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江戸時代、犬が単独でお伊勢参りをしていた!/奈良新聞「明風清音」第45回

2020年09月18日 | 明風清音(奈良新聞)
犬が単独で伊勢参りをして、もといた場所に戻ってくる。しかもたくさんのお札やおカネを首に巻きつけて…。「参宮犬」とも呼ばれる不思議な犬が、江戸時代に数多く目撃されている。仁科邦男著『犬の伊勢参り』(平凡社新書)に出ていた話で、この本のことは岡本彰夫師から教えていただいた。何とも奇々怪々な話だが、事実だそうだ。この話を「江戸期・犬の伊勢参り」として、奈良新聞「明風清音」欄(2020.9.17付)に書いた。以下、全文を紹介する。

「GoToキャンペーンを利用して、お伊勢参りでもしようか」と考えていて、ふと以前読んだ仁科邦男著『犬の伊勢参り』(平凡社新書)を思い出した。岡本彰夫師が紹介されていた本だ。
カバーには《明和八年四月、犬が突如、単独で伊勢参りを始めた。以来、約百年にわたって、伊勢参りする犬の目撃談が数多く残されている。犬はなぜ伊勢参りを始めたのか。どのようにしてお参りし、国元へ帰ったのか? そしてなぜ明治になって、伊勢にむかうことをやめたのか?》。

本居宣長が吉野山などを巡り『菅笠日記』を書いたのが明和9(1772)年だから、その前年に始まった出来事だ。伊勢神宮は20年に一度、式年遷宮(せんぐう)をする。明和六年に遷宮が行われ、その二年後の話だ。

明和8年4月、大規模な「おかげ参り」が発生した。その人数は400万人を超えたという。同月16日正午頃、犬が外宮を参拝する姿が目撃された。《お宮の前の広前(広場)に平伏し、ほんとうに拝礼する格好をした。常に犬は不浄を食うものなので、宮中に犬が立ち入ることを堅く禁じているが、この犬の様子は尋常ではないため、宮人たちは犬をいたわり抱えてお祓(神札)を首にくくりつけて放してやった》。「平伏」とは単に犬の「伏せ」の格好なのだろうが、神官たちはそうは取らなかったのだ。

同年のおかげ参りは、丹後田辺(京都府舞鶴市)の子どもたちによる「抜け参り」がきっかけで起きた。それが通り道である京都府南部の子どもたちに伝播し、久世郡槙の嶋(宇治市槙島)の善兵衛の犬が伊勢参りをした。遊び相手だった子どもたちが突然姿を消したので、犬は子どもたちを追って伊勢をめざしたのだ。

結局犬は子どもたちには会えなかったが伊勢神宮に参り、帰ろうとする。首に札をつけていたので久世郡槙の嶋の犬だとわかる。《周りの人は国元へ帰してやろうと道案内までしてしまう》《神宮に着いた時点では首に銭を巻いていない。無一文で国元を飛び出した。ところが、帰り道の松坂では「首っ玉にお祓と銭を付け」ている》《善兵衛の犬は多くの人に見守られながら、ふるさとへ向かった。道を間違えそうになっても善意の人たちが正しい道に戻してくれる。こうして松坂から伊賀へ抜け、宇治市槙島まで百二十キロほどの道を戻って行った》。

安政年間にも伊勢参りの犬が目撃され、司馬遼太郎も半信半疑ながら『街道をゆく26』で紹介している。《店前や戸口に立って尾を振っている犬を見れば、江戸期の仙台地方のひとびとは、「ひょっとすると参宮犬ではあるまいか」とおもい、あわてて物を食べさせたのであろう。犬のほうでも、あるいはそう心得て渡世していた(?)のがいたのかもしれない》。

つまるところ、犬の伊勢参りとは何か。本書「あとがき」には《犬に信仰心があるか、と問うのは馬鹿げている》《人の心の動きが犬たちの行動に投影される。「これは伊勢参りの犬だ」と人々が認識しない限り、犬は伊勢に向かうことも帰ることもできない。犬たちは周りの人たちが期待しているように行動すれば、あるいは人と一緒にずっと歩いていれば、やがてうまいものにありつけること知っていたように思われる。それを「お参り」という行為に結びつけて解釈したのは人間である》。

明治に入ると野良犬(里犬、町犬、村犬)の存在は否定され、すべて個人による飼犬化が図られた。参宮犬の存在も、やがて人々の記憶から消えていった。何とものどかな人と犬の愛情物語、ご一読をお薦めしたい。



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