久々に「まろやか味のうどんが食べたい!」の(4)を書くことにする。(3)のあと、ずいぶん間が空いたので、お忘れの方のために、(1)から(3)の要点を整理しておく。
(1)では、大阪と京都で、立て続けにツユが塩辛いうどんを食べてしまい「知らないうちに、関西のうどんはこんなに辛くなっていたのか」と驚愕したことを書いた。
※(1)ツユが辛くなった?(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/aa196121a45bd3b1996339623e8936bf
(2)では、カップうどんの東西味比べをした。通常の「どん兵衛」と「赤いきつね」は、予想通りの結果(西はまろやか味、東は砂糖と醤油の味が濃い)だったが、東京から取り寄せた「ごんぶと きつねうどん 生タイプめん」と「どん兵衛 特盛りかき揚げうどん」は、どちらも関西風のまろやか味だった。東京でも、まろやか味が受け入れられていたのだ!
※(2)カップ麺・東西比較(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/eecd30377782fdc97c23c252d433a25a
うまい!ヒサゴ屋(奈良市鶴福院町32)の肉うどん(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/6b85bafe6d5193051f8edb1efc49116c
(3)では、地元・奈良県下のうどんを食べ歩いた。県内17軒(奈良市が15軒、生駒市と五條市が1軒ずつ)のうどん屋さんの中で、ツユが辛かったのは奈良市内の1軒だけ。やや辛かった(ただし許容限度内)のが2軒(いずれも奈良市内)で、残り14軒はまろやか味だった(まろやか味シェア82%、許容味シェアは94%と高い)。
※(3)奈良のうどん事情(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4517a22e2300f25bc2b49f3e96df4e24
さて今回は、東京のうどん屋さんを訪ねることにした。金曜日(3/19)、久々に上京の機会に恵まれたので、お昼と夕ごはんにうどんをいただいた。お店はランダムに選びたかったので、事前にリサーチせず、東京駅周辺で目に止まったお店に飛び込んだ。
まず、ランチをいただいたのが「稲にわうどん 酒処 俵や」。昼は稲庭うどん、夜は居酒屋、というタイプのお店である。注文したのは「本日のサービスランチ チキンカツと稲にわうどん」945円だ(トップ写真)。
http://alike.jp/restaurant/target_top/42365/
なお稲庭うどん(秋田県南部)のルーツは、大和郡山市・慈光院の手延べ麺で、現在「石州麺」として販売されている。《江戸時代初期、徳川家の茶道指南をつとめ、慈光院を建立した、片桐石州が考案した「石州麺」。奈良時代から伝わる平麺の製法に改良を加え、同寺の懐石料理として考案したとされ、金閣寺の鳳林承章もあまりの美味しさに驚いたと言います。その後その製法は途絶えてしまった石州麺ですが、約350年ぶりにその幻の麺をよみがえらせようと、奈良の伝統料理を研究していた料理研究家・奥村彪生氏らが「隔冥記」(※)や古文書等から存在を発見し再現しました》というものだ。
http://www.iriguchi-net.com/men/index.html
こちらは「まろやか味」のツユだった!ダシの風味は、さほど感じない。薄口醤油を使い、あっさりと仕上げてある。薬味におろしショウガと白ネギ(刻み)のついているところは、東京風だ。チキンカツは「ソースカツ丼」で、ご飯の上にキャベツの千切りを敷き、分厚いチキンカツを載せてとんかつソースをかけてある。これはすごいボリューム、さすが東京のビジネスマンには、これだけのエネルギー補給が必要なのだ。
