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小泉庚申堂(産経新聞「なら再発見」第106回)

2015年02月07日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、106回目となる今回(1/10付)は、「小泉庚申堂 60日に一度 虫の告げ口防ぐ」、書かれたのはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の石田一雄さんだ。石田さんは、本欄の最多出稿者である。小泉町(大和郡山市)に、こんな立派な庚申堂があったことは初めて知った。初庚申の日(今年は2月13日)は、境内も賑わうそうだ。まずは全文を紹介する。
※トップ写真は小泉庚申堂

 大和郡山市小泉町に大和を代表する庚申(こうしん)さんがある。正式名は尭然山金輪院(ぎょうねんざんこんりんいん)だが、小泉の庚申さん、小泉庚申堂として親しまれている。JR大和小泉駅から西北へ、富雄川を越えて徒歩で約10分の場所にある。門前に「一國一宇庚申」と刻まれた石標がある。大和国の庚申信仰の総道場という意味だ。
 当寺は江戸時代の初め2代目小泉藩主片桐貞昌(かたぎりさだまさ)(石州(せきしゅう))の時、家老で茶人の藤林宗源(ふじばやしそうげん)が創建し石州が8石を寄進した。その後富雄川の氾濫で流失したが、再建された。西門は小泉陣屋の遺構だ。
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 庚申とは、暦、時間、方位などに使われる十干十二支(干支(かんし))の一つだ。庚申信仰は中国の道教思想に由来する。人間の体内には生まれ落ちたときから「三尸(さんし)の虫」が住んでいる。この虫は、上尸(じょうし)・中尸(ちゅうし)・下尸(げし)の3種類で、それぞれ頭、腹、足にいる。
 この虫は60日に1度の庚申の日の夜、寝ている間に体から抜け出て天帝にその人の悪行を知らせて寿命を縮めるという。それで、その虫が天帝に告げ口しないよう、その夜は眠らずに身を慎む庚申待ちという風習が生まれた。
 これは平安貴族の間で始まり、江戸時代には庶民に広まった。近隣の人々が庚申講をつくり、庚申の日に集まって夜通し眠らず酒宴を行うようになった。本尊の青面金剛(しょうめんこんごう)が、三尸の虫を押さえてくれるという。
 小泉庚申堂本尊の大青面金剛薬叉(やくしゃ)尊絵像は、3目6臂(ぴ)で両足に邪鬼を踏み左右に2童子、4鬼神を配すとされる。寺伝では初代小泉藩主の片桐貞隆(さだたか)が豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した際、戦場の守護神としてかぶとの中にその絵像を入れていたという。その後小泉陣屋で祀られていたが、明治になって当寺に安置されることとなった。本尊は秘仏で60年ごとの庚申の年に開扉される。次回は2040年の予定だ。
 ご本尊はなかなか拝観できないが、庚申の日に本堂を訪れると青面金剛絵像の軸が何本も飾られている。昔の庚申の日には講の家では絵像を床の間にかけて拝んでいたが、次第に行われなくなった。とはいっても、仏様の絵像を捨てたり焼いたりはできないと当寺に預けられた掛け軸が五十数本あるという。
 また、境内は山門の軒瓦や梵鐘の文様など「猿」があふれている。本尊・青面金剛の命を受けるのが白蛇でその使いとして走るのが猿だ。


庚申堂のくくり猿

 猿は動き回りじっとしていないので、「くくってご猿」または「くくり猿」となった。真っ赤な座布団の四隅を折り曲げて一つにくくり、その間に丸い頭を付けたもので、手足をくくられた猿を表す。本堂内はもちろん、門前や周辺の民家の門口にも梵字がしるされご祈禱(きとう)を受けたお守りの「くくり猿」が下げられている。
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 ふだん訪れると静かな境内だが、戦前の庚申の日には門前市も盛んで、農機具などを販売する出店が並び、大いににぎわったという。戦後は衰退していったが、地元の庚申講(村戸文比古代表)の熱意で、平成17年秋からにぎわいが復活した。庚申の日には法要のあとさまざまなイベントも催されている。
 庚申の日は、初庚申から終庚申(しまいこうしん)まで年6回あり、今年の初庚申は2月13日だ。一番にぎわう初庚申の日に小泉庚申堂を訪れてみてはいかがだろう。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)


2011年の初庚申の様子が、小泉金輪院庚申堂の初庚申参り(ブログ「マネージャーへの休日余暇」)に書かれている。

何十年も前は街道筋がひしめくほどの参拝者が訪れたという大和郡山市小泉町の金輪院庚申堂。年始めの初庚申には門前市のお店がずらりと並んだそうだ。戦後に廃れた庚申参りを復活させた地元の世話人たち。ことし(2011年)で6年目になった。徐々に参拝者も増えつつある。初庚申の日にはとんども燃やされ参拝者を温める。

復活したのはそれだけではなかった。庚申参りにつきものの摩滅豆腐(まめとうふ)だ。垢離(こり)には現役の竈(かま)がある。前日はそこで豆腐汁を作ってもてなす。それには引き替え符が要る。昔から庚申さんに豆腐をお供する意味があったそうだ。一切の災難・不幸等を消して無くす。そしてまめに健康であるようにと願う。それでお下りのお豆腐を食してご加護をいただく。ありがたい豆腐のご利益だという摩滅豆腐(まめとうふ)の引替符だ。

本堂では護摩を焚いて法要が始まった。灯明に火を点けて手を合わせる。堂内には多くの青面金剛の掛け図が吊されている。付近では多くの庚申講があったとされる。それらは代替わりし信仰も薄れていった。不要となった掛け図は預けられお堂に納まった…。


庚申堂は、大和郡山市小泉町834。JR小泉駅からは徒歩10分。慈光院からは西へ徒歩5分ほどの場所だ(地図は、こちら)。今年の初庚申の2月13日(金)は目前だ。ぜひお参りください!


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