NHK総合テレビの「SONGS」(9/10放送)を見た。タイトルは「吉田拓郎~今だから人生を語ろう~」。拓郎も70歳になっていたのだ。「おお、結構若いやん」というシーンもあれば「やはり寄る年波は隠せない、これは拓老だな~」というシーンもあって、ハラハラしながら見ていた。
※写真はすべて、同番組から拝借。
この番組タイトルはもちろん「今はまだ人生を語らず」という拓郎のアルバムから取っている。そこに収録されているのは「人生を語らず」という曲で「朝日が昇るから起きるんじゃなくて 目覚める時だから旅をする…」という歌詞だった。
このアルバムは「襟裳岬」や「シンシア」「ペニーレインでバーボン」などが収録された名アルバムだった。森進一(今年で69歳になる)は当時ヒット曲を連発していたが、どうしてもレコード大賞が取れなかった。めでたく大賞に輝いたのが「襟裳岬」だった。
この番組は、拓郎のライブのリハーサル風景だった。拓郎はたいていサングラスをかけていたが、透明のメガネになると、たれ目や目元のシワが気になった。
ファンの間では有名な、テレビ出演拒否のきっかけの話が出ていた。お相手はNHKの桑子真帆アナ。「初めてテレビ番組に出た時、3番まである歌詞の歌を1番とサビだけの構成に、勝手に変えられていた。それを知らないでリハーサルで歌っていると、どんどん演奏と歌がズレてくる。そこで司会のFさん(=布施明)から『バカヤロー!』とドナられた。怖いと同時に『何だこの野郎!』と思って…」という話だ。
新曲「ぼくの新しい歌」も披露されたが(作曲は拓郎)、これはあまり感心しなかった。やはり過去の名曲の方が、安心して聞ける。Kinki Kids と共演した「LOVE LOVE あいしてる」の話も出た。「ハッキリ言って拓郎さんだけでは数字(視聴率)が取れないので」といわれて共演したのだそうだが、これはとても良かった、「いい財産ができた」と語っていた。
私は番組を見てから、拓郎のCD(Sony Music Directから出ているベスト盤)を車で聞いている。大阪万博のあった1970年にデビューした拓郎が、老いたとはいえ現役で歌っているというのは、とても嬉しい。拓郎はかつて自らの「青春の詩(うた)」の替え歌、「老人の詩」を歌っていたことがある。
「喫茶店にばあちゃんと二人ではいって しぶ茶を注文すること ああそれが老人 映画館にばあちゃんと二人ではいって チャップリンの映画を見ること ああそれが老人…」という歌だ。40年以上前に思い描いた「老人」と70歳の今を比ぶべくもないが「死ぬまでラブソングを歌い続けたい」という姿勢には共感できる。
以上、適当な感想を書いたが、ブログ「疲れたら休め…」に詳しく書かれているので、締めに紹介しておく。
吉田拓郎さんが昨日(10日)の「SONGS」(NHK総合)に出演していました。久しぶりですが、正直その姿に驚きましたね。猫背気味で、丸かった顔が四角の細顔になっていました。70歳、当然と言えば当然なのかもしれませんが、以前観たときとの落差を感じて、正直ショックを受けました。自分の顔を鏡でじっくり見たときと同じ感慨なのかもしれませんが・・・。
リハーサルに疲れて、両足にこむら返りが起きたらしいですが、「嫌だねえ、年齢を重ねるということは・・・」と笑いながらカメラ目線で言う姿に元気が無くて、リアルに感じて、ちょっと辛かったですね。
番組は、ライブのリハーサル風景と桑子アナのインタビューで構成されていました。桑子アナを指定したのは、おじさんたち(タモリさん&井上陽水さん)のお気に入りなので、とのこと。
1年半以上歌っていなかったけれども、70歳になって “燃えるものが足りない。命がけでやってみたい” と思えるようになったと・・・。「春だったね」「マークⅡ」から「人生を語らず」まで、リハーサルということでか、軽く歌う姿や声はこれまでと変わりなく、ホッとしたものです。桑子アナから細部までこだわっての打ち合わせについて指摘され、「聴いてもわからないけど、細部までつめないとステージにならない」と・・・。
デビュー当時のテレビ出演拒否についての質問に、きっかけの事件を語ってくれましたが、私は初めて知りました。何しろ、中年になってからのファンなもので・・・。それにしても、理不尽に怒った司会者Fさんって誰なんでしょうね。と、つい野次馬気分で考えてみました。