俵やの稲庭うどん
俵やで1つ、新しい発見をした。「昼のお献立」を見ていると、「稲にわうどん定食(天ぷら又は出し巻き玉子・かやくご飯付き)」1050円というメニューがあった。うどん単品メニューの横にも「プラス100円でご飯を用意いたしております」とある。「東京では、うどんとご飯をセットにしては食べない」と私は信じ込んでいたが、今ではそうでもないのだ。
仕事が終わって夕方、新幹線の時刻を気にしながら、東京駅構内「キッチンストリート」にある「煎りだしうどん すぎのこ」(八重洲北口・1階改札外)に入った。《和食の板前による創作うどんの店。独自にブレンドしただし汁をベースに、国内産小麦100%で作った、噛みしめると、甘みと香りのある麺との妙味がたまらなくクセになります》という店だ。
http://www.tokyoinfo.com/store/136-01.html
煎りだしうどん(すうどん)700円
こちらも関西風の「まろやか味」のツユだった! なお「煎りだし」とは《懐石料理の技法のひとつ、鍋いっぱいに溢れんばかりの追い【カツヲ】を加え、職人の手により、箸で煎るような出汁の取り方から名づけられたその伝統技法》だそうだ。確かにかつお風味がよく利いたツユだった。麺は、クリーム色がかった野趣に富んだ太麺であった。
http://r.gnavi.co.jp/b898401/
カップ麺からもうかがえたように、讃岐うどんブーム以降、東京でも「まろやか味」が受け入れられていたのだ! (私としては、ダシにインパクトがほしいと感じた。昆布と削り節をもっと利かせば、私の好みに合うのだが)。
京都の「冨美家」錦店のきつねうどん500円
なおシリーズ(3)を書いて以後、京都も何度か訪れて味をチェックした。「塩辛いな」と感じたのは、京都駅構内の1軒だけで、他はまろやか味で、ホッとした。「京都タカシマヤ」と「大阪タカシマヤ」では、両方の食堂できつねうどんを食べ比べた(京都と大阪の違いを確かめた)が、どちらもまろやか味だった。錦市場の「冨美家」のうどんは、美味しい上に、とてもリーズナブルだった。
冨美家なべ600円
1つ、気になる話を「さかゑ屋」(新京極四条上ル花遊小路角)の若女将にお聞きした。東京方面から来た女子大生風の2人連れがうどんを注文し、一口食べただけで、「お勘定を」と言って出て行こうとしたのだそうだ(過去に、こんな経験はないとか)。さりげなく理由を問うと、ダシが彼女たちに受け入れられないとのことだった。
私には、昆布や削り節がよく利いた、とても美味しいツユだったのだが…。先ほど、東京のうどんツユはダシのインパクトが弱いと書いたが、東京人には関西風のダシはインパクトがありすぎるのだろうか。あるいは化学調味料に慣れた若者の舌には、天然ダシが生臭く感じられたのだろうか。
http://www.shinkyogoku.or.jp/omise/sakaeya/index.html
ともあれ、うどんツユの辛さ(塩味・醤油味)は、このように東西統合が進んでいたのである!そろそろ次回は、まとめに入らなければいけない。
(1)では、大阪と京都で、立て続けにツユが塩辛いうどんを食べてしまい「知らないうちに、関西のうどんはこんなに辛くなっていたのか」と驚愕したことを書いた。
※(1)ツユが辛くなった?(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/aa196121a45bd3b1996339623e8936bf
(2)では、カップうどんの東西味比べをした。通常の「どん兵衛」と「赤いきつね」は、予想通りの結果(西はまろやか味、東は砂糖と醤油の味が濃い)だったが、東京から取り寄せた「ごんぶと きつねうどん 生タイプめん」と「どん兵衛 特盛りかき揚げうどん」は、どちらも関西風のまろやか味だった。東京でも、まろやか味が受け入れられていたのだ!
