してはいたのですが。最後に、山歩きが好きなことも話して、大和三山ビューポイントの紹介をしたり。そんなところからか、歩きながら山の話になったりしましたよ。T田さんは、本格的な冬登山もされているようでした。また、ご参加いただけるかな。お酒も飲まれるようなので、反省会の話もしておきました(笑)。
石室内部がきれいに撮れた!
益田岩船。登り道がきれいに整備され、竹も伐ってくれていた!
岩船をこんなふうに上のほうから見ることができたとは!アクセス路も整備されていて感動しましたが、岩船の周りも見学しやすくしてくれていたのですね。そうそう、益田岩船までの登山道の整備は数年前に、地元自治会と市役所関係課の有志の皆さんによってなされたそうです。荒れていた道に丸太の階段を付けたり、竹の伐採など。今でも年2回ほど作業してくださっているとか。歴史探訪日曜日コースによく参加してくださる橿原市のSさんに教えていただきました。ほんとうにありがとうございます。
小谷古墳遠望
小谷古墳に近づくとこんな感じ
小谷古墳は橿原市のHPによると《【県指定史跡】県の史跡に指定されている小谷古墳は、貝吹山から北東に延びる丘陵の先端に築かれています。墳丘の流出が激しいため墳形は不明ですが、方墳、あるいは円墳であったと考えられます。墳丘の規模は30m前後、高さは約8mで、墳丘の大きさに比して背の高い腰高の古墳と言えます》。
桝山古墳(崇神天皇皇子「倭彦命墓」)
青葉若葉が目にしみる!
シラン(紫蘭)もきれいに咲いていた
いよいよ最終目的地「新沢千塚古墳群公園」にとうちゃこ!「かぎろひNOW」には、
新沢千塚古墳群
5月14日「かぎろひ歴史探訪」の最終ポイントは新沢千塚古墳群でした。久しぶりに訪ねてビックリしたのは、南側の古墳群が公園として整備されていたこと。以前、かぎろひ歴史探訪で行ったときには(6年前)、南側は荒れ果てていて(草ぼうぼう)、入ることなどできなかったのです。今回は、益田池堤跡から宣化天皇陵⇒倭彦命墓(桝山古墳)を経て、南側から新沢千塚古墳群へと歩きました。
桝山古墳から南西へ、緩やかな坂道を上り、北への道をとると、自然に新沢千塚古墳群公園へと導かれます。坂道を上りつめたところで振り返ると桝山古墳が。正面北に畝傍山。見えている道は歩かなかったのですが、菖蒲園? があるようでした。まず、この風景を目にしたとき、ちょっときれいに整備されすぎかと、いささか不安になったのですが、地形や古墳をそのまま生かして自然な感じになっていてホッ。
ここでS田さん、S井さんと私は離団して、直売所で新鮮野菜や十返舎の浅漬などを買い込みました。近鉄橿原神宮前駅までは、ここから2kmほど。とてもよく晴れて、気持ち良い汗をかきました。
講師役の田中龍夫さん(『かぎろひの大和路』主宰)、豊永かずみさん、ありがとうございました。明日(5/28)も、よろしくお願いいたします!
