tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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薬師寺で、梅が咲き始めました!(2022 Topic)

2022年01月29日 | お知らせ
「梅が香にのっと日の出る山路かな」(松尾芭蕉)。薬師寺(奈良市西ノ京町457)の梅はいつも早く咲く。一昨年は1月23日に結構咲いていたのを思い出し、木曜日(2022.1.27)に訪ねてみた。梅があるのは白鳳伽藍ではなく、お写経道場に向かう道の両脇である。なお薬師寺とは、『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)によると、


今冬の寒さが厳しいからだろうか、例年ほどには咲いていなかった

薬師寺(奈良市西ノ京町) 
天武天皇9年(680)に天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って薬師如来を祀る寺を藤原京の地に建て始めたが、完成を見ることなく朱鳥元年(686)に崩御したため、代わって持統天皇が寺院の造営を継続した。持統天皇11年(697)に本尊が開眼し、文武天皇2年(698)になって伽藍が整った。これが薬師寺の前身である。






平城京遷都後の養老2年(718)に薬師寺は平城京右京六条二坊の現在地へ移されたが、藤原京の旧寺も平安後期まで法灯を保ち、本薬師寺と呼ばれた。平城京の薬師寺は東西の双塔を含む七堂伽藍を誇り、南都七大寺のひとつに数えられる大寺となったが、天延元年(973)の火災で金堂と東西両塔を除く堂宇が焼失。





その後も数度の災害に遭い、享禄元年(1528)に起こった大和の地侍らの兵乱によって東塔を除くすべての堂宇が焼失した。昭和43年(1968)以来、般若心経百万巻の写経勧進によって寺勢が回復し、創建当初の様式をもって金堂・西塔・中門・回廊(一部)・大講堂が再建された。



天平2年(730)造立の東塔(国宝)は各階に裳階が巡り、六層にも見える三重塔であり、日本の古代建築を代表する遺構であるとともに、最も美しい木塔であると称される。笛吹童子や飛天の透かしをもつ相輪の水煙も芸術的価値が高い。長屋王の妻である吉備内親王が元明天皇のために建てたという東院堂は鎌倉時代後期の再建ながらも国宝に指定されている。





講堂内に祀られた仏足石(国宝)は黄文連本実が長安普光寺の仏足石を写した図をもとに天平勝宝5年(753)に文室真人智努が亡き夫人のために刻んだものであるといわれている。同じく講堂に安置された天平時代の仏足跡歌碑(国宝)は仏足礼賛などを含む二十一首の歌を万葉仮名で刻んだもの。



寺宝の絵画には、宝亀3年(772)の制作とされ、光明皇后の画像とも伝えられる吉祥天画像や玄奘の弟子で法相宗の開祖とされる慈恩大師の肖像があり、いずれも国宝。西国薬師第一番札所である。

そういえば、3月13日(日)に実施される奈良検定、1級の特集問題(10問が出題される)のテーマは「薬師寺」だ。勉強と観梅を兼ねて、薬師寺にお参りするのは、いかがだろう。
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