tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

紀氏の祖神を祭る「平群坐紀氏神社」/毎日新聞「やまとの神さま」第57回

2023年09月20日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.9.14)掲載されたのは〈夏祭りに子供相撲奉納/平群坐紀氏(へぐりにいますきし)神社(平群町)〉、執筆されたのは平群町在住の喜多村英夫さんだった。
※トップ写真は、平群坐紀氏神社の中央に通路がある割拝殿。奥に見えるのが本殿=平群町で

この神社は私もお参りしたことがあるが、拝殿の中央に通路がある「割拝殿(わりはいでん)」が特徴だ。石上神宮摂社の出雲建雄神社拝殿も、この様式である。では、記事全文を紹介する。

平群坐紀氏神社(平群町)
平群坐紀氏(へぐりにいますきし)神社は紀氏の祖神を祭り、辻ノ宮、椿ノ宮とも言われています。延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に「名神大(みょうじんだい)。月次新嘗(つきなめしんじょう)」との記載があり、延喜式名神祭に連座する285座の一つ。

平群谷が拠点の平群氏の末裔(まつえい)である紀船守(きのふなもり)が祖神、平群木菟宿禰(へぐりのずくのすくね)を祭ったと考えられます。

平安時代は平群町の椿井(つばい)にあったとされ、中世に天児屋根命(あめのこやねのみこと)を勧請し、春日神社と称しました。現在地に遷座し、改称した時期は不明です。

神社に付属する「神宮寺」である珍楽寺(ちんらくじ)(神仏分離で廃止)、手水鉢(ちょうずばち)、氏子用の座小屋(ざごや)(神事の詰め所)、中央に通路がある割拝殿、本殿など、昔の形式が残る平群谷の代表的な神社です。

同町の三つの大字(上庄(かみしょう)、椣原(しではら)、西向(にしむかい))の氏神で、座小屋が拝殿を挟むように三方に配され、、椣原の小屋のみ床板が敷かれています。本殿は春日造り(切妻屋根で棟と直角な面に入り口がある様式)で朱塗り、屋根は銅板ぶきです。

社務所には「珍楽寺」という仏間があり、本尊の十一面観音立像が祭られています。夏秋の大祭は三つの大字の「座衆(ざしゅう)」が催行します。宵宮祭には湯立が行われ、湯釜は1841(天保12)年の銘があります。夏祭り当日は6歳までの男児の相撲が奉納されます。(奈良まほろばソムリエの会会員 喜多村英夫)

(住 所)平群町上庄5の1の1
(祭 神)平群木菟宿禰(へぐりのずくのすくね)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)
(交 通)近鉄元山上口駅から徒歩約15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
(電 話)0745・45・4607


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田中利典師の「ルネサンス!山の宗教(3)困難な時代の庶民の味方 役行者は親しみあるスターです」(産経新聞)

2023年09月19日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、産経新聞夕刊「新関西笑談」に掲載された「ルネサンス!山の宗教(3)」(師のブログ 2013.8.18 付に全編掲載されたものを分割)、今回は役行者の話だ。師は役行者を〈日本宗教史上、聖徳太子、弘法大師・空海に次ぐスーパースター〉と語る。
※トップ写真は、大峯山・山上ヶ岳で師が撮られたご来光(9/15 林南院開創50周年記念登拝)

また〈奈良の歴史は吉野を含め県内全体で考えるべき〉と指摘される。飛鳥・藤原京と平城京だけでは、古代史だけにとどまってしまう。吉野は古代、中世、近世、近代と、いろんな時代の歴史の舞台として登場する、そのことを忘れてはいけない。なお私の「新関西笑談」(3)は、「OBがボランティアガイド」(2023.12.4 付)だった。では師の記事の全文を紹介する。