※(2)カップ麺・東西比較(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/eecd30377782fdc97c23c252d433a25a
うまい!ヒサゴ屋(奈良市鶴福院町32)の肉うどん(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/6b85bafe6d5193051f8edb1efc49116c
(3)では、地元・奈良県下のうどんを食べ歩いた。県内17軒(奈良市が15軒、生駒市と五條市が1軒ずつ)のうどん屋さんの中で、ツユが辛かったのは奈良市内の1軒だけ。やや辛かった(ただし許容限度内)のが2軒(いずれも奈良市内)で、残り14軒はまろやか味だった(まろやか味シェア82%、許容味シェアは94%と高い)。
※(3)奈良のうどん事情(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4517a22e2300f25bc2b49f3e96df4e24
さて今回は、東京のうどん屋さんを訪ねることにした。金曜日(3/19)、久々に上京の機会に恵まれたので、お昼と夕ごはんにうどんをいただいた。お店はランダムに選びたかったので、事前にリサーチせず、東京駅周辺で目に止まったお店に飛び込んだ。
まず、ランチをいただいたのが「稲にわうどん 酒処 俵や」。昼は稲庭うどん、夜は居酒屋、というタイプのお店である。注文したのは「本日のサービスランチ チキンカツと稲にわうどん」945円だ(トップ写真)。
http://alike.jp/restaurant/target_top/42365/
なお稲庭うどん(秋田県南部)のルーツは、大和郡山市・慈光院の手延べ麺で、現在「石州麺」として販売されている。《江戸時代初期、徳川家の茶道指南をつとめ、慈光院を建立した、片桐石州が考案した「石州麺」。奈良時代から伝わる平麺の製法に改良を加え、同寺の懐石料理として考案したとされ、金閣寺の鳳林承章もあまりの美味しさに驚いたと言います。その後その製法は途絶えてしまった石州麺ですが、約350年ぶりにその幻の麺をよみがえらせようと、奈良の伝統料理を研究していた料理研究家・奥村彪生氏らが「隔冥記」(※)や古文書等から存在を発見し再現しました》というものだ。
http://www.iriguchi-net.com/men/index.html
こちらは「まろやか味」のツユだった!ダシの風味は、さほど感じない。薄口醤油を使い、あっさりと仕上げてある。薬味におろしショウガと白ネギ(刻み)のついているところは、東京風だ。チキンカツは「ソースカツ丼」で、ご飯の上にキャベツの千切りを敷き、分厚いチキンカツを載せてとんかつソースをかけてある。これはすごいボリューム、さすが東京のビジネスマンには、これだけのエネルギー補給が必要なのだ。
俵やの稲庭うどん
俵やで1つ、新しい発見をした。「昼のお献立」を見ていると、「稲にわうどん定食(天ぷら又は出し巻き玉子・かやくご飯付き)」1050円というメニューがあった。うどん単品メニューの横にも「プラス100円でご飯を用意いたしております」とある。「東京では、うどんとご飯をセットにしては食べない」と私は信じ込んでいたが、今ではそうでもないのだ。
仕事が終わって夕方、新幹線の時刻を気にしながら、東京駅構内「キッチンストリート」にある「煎りだしうどん すぎのこ」(八重洲北口・1階改札外)に入った。《和食の板前による創作うどんの店。独自にブレンドしただし汁をベースに、国内産小麦100%で作った、噛みしめると、甘みと香りのある麺との妙味がたまらなくクセになります》という店だ。
http://www.tokyoinfo.com/store/136-01.html
煎りだしうどん(すうどん)700円
こちらも関西風の「まろやか味」のツユだった! なお「煎りだし」とは《懐石料理の技法のひとつ、鍋いっぱいに溢れんばかりの追い【カツヲ】を加え、職人の手により、箸で煎るような出汁の取り方から名づけられたその伝統技法》だそうだ。確かにかつお風味がよく利いたツユだった。麺は、クリーム色がかった野趣に富んだ太麺であった。
http://r.gnavi.co.jp/b898401/
カップ麺からもうかがえたように、讃岐うどんブーム以降、東京でも「まろやか味」が受け入れられていたのだ! (私としては、ダシにインパクトがほしいと感じた。昆布と削り節をもっと利かせば、私の好みに合うのだが)。
京都の「冨美家」錦店のきつねうどん500円