再びテレビに出だした50歳が転機になったことも語っています。Kinki Kids との「LOVE LOVE あいしてる」(1996~2001年・フジテレビ)ですね。拓郎さん一人では出来ないと言われ、二人(当時17歳)を紹介されたようです。失礼な話ですが、はっきりした物言いに逆に乗れたのでしょうか。まったく世代の違う二人との出会いで人生観が変わった、財産が出来て、二人には感謝している、素晴らしい50代だったと語っています。
当時、番組を観ていましたが、拓郎さんはどこか居心地が悪そうに見えて、でも楽しそうでしたね。彼らが今巧みにギターを弾けるのも、番組で拓郎さんにイチから教えられたからのはずです。
70歳になって、初めての新曲「ぼくのあたらしい歌」も少し紹介されました。歌詞からはかなりベタな少年少女の恋の歌のように思えましたね。桑子アナは、それを “ピュア” と表現しましたが・・・。音楽は永遠なもので、70歳になっても80歳になっても、ラブソングを歌いたいし、作りたい、と・・・。
私は「言葉」という歌が好きです“愛してる” という言葉の重さを、搾り出すような声で歌っています。若いときと今と、逆転現象のような気がして、それはそれで面白いですね。最近、なぜか「慕情」を聴きたくなりましたが、これはドラマ「新選組血風録」(2011年・NHKBS)との相乗効果が大きいのかもしれません。
結婚30年という奥さん(森下愛子さん)のことも・・・。奥さんと一緒にいる時間が好きで、「趣味は?」と聞かれたら「うちの人」と言いたい。面白いし、楽しいし、お互いがお互いの趣味。「何が足らないかと言うと、君がいないということの大きさほど大きいものはない」「まさに、この歌(新曲)じゃ」と、桑子アナがうらやましそうな表情を見せていました。
桑子アナ、29歳。自分には想像もできない「人生を語らず」を作った28歳当時の心境を尋ねています。70年代当時、若者は老成していて、おじさんが言いそうなことを語り合っていた、と・・・。「今、人生を語ることはありますか?」「長い人生、いろいろあったけれど、音楽をやっている幸せ、音楽の素晴らしさを感じている」。
リハーサル風景なので、どうしても曲は短いし、軽く歌っている感じなので、本格的なライブ放送を早く観たいですね。
※写真はすべて、同番組から拝借。
この番組タイトルはもちろん「今はまだ人生を語らず」という拓郎のアルバムから取っている。そこに収録されているのは「人生を語らず」という曲で「朝日が昇るから起きるんじゃなくて 目覚める時だから旅をする…」という歌詞だった。
このアルバムは「襟裳岬」や「シンシア」「ペニーレインでバーボン」などが収録された名アルバムだった。森進一(今年で69歳になる)は当時ヒット曲を連発していたが、どうしてもレコード大賞が取れなかった。めでたく大賞に輝いたのが「襟裳岬」だった。
この番組は、拓郎のライブのリハーサル風景だった。拓郎はたいていサングラスをかけていたが、透明のメガネになると、たれ目や目元のシワが気になった。
ファンの間では有名な、テレビ出演拒否のきっかけの話が出ていた。お相手はNHKの桑子真帆アナ。「初めてテレビ番組に出た時、3番まである歌詞の歌を1番とサビだけの構成に、勝手に変えられていた。それを知らないでリハーサルで歌っていると、どんどん演奏と歌がズレてくる。そこで司会のFさん(=布施明)から『バカヤロー!』とドナられた。怖いと同時に『何だこの野郎!』と思って…」という話だ。
新曲「ぼくの新しい歌」も披露されたが(作曲は拓郎)、これはあまり感心しなかった。やはり過去の名曲の方が、安心して聞ける。Kinki Kids と共演した「LOVE LOVE あいしてる」の話も出た。「ハッキリ言って拓郎さんだけでは数字(視聴率)が取れないので」といわれて共演したのだそうだが、これはとても良かった、「いい財産ができた」と語っていた。
私は番組を見てから、拓郎のCD(Sony Music Directから出ているベスト盤)を車で聞いている。大阪万博のあった1970年にデビューした拓郎が、老いたとはいえ現役で歌っているというのは、とても嬉しい。拓郎はかつて自らの「青春の詩(うた)」の替え歌、「老人の詩」を歌っていたことがある。