ルネサンス!山の宗教(3)2010.10.27
困難な時代の庶民の味方 役行者は親しみあるスターです。
金峯山寺執行長 田中利典さん 


--修験道(しゅげんどう)の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)(役小角(おづぬ)、7~8世紀)はどのような人物だったのでしょう
田中 役行者が生きた時代は豪族たちの群雄割拠から「日本」としてまとまって歩み始めたころです。内政的に大変革期で、外圧もあった。役行者は日本が産声をあげたときに活躍し、宗教的に象徴化された存在となった。国家体制が形成される際には庶民側の論理が蹂躙(じゅうりん)されるのが常で、役行者は庶民側に立った。それがために「続日本紀」にあるように伊豆島に流されました。

--流罪ということは、いかに庶民らへの影響力が大きかったかということでしょうね
田中 役行者は困難な時代に庶民側に立ち、反体制的なものが伝えられていく。日本宗教史上、聖徳太子、弘法大師・空海に次ぐスーパースターといえます。庶民の味方だったゆえに土俗的信仰である修験道の開祖となった。伝説も多く、そこに親しさとおおらかさが感じられます。

--空を飛んだという伝説はどう思われますか
田中 五穀・塩を断つ行をすると、体がものすごく軽く感じられる。そんな体験からするとまんざら空想の世界とも思えません。修行で心身離脱するのかもしれない。それに、役行者はお母さんに関する伝説も多い。非常にお母さん思いの庶民派だったのでしょう。全国各地で寺を開くが、住んだ寺はないというのもいかにも役行者らしい。

--そんな役行者が山上ヶ岳で感得した蔵王権現はどのような神なのですか
田中 恐ろしいお姿をした蔵王権現は内憂外患の時代に、役行者が悪魔をやっつける本尊を願って、出現した。現在も人心が虫食まれる悪世で、蔵王権現の人々を導く強い力が求められています。

--時代性が似ていると
田中 日本の人口は順調に増え続けてきたが、ここにきて減り始めました。これは大きな変化で、過去の節目を考えるべき。日本が成立し始めたとき蔵王権現が出現した。蔵王権現は力強い怒りの姿だが、その奥に仏の慈悲を秘めている。そんな神を生み出したあり方を考えるべきでしょう。蔵王権現は青黒い肌が慈悲を表しており、じっと拝んでいると、「怒」が次第に「恕(じょ)」(許すこと)に変化していきますよ。

--それは不思議ですね
田中 今は「仏像ブーム」ですが、仏像は見るのではなく、拝むものです。特別開帳では蔵王権現の前に発露の間を設けているので、さあ、あなたも正直に心の中をさらけ出して拝みなさい。

--怒の中に恕を秘めた蔵王権現を生み出した吉野・大峰は奥深いですね
田中 吉野は歴史上わりあいと反体制側に立ってきた。後醍醐天皇も南朝を開かれるなど、吉野は役行者以来反体制の精神が脈々と受け継がれている。壬申(じんしん)の乱で勝利した大海人(おおあま)皇子(天武天皇)以外はみな敗者だが、吉野は聖地性を持ち続け、再起を図る場として崇(あが)められたのです。

--再起を図る場というのはおもしろい。そうして吉野の歴史は1300年間連続しているのですね
田中 平城京は奈良時代にしか出てきませんが、吉野は日本史上連続して登場する。それに、平城京は飛鳥や藤原に都が転々とした末に誕生した都で、その間に聖地、吉野にも人々の行き来があった。奈良の歴史は吉野を含め県内全体で考えるべきです。(聞き手 岩口利一)
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殺人的猛暑で山火事が多発、南極のペンギン 1万羽が溺死!?

2023年09月18日 | 環境問題
まもなくお彼岸というのに、暑さがおさまらない。昨日(9/17)は新潟県で、最高気温が37℃を超えたと報じられていた。今夏(6~8月)は、統計開始以来、最も暑い夏だったそうで、私の周囲にも体調を崩す人が多い。私は身を守るため、外出を控えている。毎日新聞〈日本でいちばん暑い夏 平年より1.76度高く 統計史上最高〉(2023.9.2付)によると、
※トップ写真は、天川村のみたらい渓谷で撮影

気象庁は1日、今夏(6~8月)の全国の平均気温が1898年の統計開始以来最高だったと発表した。平年より1.76度高く、これまで最も高かった2010年(平年比プラス1.08度)を大きく上回った。