なおシリーズ(3)を書いて以後、京都も何度か訪れて味をチェックした。「塩辛いな」と感じたのは、京都駅構内の1軒だけで、他はまろやか味で、ホッとした。「京都タカシマヤ」と「大阪タカシマヤ」では、両方の食堂できつねうどんを食べ比べた(京都と大阪の違いを確かめた)が、どちらもまろやか味だった。錦市場の「冨美家」のうどんは、美味しい上に、とてもリーズナブルだった。
冨美家なべ600円
1つ、気になる話を「さかゑ屋」(新京極四条上ル花遊小路角)の若女将にお聞きした。東京方面から来た女子大生風の2人連れがうどんを注文し、一口食べただけで、「お勘定を」と言って出て行こうとしたのだそうだ(過去に、こんな経験はないとか)。さりげなく理由を問うと、ダシが彼女たちに受け入れられないとのことだった。
私には、昆布や削り節がよく利いた、とても美味しいツユだったのだが…。先ほど、東京のうどんツユはダシのインパクトが弱いと書いたが、東京人には関西風のダシはインパクトがありすぎるのだろうか。あるいは化学調味料に慣れた若者の舌には、天然ダシが生臭く感じられたのだろうか。
http://www.shinkyogoku.or.jp/omise/sakaeya/index.html
ともあれ、うどんツユの辛さ(塩味・醤油味)は、このように東西統合が進んでいたのである!そろそろ次回は、まとめに入らなければいけない。
「すうどん」が「かけうどん」と呼ばれ、「関東煮き」はもはや「おでん」になってしまった。あの黒いだしがまさに「関東煮」であったのではなかろうか。味も言葉も地方差歓迎、いい色のいい味のあげののったきつねを食べたい。
> 「すうどん」が「かけうどん」と呼ばれ、「関東煮き」
> はもはや「おでん」になってしまった。あの黒いだし
> がまさに「関東煮」であったのではなかろうか。
ご当地○○が人気を呼ぶ一方で、味の均一化・標準化が進むという二重構造になっています。
> いい色のいい味のあげののったきつねを食べたい。
京都駅ビル内のうどん屋さんでは、「きつねうどんには、甘辛く味をつけた油揚げが載っています」という注釈がついていました。「きざみ」と区別するためでしょうが、面白いですね。
食べ歩いたわけではありませんが、確か当時はそんなに関西風のだしの店はなかったと記憶しています。
会社ビルのテナントに蕎麦屋が入っていて、たまに行っていたのですが、どっぷり黒く甘辛いつゆ。
これはおそらく関八州の地域の文化であって、結構なことなのですが、関西の生活が長い私は、ときどき無性に関西風のうどんが食べたくなり、関西に本拠地があるうどんのチェーン店で慰めていました。
食はおそらく、人の生い立ちに根ざした保守性を具体的な生活のなかで当人が感じてしまう、根本事のひとつと思っています。関西人には東京のどっぷりツユを常食するのは閉口ものですし、関東人にとっては関西の薄味はすぐ席を立ってしまうものなのかもしれません。
どちらがいい悪いではなく、食のグローバル化(たとえば世界的ハンバーガーチェーン店、コーヒーチェーン店)、そして東京化が進んだ時代に、食がなお地域色をもって語られるのは、意義あることと思っています。関西でももう、うなぎの関西風の地焼きや、昔ながらの押し寿司を出す店は、ほとんどなくなってしまいました。
以前、東京の人間を大阪の押し寿司の店に連れて行ったら、「飯が硬い」といわれてけんかになったことなど、思い出しました。
生まれ育った味に愛着があるのは誰でも同じ事で、関西関東は別物だと認めて相手を尊重しなければ。
関西人が関東味をけなす度に、何でかな、関東は関西味をそんなに敵視しないのにと悲しくなります。
私にとっては関西のうどんはおいしいけど、関西のざるそばつゆは全然いけません。
薄口濃口醤油の色とか塩分ではなくて、関東人には、
昆布ゼロと思えるぐらいなほど鰹節がぷんぷん香っていないとダメなんです。
こんな事を内心で思うのは、私が関東育ちだからで、口に出しては言いませんよ。
> どっぷり黒く甘辛いつゆ。これはおそらく関八州
> の地域の文化であって、結構なことなのです
名古屋人が味噌を多用するのと同じですね。私の同僚は、東京に単身赴任しているとき、ヒガシマル醤油の「うどんスープ」(粉末ツユの素)がスーパーに売っていなくて苦労した、とこぼしていました。
> 東京の人間を大阪の押し寿司の店に連れて行ったら「飯が
> 硬い」といわれてけんかになったことなど、思い出しました。
昔は寿司といえば押し寿司でした。20年ほど前の関西のグルメガイド本には、「押し寿司」と「にぎり寿司」の2つのジャンルが載っていましたが、今は江戸前ばかりになりました(押し寿司は、仕込みにものすごく手間がかかるのです)。初めて食べた方に、押した酢飯は硬く感じられたのでしょう。
