木曜日(7/21)の放送、拓郎最後のテレビ出演という「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎 卒業SP」を見た。リアルタイムでは見られず、録画を翌日に見たのだが、これには感動した! 番組冒頭、「全部だきしめて」の歌唱中、いきなり木村拓哉が登場したのには驚いた。
※3枚の写真は、フジテレビのサイトから拝借した
しかもそのあと、にわかに「ジャニーズシニア」を結成、キムタクと生田斗真、風間俊介がKinki Kids「硝子の少年」のバックダンサーを務めた。キレのあるダンスは、さすがだった。このほか明石家さんまのサプライズ出演もあり、番組は大盛り上がり。
拓郎の「ハワイで収録するのなら、もう一度(テレビに)出てもいいかな」という発言もあり、続編への期待も高まった。さすがに76歳という年齢を感じさせたが(私は「拓老」と揶揄したことがある)、カッコ良さは相変わらずだった。拓郎のシャウトするような歌唱法は、ノドには良くなかったのかも知れないが。
私と吉田拓郎との出会いは高校時代、ラジオの深夜放送で聞いた「イメージの詩」と「マークII」だったと記憶している。初めて買ったアルバムは『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』で、この時はもう大学に入っていた。初めて行ったコンサートは大学1年のときで、場所は姫路市厚生会館だった。その後『青春の詩』『元気です。』などのアルバムを買い、毎日のように聞き惚れていた。
冒頭の番組で明石家さんまは、「拓郎さんの歌詞に人生を教えてもらった」「お父さんのような存在」と語っていたが、私もそれに近いものがあった。拓郎が心酔していたボブ・ディランがノーベル文学賞を獲得したときは、「拓郎にも褒章をあげてほしいなぁ」とつくづく思った。
拓郎ファンの田中利典師は、拓郎を美空ひばりと並置し、「もう神の領域」と讃えた。最後に、師のFacebook(7/22付)から引用しておく。なお後半のエッセイの初出は、師のブログ「山人のあるがままに」(2019.6.7付)である。
「吉田拓郎という神様」
日本の歌の女神は美空ひばりさん。そのひばりの足跡と並ぶほどの活躍をした人物といえば吉田拓郎さんを置いて他にはいないだろう。それはもう神の領域と言って差し支えない。いまから思えばここ2年のコロナ禍のせいもあり、ラストコンサートとなった東京国際フォーラムでの3年前の、live73year'sコンサート。
知人の力添えで、実質最後のツアーとなったあのライブに行かせて頂いた。とてもラッキーだったと思わずにはいられない。昨夜、最後の?テレビ出演「LoveLove あいしてる 最終回・吉田拓郎 卒業SP」をみて、つくづくとそう思ったのであった。神の最後を見送ったわけだ。
そういえば、そのときの感想を書いた文章がある。いまの拓郎さんを予見しているが如き、エッセイである。われながらよい文章だと思うので、再度、みなさんに読んで頂ければと思う。
***************
「吉田拓郎という神様」
もしかしたら最後になるかもしれない、という吉田拓郎さんのlive73year'sコンサートに行ってきた。予想通りのコンサートだったと思う。歌ってほしいという歌を並べるのではなく、作詞作曲吉田拓郎限定のセットリストはたんたんとして、シュールな時間をちょっと複雑な気持ちで過ごしてきた。そんな不思議な時間が流れ続けた、東京国際フォーラムの2時間半だったように思う。
じつは2012年と14年、16年の東京国際フォーラムでの拓郎さんの都内限定巡回コンサートにはすべて参加してきたが、今までとは全く違うなにかしらを私は感じた。その感想はいまだにうまく書けないでいる。
仏教では「天人五衰(てんにんごすい)」という言葉がある。神様も衰える、というくらいの意味であろうか。こう書いてしまうとファンに叱られるし、私自身も悲しい気持ちになるが、「吉田拓郎という神様」も五衰の時期を迎えたのかもしれない。
というか、吉田拓郎という神様はその五衰さえ、愉しんでいるというふうに理解すべきなのだと思った。そこが、なんとも拓郎さんらしく、「やっぱ、吉田拓郎はすごいなあ」と思うしかなかった。
次はない!とは言わなかった。音楽活動は続ける、ともいってくれて、「僕たちにはつねに未来がある」というメッセージが残されたように思う。正直、コンサートに集うファン達は私も含めて年代は高く、そんなに沢山の未来はあるとは思えない人間達ばかりでなんだけど…(笑)。
だからこそ、シュールで天の邪鬼な、「吉田拓郎という神様」の、拓郎らしい終え方なのかもしれないとも思ったのであった。でも、お互いに、きっと次もあることを期待しているのである。
