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昭憲皇后も宿泊された田原本御坊・浄照寺/毎日新聞「やまと百寺参り」第58回

2020年06月26日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して、毎日新聞奈良版に毎週木曜日「やまと百寺参り」を連載している。昨日(2020.6.25)掲載されたのは「昭憲皇后ご宿泊の寺/浄照寺(田原本町)」、執筆されたのは田原本町在住の日野益博さんだった。日野さんは詩吟を習っておられ、昨秋の万葉ツアーでは、詩吟風に万葉集を上手に歌っておられたのが印象的だった。
※トップ写真は、浄照寺御殿(対面所)上段の間

浄照寺は「田原本御坊」として知られる。お寺のHPには「御坊は大和に五ヶ所あり、今井・御所・高田・畝傍と合わせて五ヶ所御坊と称せられる。御坊は中本山のようなもので、特別の格式と権威を持っていた」とある。明治天皇が昼食をとられたり、昭憲皇后が宿泊されたりと、格式の高さがうかがえる。では全文を紹介する。

田原本二代領主・平野長勝(ながかつ)は幕府の命により陣屋を築きましたが、寺内町を形成していた教行寺(きょうぎょうじ)との間で支配権をめぐり争いが起きました。教行寺を大和郡山藩箸尾村(広陵町箸尾)へ退去させ、その跡地の北半分に平野家の菩提寺・本誓寺(ほんせいじ)を、南半分に円成寺を建立し西本願寺に寄進しました。のち末寺72ヵ寺を有する西本願寺御坊に列せられ、寛延2(1749)年に寺号を浄照寺と改めました。

1887(明治10)年の天皇行幸のおり、浄照寺が昼食場所と決まりました。準備期間が短く湯殿や厠(かわや)の新築、家具の新調など宮内省役人の指示のもと、大変苦労された記録が残っています。
   
1890(明治23)年には昭憲皇后(のち皇太后)の行啓があり、当寺で1泊されています。4月22日午後、橿原神宮、畝傍御陵参拝のあと到着。門前では県、郡、町役場関係者、小学校教職員・児童がお出迎え。夜は町内の女性5人が琴の演奏でもてなしたそうです。このとき宿泊所となった浄照寺御殿(対面所)は、現在も当時のまま保存されていて、予約すれば本堂、親鸞聖人大幅の御影(寺宝)とともに拝観できます。(奈良まほろばソムリエの会会員 日野益博)

(宗 派) 浄土真宗本願寺派
(住 所) 磯城郡田原本町茶町584
(電 話) 0744-32-2477
(交 通) 近鉄田原本駅から徒歩約5分
(拝 観) 8時~17時境内自由、本堂拝観は要予約
(駐車場) 有(無料)



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