知人を介し、宮川美枝子さんのご著書『惜春の大地』出版のお手伝いをさせていただいた(2022年5月3日発行)。本書は俳人・岩田まさこさんの評伝である。しかもそのご縁で、私は帯に短い書評も書かせていただいた。〈吉野に生まれ、吉野を詠みつづけた俳人、岩田まさこ。この評伝は、その魅力にほれこんだ筆者が愛情こめて書きあげた労作です〉。
※表紙の絵は、まさこさんの娘さんの岩田洋子さんの作品
本書の評判は上々で、下市町と大淀町の図書館が置いてくれるほか、吉野町も支援してくれるそうだ。「俳句関係の本は売れない」といわれるが、吉野の風土を読み込んだ句は、地元民の心を打つ。私が紹介した句のほか、「蔵王堂よぎりて羽根の舞ひ上がり」「下千本中千本の残花かな」「みよしのの流れに研(みが)く猫柳」など、吉野の地名などを織り込んだ句がたくさん載っている。この本のことは奈良新聞「明風清音」(2022.5.19)で紹介したので、以下、記事全文を貼っておく。
今月刊行された宮川美枝子著『惜春の大地~中村汀女(ていじょ)を師と仰いだ吉野人の軌跡~』(京阪奈情報教育出版刊)税別900円を読んだ。吉野町橋屋に生まれ育ち、吉野を愛し吉野を詠み続けた俳人・岩田まさこ(大正12―令和元年)の評伝である。筆者の宮川美枝子さんは吉野町出身・在住で、ノンフィクション作品や詩集も出されている。生前のまさことは5年間の親交があった。
まさこは職業俳人ではない。四女の母であり、夫の会社(大阪)や自宅(実家)の商店を手伝う家庭婦人として、俳句を詠んだ。本格的に俳句に打ち込むのは46歳のとき「主婦の友通信教室」の俳句講座で、当時すでに著名な俳人だった中村汀女(明治33―昭和63年)の添削指導を受けるようになってからである。まさこは日常生活を題材とし女性の心情を詠嘆した汀女の強い影響を受ける。以下、まさこの俳句(太字)と宮川さんの解説(〈 〉書き)を句の詠まれた年代順に紹介する。
▼由緒ある檜(ひ)はだの屋根の苔の花
天理市への吟行(奈良探勝句会)で詠まれた句。〈梅雨の晴れ間に奈良盆地が見渡され、大和三山が島の如く浮かぶ展望を楽しんだ〉。
▼またしても己が値札倒す蟹
昭和56年4月の「第20回全国俳句大会」(俳人協会主催)で特選となった句。〈仕事帰りの夕刻、デパートの食品売り場で見た蟹は元気が良い。最後の抵抗であるかのように動いていた〉。
▼后陵(きさきりょう)拝む濠前(ほりまえ)夏あざみ
昭和56年『主婦の友』11月・12月号の優秀賞、選者は中村汀女だった。〈「陵と言い伝え守りあう土地の姿がすがすがしい。ここにふさわしい夏のあざみもまた朝露帯びた頃だろう」、と汀女の選評である〉。
▼なんとなく切なきときは草を刈る
〈良き妻、良き母の見本であるかのような彼女にもそんな時があった。彼女はそんな時、ひたすら草を刈ることにしていたのである。生命力の強い草は、刈っても刈っても直ぐに伸びてきた〉。
▼春寒の日の逃げやすき奥吉野
「主婦の友通信教室」俳句講座で詠まれた。〈「奥吉野がよく効いてひっそりとした雰囲気を出してゐます」と、汀女は褒めた。この言葉に、まさこは勇気を得たに違いない〉。
▼み吉野の川の豊かに初燕
昭和61年5月、日本経済新聞に掲載された句。〈「川もいつしか姿整えて『み吉野』との賛辞そのまま、燕も飛べばわが里に見ほるる作者もその一人」と汀女は言葉を添える〉。
▼ルルルルとフイフイフイと河鹿(かじか)鳴く
〈まさこはこの句が好きで、短冊にしてずっと自分の部屋に飾っていた。一雨ごとに若葉が成長し、木々がどんどん膨らんできた。歩数計をつけて散歩していてたまさこは新緑の下で一休みした〉。
▼山風に花の万朶(ばんだ)のもだえをり
「朶」は枝や花のこと。宮川さんはこの句をまさこの代表作とする。俳句結社「未央(びおう)」主宰者だった岩垣子鹿(いはがき・しろく)は「吉野山の花吹雪は、一山を揺るがし幾百の谷に舞い込む壮麗な舞である。その落下寸前の情景であろうか。万朶の花の枝が揺らぎ始めたのをもだえと感じとった感性は写生の真髄をつくしたものである」と絶賛する。