※3枚の写真は、フジテレビのサイトから拝借した
しかもそのあと、にわかに「ジャニーズシニア」を結成、キムタクと生田斗真、風間俊介がKinki Kids「硝子の少年」のバックダンサーを務めた。キレのあるダンスは、さすがだった。このほか明石家さんまのサプライズ出演もあり、番組は大盛り上がり。
拓郎の「ハワイで収録するのなら、もう一度(テレビに)出てもいいかな」という発言もあり、続編への期待も高まった。さすがに76歳という年齢を感じさせたが(私は「拓老」と揶揄したことがある)、カッコ良さは相変わらずだった。拓郎のシャウトするような歌唱法は、ノドには良くなかったのかも知れないが。
私と吉田拓郎との出会いは高校時代、ラジオの深夜放送で聞いた「イメージの詩」と「マークII」だったと記憶している。初めて買ったアルバムは『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』で、この時はもう大学に入っていた。初めて行ったコンサートは大学1年のときで、場所は姫路市厚生会館だった。その後『青春の詩』『元気です。』などのアルバムを買い、毎日のように聞き惚れていた。
冒頭の番組で明石家さんまは、「拓郎さんの歌詞に人生を教えてもらった」「お父さんのような存在」と語っていたが、私もそれに近いものがあった。拓郎が心酔していたボブ・ディランがノーベル文学賞を獲得したときは、「拓郎にも褒章をあげてほしいなぁ」とつくづく思った。
拓郎ファンの田中利典師は、拓郎を美空ひばりと並置し、「もう神の領域」と讃えた。最後に、師のFacebook(7/22付)から引用しておく。なお後半のエッセイの初出は、師のブログ「山人のあるがままに」(2019.6.7付)である。
「吉田拓郎という神様」
日本の歌の女神は美空ひばりさん。そのひばりの足跡と並ぶほどの活躍をした人物といえば吉田拓郎さんを置いて他にはいないだろう。それはもう神の領域と言って差し支えない。いまから思えばここ2年のコロナ禍のせいもあり、ラストコンサートとなった東京国際フォーラムでの3年前の、live73year'sコンサート。
知人の力添えで、実質最後のツアーとなったあのライブに行かせて頂いた。とてもラッキーだったと思わずにはいられない。昨夜、最後の?テレビ出演「LoveLove あいしてる 最終回・吉田拓郎 卒業SP」をみて、つくづくとそう思ったのであった。神の最後を見送ったわけだ。
そういえば、そのときの感想を書いた文章がある。いまの拓郎さんを予見しているが如き、エッセイである。われながらよい文章だと思うので、再度、みなさんに読んで頂ければと思う。
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「吉田拓郎という神様」
もしかしたら最後になるかもしれない、という吉田拓郎さんのlive73year'sコンサートに行ってきた。予想通りのコンサートだったと思う。歌ってほしいという歌を並べるのではなく、作詞作曲吉田拓郎限定のセットリストはたんたんとして、シュールな時間をちょっと複雑な気持ちで過ごしてきた。そんな不思議な時間が流れ続けた、東京国際フォーラムの2時間半だったように思う。
じつは2012年と14年、16年の東京国際フォーラムでの拓郎さんの都内限定巡回コンサートにはすべて参加してきたが、今までとは全く違うなにかしらを私は感じた。その感想はいまだにうまく書けないでいる。
仏教では「天人五衰(てんにんごすい)」という言葉がある。神様も衰える、というくらいの意味であろうか。こう書いてしまうとファンに叱られるし、私自身も悲しい気持ちになるが、「吉田拓郎という神様」も五衰の時期を迎えたのかもしれない。
というか、吉田拓郎という神様はその五衰さえ、愉しんでいるというふうに理解すべきなのだと思った。そこが、なんとも拓郎さんらしく、「やっぱ、吉田拓郎はすごいなあ」と思うしかなかった。
次はない!とは言わなかった。音楽活動は続ける、ともいってくれて、「僕たちにはつねに未来がある」というメッセージが残されたように思う。正直、コンサートに集うファン達は私も含めて年代は高く、そんなに沢山の未来はあるとは思えない人間達ばかりでなんだけど…(笑)。
だからこそ、シュールで天の邪鬼な、「吉田拓郎という神様」の、拓郎らしい終え方なのかもしれないとも思ったのであった。でも、お互いに、きっと次もあることを期待しているのである。
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