※トップ写真は畝傍山、まさに「山笑う」の風情だ(写真はすべて2020.5.14撮影)
写真は岡寺駅近くの牟佐坐(むさにいます)神社。《高取川左岸の低い丘上に鎮座。
「延喜式」神名帳高市郡の「牟佐坐神社大、月次新嘗」とされる。祭神は高皇産霊神・
孝元天皇。旧村社》(『日本歴史地名大系』)。
5月14(木)には「謎の大石造物と新沢千塚古墳群」コースに参加した。旅程は、
[集 合] 5月14日(木)午前10時 近鉄吉野線岡寺駅
[コース]近鉄岡寺駅⇒牟佐坐神社⇒益田岩船⇒小谷古墳⇒益田池堤跡⇒
新沢千塚古墳群⇒近鉄橿原神宮駅
豊永さんのブログ「かぎろひNOW」には、このように紹介されている。
見瀬城の建物跡(石垣の上)には屋根の下にベンチがあり、休憩スポットになっている
5月14日、「かぎろひ歴史探訪」第14期⑥も参加者を得て決行、無事終了しました。今回は7人の参加がありました。こんな時期に来てくれはったメンバーを、まず紹介したいと思います。以前からおなじみの、S井さん、H田さん、N井さん。第2回から皆勤のTetsudaさん、第3回から皆勤のS田さん、第4回から皆勤のFさん、そして、初参加のT田さん。たまたま岡寺駅に降りられた人だと思っていたら「かぎろひさん」と言われてビックリ。
見瀬城跡の石垣
沼山古墳
実は、この2月に香久山公民館でお話しさせていただく機会があったのですが、なんとその時に聞いてくださっていたのだとか^^; は、はずかしー。ちゃっかり「かぎろひ歴史探訪」の紹介もし、チラシも配布してはいたのですが。最後に、山歩きが好きなことも話して、大和三山ビューポイントの紹介をしたり。そんなところからか、歩きながら山の話になったりしましたよ。T田さんは、本格的な冬登山もされているようでした。また、ご参加いただけるかな。お酒も飲まれるようなので、反省会の話もしておきました(笑)。
石室内部がきれいに撮れた!
益田岩船。登り道がきれいに整備され、竹も伐ってくれていた!
岩船をこんなふうに上のほうから見ることができたとは!アクセス路も整備されていて感動しましたが、岩船の周りも見学しやすくしてくれていたのですね。そうそう、益田岩船までの登山道の整備は数年前に、地元自治会と市役所関係課の有志の皆さんによってなされたそうです。荒れていた道に丸太の階段を付けたり、竹の伐採など。今でも年2回ほど作業してくださっているとか。歴史探訪日曜日コースによく参加してくださる橿原市のSさんに教えていただきました。ほんとうにありがとうございます。
小谷古墳遠望
小谷古墳に近づくとこんな感じ
小谷古墳は橿原市のHPによると《【県指定史跡】県の史跡に指定されている小谷古墳は、貝吹山から北東に延びる丘陵の先端に築かれています。墳丘の流出が激しいため墳形は不明ですが、方墳、あるいは円墳であったと考えられます。墳丘の規模は30m前後、高さは約8mで、墳丘の大きさに比して背の高い腰高の古墳と言えます》。
桝山古墳(崇神天皇皇子「倭彦命墓」)
青葉若葉が目にしみる!
シラン(紫蘭)もきれいに咲いていた
いよいよ最終目的地「新沢千塚古墳群公園」にとうちゃこ!「かぎろひNOW」には、
新沢千塚古墳群
5月14日「かぎろひ歴史探訪」の最終ポイントは新沢千塚古墳群でした。久しぶりに訪ねてビックリしたのは、南側の古墳群が公園として整備されていたこと。以前、かぎろひ歴史探訪で行ったときには(6年前)、南側は荒れ果てていて(草ぼうぼう)、入ることなどできなかったのです。今回は、益田池堤跡から宣化天皇陵⇒倭彦命墓(桝山古墳)を経て、南側から新沢千塚古墳群へと歩きました。
桝山古墳から南西へ、緩やかな坂道を上り、北への道をとると、自然に新沢千塚古墳群公園へと導かれます。坂道を上りつめたところで振り返ると桝山古墳が。正面北に畝傍山。見えている道は歩かなかったのですが、菖蒲園? があるようでした。まず、この風景を目にしたとき、ちょっときれいに整備されすぎかと、いささか不安になったのですが、地形や古墳をそのまま生かして自然な感じになっていてホッ。
ここでS田さん、S井さんと私は離団して、直売所で新鮮野菜や十返舎の浅漬などを買い込みました。近鉄橿原神宮前駅までは、ここから2kmほど。とてもよく晴れて、気持ち良い汗をかきました。
講師役の田中龍夫さん(『かぎろひの大和路』主宰)、豊永かずみさん、ありがとうございました。明日(5/28)も、よろしくお願いいたします!