地域別では、北日本で平年を3.0度上回り過去最高となった。東日本(同プラス1.7度)で1位、西日本(同プラス0.9度)で1位タイだった。今夏記録した最高気温が年間を通じて観測史上1位(タイ記録を含む)となった地点は、全国915地点中128地点に上った。

気象庁によると、地球温暖化に加え、日本近海の海面水温が高かったことや7月に本州付近への太平洋高気圧の張り出しが記録的に強まっていたことなどが要因だという。楳田貴郁・気象庁異常気象情報センター所長は、今夏の特徴について「40度を超えた地点が多かったわけではないが、猛暑日日数が多く、暑い時期が長く続いている」と話す。

日本近海の平均海面水温も今夏は平年より1・0度高く、1982年の統計開始以来最高だった。8月は能登半島から山形県にかけての日本海沿岸で、初めて30度以上になった。

気象庁によると、9月も全国的に暑い日が続き、厳しい残暑となる見込みだ。日本気象協会の高森泰人気象予報士は「これまでの暑さで体に疲労が蓄積されている。9月は秋の気配を感じる時期だったかもしれないが、今年は引き続き高温の心構えが必要だ。外出を控えるなど臨機応変に暑さを避ける行動をとってほしい」と注意を呼びかける。【山口智】


こんな記事も出ていた。〈南極のコウテイペンギン ひな1万匹死ぬ?昨年 海氷溶けおぼれた可能性〉(朝日新聞 2023.8.31 付)。南極の海氷面積は、2023年2月に過去最少となった。ペンギンのひなは、生まれて4ヵ月後に巣立つが、それまでは防水性のある羽が発達しないので、年間を通じて氷が安定しなければ、移動できずに溺れてしまうのだそうだ。

国内でも〈リンゴ王国に危機、猛暑で「日焼け」が多発 「転換点が迫っている」〉(読売新聞 2023.9.15 付)。青森県で、果実の表面温度が高すぎて色が変化したり腐ったりする「日焼け」が多発し、売り物にならないという被害が出ているという。日焼けのリンゴは「例年の約10倍」だそうだ。

さらに〈山火事被害 20年で倍 年800万ヘクタール 温暖化影響〉(朝日新聞 2023.9.17 付)という記事もあった。山火事で800万ヘクタール(東京都の約40倍の面積)以上の森林が焼失していて、この数字は20年前の約2倍なのだそうだ。山火事が起きると、これがまた地球温暖化を促進するという悪循環に陥る。

温室効果ガスの排出を減らさないと、地球が壊れてしまう!

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田中利典師の「ルネサンス!山の宗教(2)白装束で「非日常」の修行 いったん死んでリセットする」(産経新聞)

2023年09月17日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「ルネサンス!山の宗教(2)」(師のブログ 2013.8.23 付)。「新関西笑談」(産経新聞大阪夕刊 2010.10.25~29)の連載の第2回で、修験道の「擬死再生」(死に装束で山に入って擬似的にいったん死に、聖なるものに触れる。それで生まれ変わって再び日常で生活する)の話である。
※トップ写真は、大峯山・山上ヶ岳で師が撮られたご来光(9/15 林南院開創50周年記念登拝)

一方、私が登場する「新関西笑談」の(2)は、「奈良はうまいものばかり」(2013.12.3 付)だった。いまだに「奈良にはうまいものがない」という人がいるが、『ミシュランガイド奈良2022特別版』には、101ヵ店が掲載されている、うまいものばかりではないか! まあこの話は別のところで書かせていただくとして、利典師の記事全文を以下に紹介する。

ルネサンス!山の宗教(2)2010.10.26
白装束で「非日常」の修行 いったん死んでリセットする。
金峯山寺執行長 田中利典さん


--「修験道(しゅげんどう)」とはどのような宗教、道なのか教えてください
田中 ひと言で言うと自然の宗教。日本独特の山岳、神祇(じんぎ)信仰と外来の仏教、道教、陰陽(おんみょう)道が融合して出来上がった。古来の信仰に外来の思想がうまく組み込まれ熟成されたのです。修験道は非常に日本ナイズされた仏教。明治に修験道廃止令が出されたが、修験には近代以前の日本人の神仏習合が脈々と残っているのです。