> 生まれ育った味に愛着があるのは誰でも同じ事で、
> 関西関東は別物だと認めて相手を尊重しなければ。
はい、その通りです。失礼しました。どうも関西人は、食べ物のことになるとムキになるという悪弊があります。
> 薄口濃口醤油の色とか塩分ではなくて、関東人には、昆布ゼロと
> 思えるぐらいなほど鰹節がぷんぷん香っていないとダメなんです。
確かに、東京の蕎麦屋さんのざるそばツユは、美味しいです。鰹節や削り節の濃厚な味がします。昆布ダシ文化と鰹ダシ文化の違いですね。
あの人はかなりの食道楽で、ふぐを食べて「あらなんともなきや昨日は過ぎてふくの朝(汁、だったか)」みたいな句を詠んでいました(これも句集がなくうろおぼえです)
食の地域くらべは江戸時代のいろんな文献に出てきますね。みなさん自分の舌にあった味でいろいろやっているのですが、どちらがいい、悪いではなく、その地域比較自体が私はおもしろいです。
> 芭蕉が、確か琵琶湖より西にうまいそばがない、といっています
これは存じませんでした。そば(そば切り)は元禄期に江戸で発達したと奥村彪生さんの本(日本麺食文化の1300年)にありましたが、やはり本場は東京です。芭蕉の俳句は「あらなんともなきや昨日は過ぎてふくと汁」ですね。
> その地域比較自体が私はおもしろいです。
奥会津や青森黒石にはスープ焼きそば(つゆ焼きそば)があります。普通のソース焼きそばにスープをかけたものですが、寒い地方なので、焼きそばで暖まるための知恵だと思います。
また奥村さんの受け売りですが「地場の味こそ地場の食文化で、これこそフランスやイタリア的食文化といえる。食文化のアメリカ化は固有の地場の財産としての食文化を破壊してしまう」。地域固有の「食」を大切にしましょう!
新町公園に砂場発祥の地を示す碑があります。
大阪城築城のころに土砂の類をここに集めたといいます。労働者のための飲食店もできたのでしょう。
江戸時代の「摂津名所図会」には大阪のそば屋の名店が描かれています。そばきりで、見たところ蒸しそばです。
ところが大阪で砂場の伝統は途絶え、東京方面でいくつかの店がのれんを守っています。
大阪は食の都といわれますが、食の歴史が大切にされてきたとは、ちょっと思えません。
芭蕉については、芭蕉の弟子たちがまとめた「風俗文選」という本に書かれていたと思います。
でも、芭蕉とは関係ありませんが、たとえば比叡山のふもとに「鶴喜そば」という老舗の店があって、大変おいしいのです。
そこはさぬきうどんのように、そば粉をこねて足で踏みます。太い田舎そばです。
評判を聞いて東京方面からグルメたちがやってきて、「なんだこの野暮ったいそばは」などと口さがないことをいう者もいるそうです。
「それぞれの土地にあった食べ物があるんです、私たちはそれを守っているだけです」とご主人はいっていました。すてきな言葉だと思って記憶しています。
各地の味を尊重し、楽しみたいですね。
> 藪、更科と並んで有名な砂場そばは、じつは大阪が発祥です。
そうでしたか、これは存じませんでした。
> 弟子たちがまとめた「風俗文選」という本に書かれていたと思います。
検索しますと、かつては岩波文庫にも入っていたのですね。いちど図書館で見てきます。
> 「鶴喜そば」という老舗の店があって、大変おいしいのです。
京都の山科に支店があり、何度か行きました。乾麺を買って帰ったこともあります。素朴で美味しいです。
> 「それぞれの土地にあった食べ物があるんです、私たちは
> それを守っているだけです」とご主人はいっていました。
良い言葉です、また奥村彪生さんの文章を思い出しました。《味噌煮込みうどんは農山村の夕餉の主食として用いられてきた。主食とおかずと汁が一体になっている。材料の無駄を一切しない栄養豊かな食べ方である。醤油を用いず味噌で味付けするのは、農山村では味噌は自家製であり、醤油は買うものであった。ために、醤油を買うと不経済であるからである》。
《素朴なるがゆえにその美膳となした食べものには作る方の鼓動の響きと体臭を養った。貧しく(米を食べられないから)とも美しく生きる精神と美しい肉体、心遣いを養った。この作り手の魂がこもった鼓動の響が食べる者と共鳴してシンフォニーを奏でた。その響が明日への労働の英気となった》。
http://210.165.9.64/tetsuda_n/e/d8cb1364e3664a352ff3af9cb50697bc
身土不二、地産地消が大切ですね。