本書は書店の店頭には並ばないので、版元のサイトまたはアマゾンでお買い求めいただきたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
※表紙の絵は、まさこさんの娘さんの岩田洋子さんの作品
本書の評判は上々で、下市町と大淀町の図書館が置いてくれるほか、吉野町も支援してくれるそうだ。「俳句関係の本は売れない」といわれるが、吉野の風土を読み込んだ句は、地元民の心を打つ。私が紹介した句のほか、「蔵王堂よぎりて羽根の舞ひ上がり」「下千本中千本の残花かな」「みよしのの流れに研(みが)く猫柳」など、吉野の地名などを織り込んだ句がたくさん載っている。この本のことは奈良新聞「明風清音」(2022.5.19)で紹介したので、以下、記事全文を貼っておく。
今月刊行された宮川美枝子著『惜春の大地~中村汀女(ていじょ)を師と仰いだ吉野人の軌跡~』(京阪奈情報教育出版刊)税別900円を読んだ。吉野町橋屋に生まれ育ち、吉野を愛し吉野を詠み続けた俳人・岩田まさこ(大正12―令和元年)の評伝である。筆者の宮川美枝子さんは吉野町出身・在住で、ノンフィクション作品や詩集も出されている。生前のまさことは5年間の親交があった。
まさこは職業俳人ではない。四女の母であり、夫の会社(大阪)や自宅(実家)の商店を手伝う家庭婦人として、俳句を詠んだ。本格的に俳句に打ち込むのは46歳のとき「主婦の友通信教室」の俳句講座で、当時すでに著名な俳人だった中村汀女(明治33―昭和63年)の添削指導を受けるようになってからである。まさこは日常生活を題材とし女性の心情を詠嘆した汀女の強い影響を受ける。以下、まさこの俳句(太字)と宮川さんの解説(〈 〉書き)を句の詠まれた年代順に紹介する。
▼由緒ある檜(ひ)はだの屋根の苔の花
天理市への吟行(奈良探勝句会)で詠まれた句。〈梅雨の晴れ間に奈良盆地が見渡され、大和三山が島の如く浮かぶ展望を楽しんだ〉。
▼またしても己が値札倒す蟹
昭和56年4月の「第20回全国俳句大会」(俳人協会主催)で特選となった句。〈仕事帰りの夕刻、デパートの食品売り場で見た蟹は元気が良い。最後の抵抗であるかのように動いていた〉。
▼后陵(きさきりょう)拝む濠前(ほりまえ)夏あざみ
昭和56年『主婦の友』11月・12月号の優秀賞、選者は中村汀女だった。〈「陵と言い伝え守りあう土地の姿がすがすがしい。ここにふさわしい夏のあざみもまた朝露帯びた頃だろう」、と汀女の選評である〉。
▼なんとなく切なきときは草を刈る
〈良き妻、良き母の見本であるかのような彼女にもそんな時があった。彼女はそんな時、ひたすら草を刈ることにしていたのである。生命力の強い草は、刈っても刈っても直ぐに伸びてきた〉。
▼春寒の日の逃げやすき奥吉野
「主婦の友通信教室」俳句講座で詠まれた。〈「奥吉野がよく効いてひっそりとした雰囲気を出してゐます」と、汀女は褒めた。この言葉に、まさこは勇気を得たに違いない〉。
▼み吉野の川の豊かに初燕
昭和61年5月、日本経済新聞に掲載された句。〈「川もいつしか姿整えて『み吉野』との賛辞そのまま、燕も飛べばわが里に見ほるる作者もその一人」と汀女は言葉を添える〉。
▼ルルルルとフイフイフイと河鹿(かじか)鳴く
〈まさこはこの句が好きで、短冊にしてずっと自分の部屋に飾っていた。一雨ごとに若葉が成長し、木々がどんどん膨らんできた。歩数計をつけて散歩していてたまさこは新緑の下で一休みした〉。
▼山風に花の万朶(ばんだ)のもだえをり
「朶」は枝や花のこと。宮川さんはこの句をまさこの代表作とする。俳句結社「未央(びおう)」主宰者だった岩垣子鹿(いはがき・しろく)は「吉野山の花吹雪は、一山を揺るがし幾百の谷に舞い込む壮麗な舞である。その落下寸前の情景であろうか。万朶の花の枝が揺らぎ始めたのをもだえと感じとった感性は写生の真髄をつくしたものである」と絶賛する。
本書は書店の店頭には並ばないので、版元のサイトまたはアマゾンでお買い求めいただきたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
