NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。先週(2022.1.27)掲載されたのは〈「神武さん」と親しまれ/橿原神宮(橿原市)〉、執筆されたのは吉野町のご出身で橿原市在住の亀田幸英さんだった(同会元理事)。地元愛にあふれた記事を、以下に紹介する。
〈初代神武天皇祀る橿原神宮〉
『日本書紀』によると、神武天皇は九州の日向国(ひゅうがのくに)高千穂から大和を目指して出発され、6年をかけて東征し、大和三山の一つ、畝傍山の東南麓の橿原の地で初代天皇として即位されました。皇后は事代主(ことしろぬし)の御娘の媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)。お二人を祭神としてお祀(まつ)りしているのが橿原神宮です。
東南麓の橿原の宮跡は畑地でしたが、明治になると、民間から建立の請願が相次ぎ、1890(明治23)年4月2日、官幣大社として創建されました。明治天皇から京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿(しんかでん)を下賜(かし)され、移築して本殿(重文)、神楽殿(かぐらでん)として受け継がれています。
境内は約53万平方㍍と非常に広く、甲子園球場の約13個分の大きさです。神武天皇即位から2600年とされる1940(昭和15)年には国を挙げて奉祝記念事業が実施されました。その一環で宮域の拡張整備が行われ、全国から集まった延べ約120万人の奉仕員の人々が建設に参加しました。その際、約7万6000本の樹木が植栽され、現在の緑豊かな神宮の森になっています。
2月11日の「建国記念の日」に同神宮で最も重要な祭典(例祭)である「紀元祭」が勅使参向(さんこう)の下、厳粛に行われます。神武天皇が崩御したとされる4月3日には神武天皇祭(春季大祭)が執り行われます。地元や近郊の人々から「神武さん」と親しみを込めて呼ばれ、各種の行事で終日、にぎわいます。橿原神宮を参拝後は、北へ徒歩約15分で、畝傍山の東北にある神武天皇陵を参拝されては、いかがでしょうか。(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)
【橿原神宮】
(住 所)橿原市久米町934
(交 通)近鉄橿原神宮前駅から徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(宝物館)土・日曜、祝日のみ開館(平日は要予約)。入館料は大人300円
(駐車場)普通車500円
(電 話)0744・22・3271
〈初代神武天皇祀る橿原神宮〉
『日本書紀』によると、神武天皇は九州の日向国(ひゅうがのくに)高千穂から大和を目指して出発され、6年をかけて東征し、大和三山の一つ、畝傍山の東南麓の橿原の地で初代天皇として即位されました。皇后は事代主(ことしろぬし)の御娘の媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)。お二人を祭神としてお祀(まつ)りしているのが橿原神宮です。
東南麓の橿原の宮跡は畑地でしたが、明治になると、民間から建立の請願が相次ぎ、1890(明治23)年4月2日、官幣大社として創建されました。明治天皇から京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿(しんかでん)を下賜(かし)され、移築して本殿(重文)、神楽殿(かぐらでん)として受け継がれています。
境内は約53万平方㍍と非常に広く、甲子園球場の約13個分の大きさです。神武天皇即位から2600年とされる1940(昭和15)年には国を挙げて奉祝記念事業が実施されました。その一環で宮域の拡張整備が行われ、全国から集まった延べ約120万人の奉仕員の人々が建設に参加しました。その際、約7万6000本の樹木が植栽され、現在の緑豊かな神宮の森になっています。
2月11日の「建国記念の日」に同神宮で最も重要な祭典(例祭)である「紀元祭」が勅使参向(さんこう)の下、厳粛に行われます。神武天皇が崩御したとされる4月3日には神武天皇祭(春季大祭)が執り行われます。地元や近郊の人々から「神武さん」と親しみを込めて呼ばれ、各種の行事で終日、にぎわいます。橿原神宮を参拝後は、北へ徒歩約15分で、畝傍山の東北にある神武天皇陵を参拝されては、いかがでしょうか。(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)
【橿原神宮】
(住 所)橿原市久米町934
(交 通)近鉄橿原神宮前駅から徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(宝物館)土・日曜、祝日のみ開館(平日は要予約)。入館料は大人300円
(駐車場)普通車500円
(電 話)0744・22・3271