古事記 (岩波文庫) | |
倉野憲司 校注 | |
岩波書店 |
「奈良まほろばソムリエ検定」のソムリエ合格者の仲間7人で、「古事記を読もう会」という輪読会を立ち上げた。講師は、県下でボランティアガイドの会の会長などを務めておられるKさんである。テキストは岩波文庫版『古事記』で、ここに記載された書き下し文を順番に朗読し、そこにKさんがコメントを加えられる、という進め方である。月2回、全12回(半年)で古事記の主要部分(上~中巻)を読み終える予定である。
初回は6/28(火)に開催した。これから毎回、その内容を当ブログで紹介させていただくつもりである。どこかに書き留めておかないとすぐ忘れそうだし、来年の古事記完成1300年に向けて勉強している人にとっても、参考になると思うからである。当ブログでは、現代語訳を載せるのではなく、私が「これはキーポイントだ!」とひらめいた部分について、用語を中心に紹介したいと思う。初回は、太安万侶の序文をカットし、いきなり本文(P18)から始まった。この日読んだページ(P18~32)のあらすじを、Wikipedia「古事記」から拾っておく。
《天地開闢ののち七代の神が交代し、その最後にイザナギ、イザナミが生まれた。二神は高天原(天)から葦原中津国(地上世界)に降り、結婚して結ばれ、その子として、大八島国を産み、ついで、山の神、海の神などアニミズム的なさまざまな神を産んだ。こうした国産みの途中、イザナミは火の神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。そのなきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた》。
《イザナギはイザナミを恋しがり、黄泉の国(死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは未完成のまま終わってしまう。イザナギは黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗ったときに天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗ったときに月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗ったときに須佐之男命(スサノオノミコト)を産む》。その後、イザナギは近江の多賀大社に鎮座された。以下、この日学んだキーワードを紹介する。
古事記 (ワイド版 岩波文庫) | |
倉野憲司 校注 | |
岩波書店 |
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)P18
Wikipediaによると《天地創造に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている。その後高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、神産巣日神(カミムスヒノカミ)が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という》《神名は、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味である。宇宙の根源の神であり、宇宙そのものであるともされる》。
私は古事記を(現代語訳で)読んだときから、「この神さまは天地創造に関わった最初の神さまなのに、なぜあまり祀られていないのだろう」と疑問に思っていた。Kさんは「中国の影響から、あとで取ってつけた神さまではないか」とおっしゃった。Wikipediaにも《『古事記』、『日本書紀』とも、その後の事績は全く書かれておらず、「中空神」とも言われる。『記紀』神話が形成される上で創造された観念的な神と考えられ、それには中国の天帝の思想が影響したものと考えられる》とあった。高御産巣日神は高天原系、神産巣日神は出雲系の神さまなので、両者を統括する立場の神さまとして天之御中主神が創造されたのだろう。
淤能碁呂島(おのごろじま)P19
Wikipediaによると《日本神話に登場する島。イザナギ・イザナミの国産み・神産みの舞台となる島である。『古事記』では淤能碁呂島(おのごろじま)、『日本書紀』では磤馭慮島(おのころじま、初字は「石殷」で一字)と表記する。イザナギとイザナミが天(『古事記』では高天原)にある天浮橋に立って天沼矛を混沌とした下界に突き刺し、「こをろこをろ」とかき混ぜて引き上げると、矛の先から滴り落ちた塩が積もり重なって島になった。これがオノゴロ島であるとする》。この島は、淡路島の南の沼島(ぬしま)だという説がある。Wikipediaによると《淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ兵庫県南あわじ市に属する島》である。
大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)P22
イザナギとイザナミは8つの島(大八島=おおやしま)と6つの島々を生む。そのうちの1つが大倭豊秋津島で、本州の別名といわれるが、もとは大和を中心とした畿内の地域の名前。秋津はトンボで、本州の形が、トンボが交尾している姿(ハート型のように丸くなる)に似ているから、この名がつけられたともいわれる。大倭豊秋津島は、天御虚空豊秋津根別(アマツソラトヨアキヅネワケ)ともいう。なお別(ワケ)は男神につける敬称(女神は姫)。
水分神(ミクマリノカミ)P23
Wikipediaによると《水分神(みくまりのかみ)とは、神道の神である。神名の通り、水の分配を司る神である。「くまり」は「配り(くばり)」の意で、水源地や水路の分水点などに祀られる。日本神話では、神産みの段でハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ両神の子として天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)が登場する》。
大山津見神(オオヤマツミノカミ)P23
Wikipediaによると《オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)は、日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神》《神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。別名の和多志大神の「わた」は海の古語で、海の神を表す。すなわち、山、海の両方を司る神ということになる》。大山津見神は、各地の山口神社などに祀られている。県下だと都祁山口神社、當麻山口神社、耳成山口神社、鴨山口神社など。
