今日の「田中利典師曰く」は、「人が信じる、すべての神と仏に、合掌」(師のブログ 2013.5.21 付)。第10回奈良県宗教者フォーラムの平和祈願祭で、師が発信された「平和の祈りのメッセージ」である。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)
このフォーラムは、奈良県内の宗教団体が集い、宗教や宗派を超えた交流と対話を深める催しで、今も続けられている。この時、利典師は同フォーラムの実行委員長、平和祈願祭での大護摩供の導師、フォーラムのコーディネータの三役を見事にお務めになった。では、ブログ記事の全文を以下に紹介する。
「人が信じる、すべての神と仏に、合掌」
ここ数日にわたって、とても大事なお役わりの仕事を果たすことが出来て、ほっとしています。もちろん自分だけの力ではないのですが、私だから果たす役割というのもあったように思います。自分の力を越えた役割は自分自身を磨いてくれますし、鍛え上げてくれます。たとえば5月14日に終えた奈良県宗教者フォーラムと昨日の紀伊山地三霊場会議高野大会は、まさに私にとって、晴れ舞台でしたね。
そんな晴れがましいことがやりたくてやってきたわけではないですが、結果的に、東大寺や薬師寺、春日大社、天理教などなどをはじめ奈良県中の宗派をこえた宗教者が修験道をテーマにしてフォーラムを各寺社がお金まで出してやってくれて、その実行委員長、平和祈願祭の大護摩供導師、フォーラムのコーディネータの三役を、私が皆に望まれてやらせていただいたわけです。
また昨日の紀伊山地三霊場会議では、高野山金剛峯寺を思うがままにつかって、施設の使用だけではなく、松長座主の講演をはじめ宗務総長以下内局全員が参加して、総会や懇親会が開けたことも、なんともいいようがない使命と充実感を感じました。でもまあ、調子に乗らないようにしないと、いけませんね。
以下、5月14日の奈良県宗教者フォーラムでの、平和祈願祭で読み上げた、「平和の祈りのメッセージ」と転記します。奈良県中の宗教者の方が共同して、このメッセージが発信出来たことも大きな喜びです。
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奈良県宗教者フォーラム実行委員会「平和の祈りのメッセージ」
「人が信じる、すべての神と仏に、合掌」
私たち人間は、地球の住人です。その地球、そして大宇宙の森羅万象の中で、私たち人間は特別に優れているとか、劣っているとか、そういうことはありません。あらゆる命、あらゆる存在が、全て等しくこの世にあります。
しかし、人間はその真理を忘れ、今に至りました。欲望を満たすことだけが生きる意味ととりちがえ、森羅万象をないがしろにする。人間同士、些細な理由で互いをわけへだて、差別する。宗教、人種、歴史、文化…。互いの価値観のちがいを、ことさらにあげつらい、
蔑み、妬み、争い、ときには殺し合う。なんとあさはかなことでしょう。
歯止めのきかない自然環境破壊、頻発するテロや戦争、すべてが、その結果です。今、人間はみずから播いた災いの種に苦しめられています。そして、この苦しみは、私たちの子や孫の世代まで、そのもっと、ずっと先の世代まで続くのです。
人間は、自然との深い関わりなしに、その歪んだ心を正すことはできないのです。山に伏し、野に伏し、自然を、そこに坐す神仏を祈る修験道は、そうした人間の心に巣食う罪、過ちを戒め、五体を通した修行の中で、清め、再生することを実践してきました。大自然の霊気に接することで、山を、木々を、一切の存在、命を敬い、感謝する心を育んできました。
人と人は、過去にとらわれず、互いを思いやる。すべてを咎めず、許す。その精神は「恕」の一文字に集約されます。私たち第10回奈良県宗教者フォーラム「神と仏と日本のこころ」実行委員会は、この「合同平和祈願祭・修験道採灯大護摩供」に際し、神道・仏教・修験道さらに天理教や立正佼成会など日本で育まれたあらゆる宗教の垣根を越えて、この「恕」の心を、世界に、未来に発信します。
そして、地球上の山川草木、さらには大宇宙のありとしある全存在とともに、宗教、人種、歴史、文化の違いを超え、すべての人間に、森羅万象の一切に、「地球平穏・世界平和」への祈りを捧げ続けることを宣言します。
