NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.11.2)掲載されたのは〈「大柳生の宮座行事」守る/夜支布山口神社(奈良市大柳生町)〉、執筆されたのは奈良市にお住まいの伊藤卓也さんだった。
※トップ写真は、夜支布山口神社の鳥居と拝殿(奥)=奈良市大柳生町で
記事に出てくる「大柳生の太鼓踊り」は、今は休止されているし、「廻(まわ)り明神」もなかなか見学することができないが、県のサイト「奈良県無形文化遺産映像アーカイブ」が動画をYouTubeにアップしてくれているので、ぜひ上記をご覧いただきたい。あわせて、記事内容を以下に貼っておく。
夜支布山口神社(大柳生町)
夜支布(やしゅう)山口神社は奈良市大柳生町(おおやぎゅうちょう)の氏神で、夜支布を「やぎゅう」と読む資料もあります。創建は不明ですが、「日本三代実録」によると、859(貞観元)年に朝廷から正5位上を授けられ、平安時代の延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)にも記され、1200年以上の歴史があります。
「大柳生村史」によると、800年程前、大柳生地区の三つの氏神(山口神社、立磐(たていわ)神社、戸隠(とがくし)神社)を現社地に移し、合わせて祭ったのが当社です。境内の摂社・立磐神社は背後の巨石をご神体とし、立磐神社の本殿(重文)は1747(延享4)年に奈良市の春日大社の旧社殿(第4殿)を移築したもので、「春日移し」と呼ばれます。
当社には、1年交代で「当屋」と呼ばれる長老の家に神さまの分霊を迎える行事「廻(まわ)り明神」が伝わり、「大柳生の宮座行事」として2017年に県無形民俗文化財に指定されました。
当屋の長寿を祝う「大柳生の太鼓踊り」も1978年に県無形民俗文化財に指定。若者が造花の飾りを背負い、胸につった太鼓をたたいて勇壮に踊っていましたが、10年程前から踊り手不足で休止中です。例年11月3日には、ご神体の黒箱等を次の当屋に引き継ぐ「当渡し」が行われ、伝統行事が大切に守られています。(奈良まほろばソムリエの会会員 伊藤卓也)
(住 所)奈良市大柳生町3089
(祭 神)素盞嗚尊(すさのおのみこと)
(交 通)近鉄奈良駅から柳生行き奈良交通バスで「大柳生」下車。徒歩約15分。
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり
(電 話)なし
※トップ写真は、夜支布山口神社の鳥居と拝殿(奥)=奈良市大柳生町で
奈良市の伝統芸能「大柳生の太鼓踊り/廻り明神」昭和60年
記事に出てくる「大柳生の太鼓踊り」は、今は休止されているし、「廻(まわ)り明神」もなかなか見学することができないが、県のサイト「奈良県無形文化遺産映像アーカイブ」が動画をYouTubeにアップしてくれているので、ぜひ上記をご覧いただきたい。あわせて、記事内容を以下に貼っておく。
夜支布山口神社(大柳生町)
夜支布(やしゅう)山口神社は奈良市大柳生町(おおやぎゅうちょう)の氏神で、夜支布を「やぎゅう」と読む資料もあります。創建は不明ですが、「日本三代実録」によると、859(貞観元)年に朝廷から正5位上を授けられ、平安時代の延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)にも記され、1200年以上の歴史があります。
「大柳生村史」によると、800年程前、大柳生地区の三つの氏神(山口神社、立磐(たていわ)神社、戸隠(とがくし)神社)を現社地に移し、合わせて祭ったのが当社です。境内の摂社・立磐神社は背後の巨石をご神体とし、立磐神社の本殿(重文)は1747(延享4)年に奈良市の春日大社の旧社殿(第4殿)を移築したもので、「春日移し」と呼ばれます。
当社には、1年交代で「当屋」と呼ばれる長老の家に神さまの分霊を迎える行事「廻(まわ)り明神」が伝わり、「大柳生の宮座行事」として2017年に県無形民俗文化財に指定されました。
当屋の長寿を祝う「大柳生の太鼓踊り」も1978年に県無形民俗文化財に指定。若者が造花の飾りを背負い、胸につった太鼓をたたいて勇壮に踊っていましたが、10年程前から踊り手不足で休止中です。例年11月3日には、ご神体の黒箱等を次の当屋に引き継ぐ「当渡し」が行われ、伝統行事が大切に守られています。(奈良まほろばソムリエの会会員 伊藤卓也)
(住 所)奈良市大柳生町3089
(祭 神)素盞嗚尊(すさのおのみこと)
(交 通)近鉄奈良駅から柳生行き奈良交通バスで「大柳生」下車。徒歩約15分。
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり
(電 話)なし
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