「喫茶店にばあちゃんと二人ではいって しぶ茶を注文すること ああそれが老人 映画館にばあちゃんと二人ではいって チャップリンの映画を見ること ああそれが老人…」という歌だ。40年以上前に思い描いた「老人」と70歳の今を比ぶべくもないが「死ぬまでラブソングを歌い続けたい」という姿勢には共感できる。
以上、適当な感想を書いたが、ブログ「疲れたら休め…」に詳しく書かれているので、締めに紹介しておく。
吉田拓郎さんが昨日(10日)の「SONGS」(NHK総合)に出演していました。久しぶりですが、正直その姿に驚きましたね。猫背気味で、丸かった顔が四角の細顔になっていました。70歳、当然と言えば当然なのかもしれませんが、以前観たときとの落差を感じて、正直ショックを受けました。自分の顔を鏡でじっくり見たときと同じ感慨なのかもしれませんが・・・。
リハーサルに疲れて、両足にこむら返りが起きたらしいですが、「嫌だねえ、年齢を重ねるということは・・・」と笑いながらカメラ目線で言う姿に元気が無くて、リアルに感じて、ちょっと辛かったですね。
番組は、ライブのリハーサル風景と桑子アナのインタビューで構成されていました。桑子アナを指定したのは、おじさんたち(タモリさん&井上陽水さん)のお気に入りなので、とのこと。
1年半以上歌っていなかったけれども、70歳になって “燃えるものが足りない。命がけでやってみたい” と思えるようになったと・・・。「春だったね」「マークⅡ」から「人生を語らず」まで、リハーサルということでか、軽く歌う姿や声はこれまでと変わりなく、ホッとしたものです。桑子アナから細部までこだわっての打ち合わせについて指摘され、「聴いてもわからないけど、細部までつめないとステージにならない」と・・・。
デビュー当時のテレビ出演拒否についての質問に、きっかけの事件を語ってくれましたが、私は初めて知りました。何しろ、中年になってからのファンなもので・・・。それにしても、理不尽に怒った司会者Fさんって誰なんでしょうね。と、つい野次馬気分で考えてみました。
再びテレビに出だした50歳が転機になったことも語っています。Kinki Kids との「LOVE LOVE あいしてる」(1996~2001年・フジテレビ)ですね。拓郎さん一人では出来ないと言われ、二人(当時17歳)を紹介されたようです。失礼な話ですが、はっきりした物言いに逆に乗れたのでしょうか。まったく世代の違う二人との出会いで人生観が変わった、財産が出来て、二人には感謝している、素晴らしい50代だったと語っています。
当時、番組を観ていましたが、拓郎さんはどこか居心地が悪そうに見えて、でも楽しそうでしたね。彼らが今巧みにギターを弾けるのも、番組で拓郎さんにイチから教えられたからのはずです。
70歳になって、初めての新曲「ぼくのあたらしい歌」も少し紹介されました。歌詞からはかなりベタな少年少女の恋の歌のように思えましたね。桑子アナは、それを “ピュア” と表現しましたが・・・。音楽は永遠なもので、70歳になっても80歳になっても、ラブソングを歌いたいし、作りたい、と・・・。
私は「言葉」という歌が好きです“愛してる” という言葉の重さを、搾り出すような声で歌っています。若いときと今と、逆転現象のような気がして、それはそれで面白いですね。最近、なぜか「慕情」を聴きたくなりましたが、これはドラマ「新選組血風録」(2011年・NHKBS)との相乗効果が大きいのかもしれません。
結婚30年という奥さん(森下愛子さん)のことも・・・。奥さんと一緒にいる時間が好きで、「趣味は?」と聞かれたら「うちの人」と言いたい。面白いし、楽しいし、お互いがお互いの趣味。「何が足らないかと言うと、君がいないということの大きさほど大きいものはない」「まさに、この歌(新曲)じゃ」と、桑子アナがうらやましそうな表情を見せていました。
桑子アナ、29歳。自分には想像もできない「人生を語らず」を作った28歳当時の心境を尋ねています。70年代当時、若者は老成していて、おじさんが言いそうなことを語り合っていた、と・・・。「今、人生を語ることはありますか?」「長い人生、いろいろあったけれど、音楽をやっている幸せ、音楽の素晴らしさを感じている」。
リハーサル風景なので、どうしても曲は短いし、軽く歌っている感じなので、本格的なライブ放送を早く観たいですね。
> 声の張りもあり、春だったねからはじまり、アンコールの人生を語らずまで大感激でした。
そうでしたか、それは良かったです。私もどこかで聞きに行こうかな。