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田中利典師の『修験道という生き方』新潮選書(8)/人間は自然や風土に帰属して生きている

2022年11月05日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、ご自身のFacebookに、新潮選書『修験道という生き方』(宮城泰年氏・ 内山節氏との共著)のうち、師の発言部分をご自身で加筆修正されたものを〈シリーズ『修験道という生き方』〉のタイトルで連載されている。心に響くとてもいいお話なので、私はこれを追っかけて拙ブログで紹介している。
※トップ写真は、般若寺(奈良市般若寺町)のコスモス(2022.10.5 撮影)

第8回となる今回のタイトルは「帰属の喪失」。利典師は〈戦後の日本は、帰属するもの、結ばれるものをどんどん失っていく歴史でした〉〈日本列島に暮らした人たちが長い歴史の中で帰属してきたものとは何か?というと、それは風土という言葉に集約されるのではないだろうかと私は思うのです〉。

〈企業のような表層的な帰属先ではなく、本質的な帰属先を求める、ということです。そういう思いを抱きはじめたとき、自然がつくりだした風土とか、その風土と寄り添っていた人々の側の信仰が視野に入ってきたのではないでしょうか〉〈元の国籍がどこであったとしても、日本の風土の記憶を受け入れた人々が日本人なんだという日本人観をもった方がいいと思います〉。

「風土」とは、〈その土地の気候・地味・地勢などのありさま〉(デジタル大辞泉)。最近よくフランス料理の世界で「テロワール」という。これは〈土壌のこと。また特に、ワイン用のブドウなどの産地の、耕作環境に関するあらゆる特性のこと。気候や地形のほか、生産者の人的要因なども含めていうことがある〉(同)。私にとって、日本語の「風土」とフランス語の「テロワール」は同じように聞こえる。

しかしよく考えてみると、そもそも人間も、自然や風土の構成要素である。従って当然、自然や風土と離れて生きることはできない。これを普段から「意識」することが大切なのではないか。修験道などはその典型で、修行は自然や風土の中で行われる。余計な講釈が長くなった。では利典師のFacebook(10/11付)から全文を抜粋する。

シリーズ『修験道という生き方』⑧「帰属の喪失」
戦後の日本は、帰属するもの、結ばれるものをどんどん失っていく歴史でした。高度経済成長が終わるまでは、企業という帰属するものがあったようにも思いますが、企業という帰属先は定年になれば消えてしまう。バブルがはじけて以降、終身雇用も怪しくなった今ではそれさえも消失の危機にあり、結局、本物の帰属先ではなかったことが露呈してきたような様相。

では、日本列島に暮らした人たちが長い歴史の中で帰属してきたものとは何か?というと、それは風土という言葉に集約されるのではないだろうかと私は思うのです。自然とともに暮らした人々が、自然との独特な関係をつくりながら、社会システムや文化をつくりだしていった。そうやってできあがった風土に人々は長いあいだ帰属してきた。それが明治からわずか百五十年間、あるいは戦後の七十数年間のあいだに急速に壊れて去っていった。

ところが、帰属するもの、結ばれたものがなくなってみると、生きる意味とか生の充実感、自分の役割などがわからなくなってくる。そこから、自分たちは何を忘れてしまったのだろうという空洞感のようなものが広がっていきました。ですので、自分は何に帰属して生きていったらよいのかをみつけ直そうという思いが、今日に急速に求められはじめている。私はそう思うのです。

企業のような表層的な帰属先ではなく、本質的な帰属先を求める、ということです。そういう思いを抱きはじめたとき、自然がつくりだした風土とか、その風土と寄り添っていた人々の側の信仰が視野に入ってきたのではないでしょうか。

私が不思議に思うのは、風土のDNAみたいなものは、日本列島に住んでいる人々にとっては、誰でも、どことなく諒解できるものだということなんですね。

最近では山伏修行に参加してくる外国人も増えていますが、外国からきた人も日本の風土を感じながら生きていると、いつの間にか、風土という文脈がつくりだした文化や信仰、自然観が諒解できる。それはあたかも、風土という土のなかで生きていたウイルスに感染してしまうかのようです。

ナショナリズム・国家主義と接点をもつような日本人観ではなく、私たちはたとえ元の国籍がどこであったとしても、日本の風土の記憶を受け入れた人々が日本人なんだという日本人観をもった方がいいと思います。

もともと日本列島は長い年月にわたり、いろいろな地域からきたいろんな人が住み着いて、次第にこの風土と融合し、またこの風土の担い手になっていった結果、その人たちが日本人になっていったのですから。

最近では歌舞伎でも、浄瑠璃や能楽でも、国籍だけの日本人以上に、本質的なものをつかんでいく外国人がいたりしますが、それはひとつの現れなのかもしれません。

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哲学者内山節先生、聖護院門跡宮城泰年猊下と、私との共著『修験道という生き方』(新潮選書)は3年前に上梓されました。ご好評いただいている?著作振り返りシリーズは、今回、本書で私がお話ししている、その一節の文章をもとに、加筆修正して掲載しています。
私の発言にお二人の巨匠がどういう反応をなさって論議を深めていったかについては、是非、本著『修験道という生き方』の本文をお読みいただければと思います。
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