古事記物語 (岩波少年文庫 (508)) | |
福永武彦 著 | |
岩波書店 |
火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)P24
Wikipediaによると《カグツチとは、記紀神話における火の神。『古事記』では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)と表記される》《神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された》。
泣澤女神(ナキサワメノカミ)P24
初めて古事記に奈良県が登場した。Wikipediaによると《『古事記』では泣沢女神、『日本書紀』では啼沢女命と表記され、哭沢女命とも書かれる。神産みの段で、妻のイザナミを亡くし、その遺体にすがって泣いたイザナギの涙から化生した女神。泉の湧き水の精霊神とされる。神名の「ナキ」は「泣き」で、「サワ」は泣く様子の形容である。「メ」とあるので女神である。『古事記』では「香山(かぐやま)の畝尾の木の下に坐す神」と記される。『延喜式神名帳』には畝尾都多本神社(奈良県橿原市木之本町に現存。通称「哭沢神社」)が記載されており、啼沢女命が祀られている》。この神社のご神体は、井戸だそうだ。
建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)P25
Wikipediaによると《『古事記』では建御雷之男神・建御雷神、『日本書紀』では、武甕槌、武甕雷男神などと表記される。単に建雷命と書かれることもある。別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)。また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)に祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる》《神産みにおいて伊弉諾尊(伊邪那岐・いざなぎ)が火神軻遇突智(かぐつち)の首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(あめのおはばり)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である》。
《元々は鹿島の土着神で、海上交通の神として信仰されていた。ヤマト王権の東国進出の際に鹿島が重要な地になってきたこと、さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになった。平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした》。
蒲子(えびかづらのみ)、笋(たかむな)P27
蒲子は山ブドウ、笋はタケノコ。このあと桃の実も登場する。
墨江の三前(すみのえのみまえ)の大神(住吉三神)P30
Wikipedia「住吉三神」によると《底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称である。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。海の神、航海の神とされる。住吉は「すみよし」は、元は「すみのえ」と読んだ。住吉の「吉」は古来では「エ」と読み、「住」(スミ)と「吉」(エ)の間に助詞の「ノ」を入れて、「住吉」は「スミノエ」と読んだが、平安時代の頃から「スミヨシ」と読むようになった》。なお住吉の地名は全国にある。住吉三神を祀る「住吉神社」があることに因んだものが多いが、「住み良し」に通じることから、好んで名付けられたそうだ。
淡海の多賀(多賀大社)P32
Wikipedia「多賀大社」によると《滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社である。 伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれてきた。 また、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社である。「お多賀杓子(お-たが-じゃくし)」と称し、お守りとして杓子(しゃもじ)を授ける慣わしがある。 これは「お玉杓子」や「おたまじゃくし」の名の由来とされている》《『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが、当社のことである。なお、『日本書紀』においては「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれ-みや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」との記述があり、淡路島に「幽宮」を構えたとされている》。
《室町時代中期の明応3年(1494年)には、神仏習合が推し進められ、当社には神宮寺として不動院(天台宗)が建立された。 神宮寺配下の坊人は全国にお札を配って信仰を広め、当社は中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で大いに賑わった。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子である神話体系を歌詞に映したものである。 なお、社に残る垂迹曼荼羅(すいじゃく-まんだら)は坊人が神徳を説くのに用いたものであり、これを掲げて神徳を説きながら諸国を巡行し、拝礼させたと考えられる。 また、多賀社隆盛の理由としては、近江国が交通の結節点であったことも挙げるべきであろう》。「お伊勢お多賀の子でござる」とは、面白い俗謡である。ちゃんと理屈にも合っている。
ほんの11のキーワードを解説しただけで、こんなに長い記事になってしまった。今まで知らなかったことや、知っていたことの別の意味などが分かり、これは有意義な「読もう会」だった。古事記を理解するのに役立つ用語ばかりなので、ぜひご参考にしていただきたい。
> 「なぞなぞ古事記」って、おじさん知ってる? 今日、見つけた。すげぇー。
なるほど。これは丁寧な『古事記』の解説ですね。
http://www1.cts.ne.jp/~nakoziki/
まだ「上」しかアップされていないようですが、参考にさせていただきます。