NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先々週(2022.11.17)掲載されたのは〈ご神体の巨岩 旧社地に/石床神社(平群町)〉、執筆されたのは同町在住の喜多村英夫さんだった。
石床神社は、延喜式神名帳の名神大社に列せられる古社である。旧社地には私もお参りしたことがあるが、こんなに大きな岩がご神体で、しかも女性自身を象(かたど)っているということに度肝を抜かれた。
新社地に男性のシンボル様の自然石が祭られていることは、この記事で初めて知った。陰石や陽石は全国各地で祭られているが、同じ神社の旧社地と新社地で双方が祭られているのは珍しいのではないだろうか。では、記事全文を紹介する。
石床神社(平群町)
石床(いわとこ)神社は平安時代の「延喜式」に記載のある平群町内8古社の最初に大社として登場し、859(貞観元)年には従五位上を授けられるなど、平群谷の中でも独自の存在感を示しています。1924(大正13)年に旧社地から北200㍍の消渇(しょうかち)神社境内にご神霊だけが遷座されました。
旧社地は越木塚集落の南、竜田川支流の伊文字(いもじ)川沿い近くです。社殿はなく、朱塗りの鳥居とともにご神体の巨岩(高さ約6㍍、幅十数㍍)が昔のまま、石垣の上に鎮座しています。岩の中央部に亀裂が入り、そこに神が宿るとして御幣が祭られ、その真下の中段に拝石が置かれています。
この巨岩が磐座(いわくら)で、その形態から「陰石」(女性のシンボル)信仰として祭り伝えられてきたものと思われます。この神域は巫女(みこ)が祝詞(のりと)を上げ、神のお告げを下段の広場に集う村人に伝えるところでした。岩壁に神、中段に巫女、下段に氏子という形態は、原始宗教の代表的な祭祀(さいし)形態です。
また、伊文字川の下流には「西宮用水」という灌漑(かんがい)用水があり、弥生時代から水田を潤し続けています。遷座された新しい神社には本殿、拝殿が建てられ、ご神体は陽石(男性のシンボル)様の自然石だそうです。(奈良まほろばソムリエの会会員 喜多村英夫)
(住 所)〈現〉平群町越木塚(こしきづか)734 〈旧〉平群町越木塚783
(祭 神)剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)
(交 通)近鉄竜田川駅から徒歩約25分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無
石床神社は、延喜式神名帳の名神大社に列せられる古社である。旧社地には私もお参りしたことがあるが、こんなに大きな岩がご神体で、しかも女性自身を象(かたど)っているということに度肝を抜かれた。
新社地に男性のシンボル様の自然石が祭られていることは、この記事で初めて知った。陰石や陽石は全国各地で祭られているが、同じ神社の旧社地と新社地で双方が祭られているのは珍しいのではないだろうか。では、記事全文を紹介する。
石床神社(平群町)
石床(いわとこ)神社は平安時代の「延喜式」に記載のある平群町内8古社の最初に大社として登場し、859(貞観元)年には従五位上を授けられるなど、平群谷の中でも独自の存在感を示しています。1924(大正13)年に旧社地から北200㍍の消渇(しょうかち)神社境内にご神霊だけが遷座されました。
旧社地は越木塚集落の南、竜田川支流の伊文字(いもじ)川沿い近くです。社殿はなく、朱塗りの鳥居とともにご神体の巨岩(高さ約6㍍、幅十数㍍)が昔のまま、石垣の上に鎮座しています。岩の中央部に亀裂が入り、そこに神が宿るとして御幣が祭られ、その真下の中段に拝石が置かれています。
この巨岩が磐座(いわくら)で、その形態から「陰石」(女性のシンボル)信仰として祭り伝えられてきたものと思われます。この神域は巫女(みこ)が祝詞(のりと)を上げ、神のお告げを下段の広場に集う村人に伝えるところでした。岩壁に神、中段に巫女、下段に氏子という形態は、原始宗教の代表的な祭祀(さいし)形態です。
また、伊文字川の下流には「西宮用水」という灌漑(かんがい)用水があり、弥生時代から水田を潤し続けています。遷座された新しい神社には本殿、拝殿が建てられ、ご神体は陽石(男性のシンボル)様の自然石だそうです。(奈良まほろばソムリエの会会員 喜多村英夫)
(住 所)〈現〉平群町越木塚(こしきづか)734 〈旧〉平群町越木塚783
(祭 神)剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)
(交 通)近鉄竜田川駅から徒歩約25分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無