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追悼!ひろさちやさん(宗教評論家)の「葬式仏教を考える」

2022年05月12日 | 日々是雑感
先月(2022.4.7)ひろさちやさんがお亡くなりになった。85歳だった。毎日新聞(4/13付)に掲載された〈宗教評論家ひろさちやさん死去 85歳 仏教の教え分かりやすく説く〉によると、
※トップ写真は延暦寺根本中堂内陣レプリカ。京博「最澄と天台宗のすべて」展で撮影(5/4)

仏教の教えを分かりやすく説いた著作で知られる宗教評論家ひろさちや(本名増原良彦=ますはら・よしひこ)さんが7日、肝臓がんのため東京都の自宅で死去した。85歳。大阪市出身。葬儀は故人の遺志で行わない。東京大大学院でインド哲学を学んだ。

仏教思想に軸足を置きながら、人生をより楽に生きるこつを読者に説いた「『狂い』のすすめ」がベストセラーとなった。「仏教に学ぶ老い方・死に方」「捨てちゃえ、捨てちゃえ」「釈迦物語」など多くの著作で仏教を易しい言葉で伝えた。気象大学校教授、宗教文化研究所の所長を務め、幅広く講演活動も行った。(共同)


ひろさちやさんの著作は、たくさん読ませていただいた。難解な仏教の教えを分かりやすく説かれていた。なかでも印象に残っているのは、「葬式仏教を考える」の一文である。全日本仏教青年会編『葬式仏教は死なない~青年僧が描くニュー・ブッディズム~』(白馬社)に掲載されている。

この本は〈2003年2月、京都で開かれた、仏教思想家のひろさちや氏らと青年僧によるコラボレーション「“葬式仏教”を考える~日本仏教活性化への道~」。このシンポジウムで展開された「トーク・バトル」を再現し、仏教の底力を感じさせる青年僧の活動を伝える。新たな仏教時代到来を予感させる一冊〉というもの。

ひろさんの「葬式仏教を考える」は、シンポジウムの基調講演だった。なおシンポジウムのコーディネーターは、若き日の田中利典師(全日本仏教青年会副理事長=当時)だった。以下、ひろさんの基調講演の要旨を紹介する。



〈日本の仏教が、ある意味で葬式仏教であることは紛れもない事実〉。しかし〈お釈迦さまは、「葬式というものは在家の仕事なのだ。あなた方出家者は葬式なんてことを考えずに修行に励みなさい」と指示しておられる〉。もともと葬式は家長が主宰していた。葬式をお坊さんがやるようになったのは江戸時代からで、キリスト教徒ではないことを証明させるため、寺に「宗門人別帳」を作らせたから。そこから檀家制度ができ、月参りの制度ができた。

湿度の高い日本では、死体は腐る、そこから「死者は穢れである」という発想が生まれた。また「死者は祟る」と考えた。〈死者を成仏させる間、面倒を見ておかないと祟るのではないか。この祟りを鎮めるということをお坊さんがやっている形跡がある〉〈基本的にまず死んだ人間は全部ホトケになると考えてください〉〈ことに荒々しい霊魂の段階を精霊とも呼びます。精霊と呼ばれる期間は四十九日、あるいは百か日、せいぜい一周忌まで。そしてその精霊の段階を含めて全部死者がホトケなのです〉。

〈私は、「あなたは、墓の下にいるのですか?墓にはいなくて、お浄土に行くのですよ。お浄土に行くのにあんな墓なんてなくたっていいのだよ」、そういうふうに説くわけです〉〈そのことを私たちが真剣に説けば、庶民がみんな助かって、お墓に費やしているお金の何%かがお寺に返ってくると思いますし、仏教がもっと元気になるのではないかという気がするわけです〉。

〈ですから葬式の考え方としては、まずキリシタン弾圧、そして邪霊という霊魂の問題からきている葬式仏教、この二点を押さえておく必要があります。そのあとで、では私たちはどうすればいいのかという問題を考えていくべきだろうと思います〉。



〈一般の人は葬式と告別式を混同している。そして葬式に金がかかると言っていますが、本当ですか。葬式というものは親族がやるものです〉〈葬式になると、やらないわけにはいきませんから、いきなり全部廃止しようというわけにはいきません。だからお坊さんが指導して、葬式と告別式はちがうもので、他人を呼ばず身内だけでしんみり別れればいいのだということを説いてあげる。庶民が葬式産業に払わされる代金が、お坊さんに対する怨嗟の的になって、転嫁されている嫌いがあります〉。

〈仏教の基本的な考え方は、死者について忘れなさいというものですから、私たちが死者を忘れることによって死者は浮かばれるのだと思います〉。

〈死んだ人を忘れてあげなさい。死んだ人をしっかり忘れることが一番の供養ですよというのが仏教の原理です。それをお坊さんが説かないといけない。いつまでも覚えていて、あの子はなんで死んだんだ。あの年でとか、もう少しこうしてあげたかったとか、そういうふうに考えると死者は浮かばれないのです。そこのところをしっかり説けば、インチキ宗教も何もなくなっていくということで、私たちはそういう面を忘れてほしくないわけです〉。

〈仏教者としては仏教の原理を説けば、きっとこの世の中、日本の仏教は活性化できるのではないかと私は信じているわけです〉。


奇しくも今は「家族葬」として、親族だけでしんみりと葬儀を行い、他人を呼ばない形式が一般的になってきた。僧侶の存在感も、相対的に高まっている。僧侶たちには「仏教の原理」を説き、日本の仏教を「活性化」する好機到来ではないのだろうか。
コメント (4)
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