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田中利典師の『修験道という生き方』新潮選書(9)/過去・現在・未来を救済する蔵王権現

2022年11月10日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、ご自身のFacebookに、新潮選書『修験道という生き方』(宮城泰年氏・ 内山節氏との共著)のうち、師の発言部分をご自身で加筆修正されたものを〈シリーズ『修験道という生き方』〉のタイトルで連載されている。心に響くとてもいいお話なので、私はこれを追っかけて拙ブログで紹介している。
※トップ写真は、般若寺(奈良市般若寺町)のコスモス(2022.10.5 撮影)

第9回の今回のタイトルは、「三世救済」。過去世を救済する釈迦如来、現在世を救済する千手観音、未来世を救済する弥勒菩薩が一体となって現われたのが蔵王権現なので、蔵王権現はこれら三世を救済する。しかし、そもそも仏教には「過去世救済」はないのだそうだ。日本では「過去世救済」として先祖供養をするので、これは日本で仏教が独自に進化・発展したといえる…。では師のFacebook(10/12付)から、全文を抜粋する。

シリーズ『修験道という生き方』⑨「三世救済」
金峯山寺のご本尊は蔵王権現ですが、すさまじい形相をされておられる。片足で大地をじかっと踏みしめ、片足で蹴り上げ、片手は振り下ろす。片足で大地をつかんでいるのは天地の揺るぎを鎮めるため。もう片足で蹴り上げているのは天魔の悪夢を払うということをあらわします。このあり方は日本人の自然に対する祈りの姿であると私は思っています。

一方では大地をつかんで自然とともに生きようとし、他方では荒ぶる自然を払おうとした。その両方の祈りを同時に表現することによって感じられる世界、そこに日本の風土があったのだと思います。和魂(にぎにたま)と荒魂(あらみたま)の世界です。

蔵王権現信仰は日本独自のものです。メイドインジャパン。しかも三世救済が素晴らしい。過去世を救済する仏として釈迦如来、現在世を救済する仏として千手観音、未来世を救済する仏として弥勒菩薩が、大峯山上で修行される役行者の御前に出現されたのですが、役行者は悪魔降伏の尊を祈って、さらに念じると、その三体が一体となり、蔵王権現という忿怒相の姿となって現れたと、寺伝には記されています。

この三体が非常に面白いですね。こういうかたちの三世救済は実は本家の仏教にはない。インドで生まれた仏教は本来、現在・未来の「二世安楽」なんです。過去世は問題にしていない。でも蔵王権現は三世救済。

ブッダの仏教は本来、過去世を相手にしてないのです。それに対して修験道は過去世の救済を視野に入れている。そもそも、日本の仏教はやはり過去世を視野に入れた三世救済なんですね。ですから本来のブッダの仏教にはない先祖供養もするわけなのです。

金峯山寺の蔵王堂では昔から、蔵王権現本地仏のお釈迦さんが過去世、観音様が現在世、弥勒様が未来世を守っていて、この過去・現在・未来の救済を役行者が願って、蔵王権現を感得された、という考え方をずっと継承してきました。直輸入された仏教ではなく、日本で育った仏教の中から修験道が生じ、そしてこの三世救済の思想が取り入れられたのだと伝えているのです。

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哲学者内山節先生、聖護院門跡宮城泰年猊下と、私との共著『修験道という生き方』(新潮選書)は3年前に上梓されました。ご好評いただいている?著作振り返りシリーズは、今回、本書で私がお話ししている、その一節の文章をもとに、加筆修正して掲載しています。
私の発言にお二人の巨匠がどういう反応をなさって論議が深まっていったかについては、是非、本著『修験道という生き方』の本文をお読みいただければと思います。
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