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一子相伝だった高山茶筌づくり/奈良新聞「新大和の食模様」(128)

2022年01月21日 | 奈良にこだわる
水曜日(2022.1.19)の奈良新聞「新大和の食模様」では、木村隆志さんが高山の茶筌(ちゃせん)を取り上げていた。若林梅香(稔)さんはよく、「茶道に関わるすべてのものが県内で調達できるのは、奈良県だけ」とおっしゃる。確かに、抹茶はもとより、茶釜も茶筌も県内で調達できるというのは、すごいことだ。茶筌(茶筅)について『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』の「茶筅」には、
※トップ画像は北和園 久保為業(くぼためなり)の茶筌、楽天市場から拝借した

富雄川の上流にある生駒市高山町は、茶筅の里として知られる。茶筅は、茶を点てる竹製の点前道具の一つ。高山では、竹のすべての特質を活かして作るという意味から、「筌」の字をあてる。

茶筅も流派によって異なり、竈や囲炉裏の煙で燻されて茶褐色になった煤竹はおもに表千家で、武者小路千家では紫竹(黒竹・胡麻竹)を、白竹は裏千家と遠州流のほか、他の流派でも使われる。初釜用の茶筅には、緑色のままの真竹(青竹)でつくる。薄茶用の茶筅の穂数は多く細いが、濃茶用では腰を強くするために穂数は少ない。

多くの流派で使う白竹(淡竹)の茶筅作りでは良質の三年生の竹を秋から冬にかけて伐り取り、熱湯で油を抜き、これを約一ヶ月間寒風にさらして乾燥させ、さらに三年ほど寝かせる。大割り・小割り・味削り・面取り・下編み・上編みなどの工程を経て完成するが、子割り穂の内側を小刀で削る味削りの技法だけは、「一子相伝」の秘伝とされる。


「新大和の食模様」によると、この「一子相伝」は今はなくなり、技術は一般公開されているそうだが、これがいかにすさまじいものだったか、久保建史(くぼ・たてふみ)さんの話が紹介されている。

私が幼い頃、父(先代の伝統工芸士・久保一郎氏)の茶筌づくりは、日が暮れてから仕事を始め、夜が明けたら寝ると言う、世間とは真逆な逆転の生活でした。一子相伝を守るため、誰かに見られないように、誰かに真似されないように、茶筌づくりは、昔から夜中に作業し、明るいうちは誰にも仕事場を見せなかった。

それほどに秘伝を貫いてきた。ですから、朝から晩ではなく、晩から朝まで竹を加工する音がしてました。「カシャン」「カシャン」これは竹を割る音。「コトン」「コトン」これは味削りの音。音で茶筌作りの記憶が鮮明に残っている。


記事全文は、ぜひ以下の画像をお読みいただきたい。木村さん、良いレポートをありがとうございました!

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