第10回奈良県宗教者フォーラム実行委員会 委員長 田中利典 敬白
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)
このフォーラムは、奈良県内の宗教団体が集い、宗教や宗派を超えた交流と対話を深める催しで、今も続けられている。この時、利典師は同フォーラムの実行委員長、平和祈願祭での大護摩供の導師、フォーラムのコーディネータの三役を見事にお務めになった。では、ブログ記事の全文を以下に紹介する。
「人が信じる、すべての神と仏に、合掌」
ここ数日にわたって、とても大事なお役わりの仕事を果たすことが出来て、ほっとしています。もちろん自分だけの力ではないのですが、私だから果たす役割というのもあったように思います。自分の力を越えた役割は自分自身を磨いてくれますし、鍛え上げてくれます。たとえば5月14日に終えた奈良県宗教者フォーラムと昨日の紀伊山地三霊場会議高野大会は、まさに私にとって、晴れ舞台でしたね。
そんな晴れがましいことがやりたくてやってきたわけではないですが、結果的に、東大寺や薬師寺、春日大社、天理教などなどをはじめ奈良県中の宗派をこえた宗教者が修験道をテーマにしてフォーラムを各寺社がお金まで出してやってくれて、その実行委員長、平和祈願祭の大護摩供導師、フォーラムのコーディネータの三役を、私が皆に望まれてやらせていただいたわけです。
また昨日の紀伊山地三霊場会議では、高野山金剛峯寺を思うがままにつかって、施設の使用だけではなく、松長座主の講演をはじめ宗務総長以下内局全員が参加して、総会や懇親会が開けたことも、なんともいいようがない使命と充実感を感じました。でもまあ、調子に乗らないようにしないと、いけませんね。
以下、5月14日の奈良県宗教者フォーラムでの、平和祈願祭で読み上げた、「平和の祈りのメッセージ」と転記します。奈良県中の宗教者の方が共同して、このメッセージが発信出来たことも大きな喜びです。
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奈良県宗教者フォーラム実行委員会「平和の祈りのメッセージ」
「人が信じる、すべての神と仏に、合掌」
私たち人間は、地球の住人です。その地球、そして大宇宙の森羅万象の中で、私たち人間は特別に優れているとか、劣っているとか、そういうことはありません。あらゆる命、あらゆる存在が、全て等しくこの世にあります。
しかし、人間はその真理を忘れ、今に至りました。欲望を満たすことだけが生きる意味ととりちがえ、森羅万象をないがしろにする。人間同士、些細な理由で互いをわけへだて、差別する。宗教、人種、歴史、文化…。互いの価値観のちがいを、ことさらにあげつらい、
蔑み、妬み、争い、ときには殺し合う。なんとあさはかなことでしょう。
歯止めのきかない自然環境破壊、頻発するテロや戦争、すべてが、その結果です。今、人間はみずから播いた災いの種に苦しめられています。そして、この苦しみは、私たちの子や孫の世代まで、そのもっと、ずっと先の世代まで続くのです。
人間は、自然との深い関わりなしに、その歪んだ心を正すことはできないのです。山に伏し、野に伏し、自然を、そこに坐す神仏を祈る修験道は、そうした人間の心に巣食う罪、過ちを戒め、五体を通した修行の中で、清め、再生することを実践してきました。大自然の霊気に接することで、山を、木々を、一切の存在、命を敬い、感謝する心を育んできました。
人と人は、過去にとらわれず、互いを思いやる。すべてを咎めず、許す。その精神は「恕」の一文字に集約されます。私たち第10回奈良県宗教者フォーラム「神と仏と日本のこころ」実行委員会は、この「合同平和祈願祭・修験道採灯大護摩供」に際し、神道・仏教・修験道さらに天理教や立正佼成会など日本で育まれたあらゆる宗教の垣根を越えて、この「恕」の心を、世界に、未来に発信します。
そして、地球上の山川草木、さらには大宇宙のありとしある全存在とともに、宗教、人種、歴史、文化の違いを超え、すべての人間に、森羅万象の一切に、「地球平穏・世界平和」への祈りを捧げ続けることを宣言します。
第10回奈良県宗教者フォーラム実行委員会 委員長 田中利典 敬白