--そんな修験道は大きな可能性を秘めているわけですね
田中 今、街中で山伏の格好をしてたら、ちんどん屋さんと間違われるかもしれない。ある講演に山伏の姿で出たら、抱きつかれたことがある。オオサンショウウオみたいに、ほとんど天然記念物状態ですわ。変であるだけ「異界」のもので、山伏は体験し伝える貴重なものを秘めていると思います。

--ところで、仏教は極端にならない「中道」という立場をとります。釈迦は享楽を受けた後、苦行に入ったが、苦行の無意味さを知った。それなのに修験道ではなぜそこまでして厳しい山に登るのですか
田中 人は極端を知るからこそ真ん中を知ることができる。お釈迦さんは享楽と苦行の両方を知ってから後に中道を見つけられた。あのお釈迦さんでさえそうなのだから、私たち凡庸な者は自分なりに楽しい思い、苦しい思いをしてからそこにとらわれない生き方を知ることができる。頭で考えるのではなく、自ら実感すべきです。始めから中道ありきは凡人には分かりづらいと思いますよ。

--なるほど。実践を大切にするのが修験道なのですね
田中 山では一見自分の力で歩いているように思うが、自分の力で歩いていないと感じざるを得ないことも多々あります。山で危険な目に遭(あ)って助かると、何か大きなものに導かれ、守られていると体感する。普段の生活ではあまり仏様のおかげで生きているとは思わないでしょう。

--修験道の目的とされる「擬死再生」とはどういうことを言うのですか
田中 日本人は古来、「ハレ」(非日常)と「ケ」(日常)を行き来する知恵がある。ケでは気が衰え、穢(けが)れてくるので、元に戻るためにハレに入り、寺社参りや山修行で聖なるものに触れる。山修行で非日常を送る。山修行には白の死に装束で入って擬似的にいったん死に、聖なるものに触れる。それで生まれ変わって再び日常で生活する。つまりハレによってリセットする。これが擬死再生の修行なのです。

--ハレの山修行をすると何かが変わるのですね
田中 山修行を終えると「精進(しょうじん)落とし」をする。ある先達はせっかく聖なるときを過ごしたのに最後にどんちゃん騒ぎをしてもったいないと言う。でもそれは違うのです。

--後のどんちゃん騒ぎの方を楽しみに山に行く人もいますよね
田中 山修行を終えた人は自分では聖と思っているけど、日常側から見るとそれもある種の聖なる穢れ。それに、日常にあまり聖なるものが入って来るとバランスを崩すので少し精進で落とす。自分の中で精進は残っていくもので、聖なるまま帰らないのが大切。それを担いだまま日常で生きるのは周りには迷惑なことです。修行後に精進落としをして普通になっても立派な人は立派な人のままです。(聞き手 岩口利一)
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秋祭りに7台のだんじりが登場「十市御県坐(とおいちのみあがたにいます)神社」/毎日新聞「やまとの神さま」第56回

2023年09月16日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.9.7)掲載されたのは〈食物つかさどる農の神/十市御県坐神社(橿原市)〉、執筆されたのは同会会員で橿原市在住の亀田幸英さんだった。
※トップ写真は、5月5日の例祭時の十市御県坐神社

御県坐神社のことは以前、当ブログで詳しく紹介したことがある。またこの神社の秋祭り(10月の第2土曜日と翌日曜日)には、7台ものだんじりが登場することで知られている。では、全文を紹介する。


秋祭りのだんじり(2014.10.11 撮影)

十市御県坐神社(橿原市)
十市御県坐(とおいちのみあがたにいます)神社は橿原市北部を東西に流れる寺川の北側に鎮座します。創建年代は不詳ですが、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」神名帳(じんみょうちょう)に大社と記載された古社です。

主祭神の豊受大神(とようけのおおかみ)は食物をつかさどる神様で、伊勢神宮の外宮(げくう)の祭神として知られています。古来この地域は皇室の御料地。豊受大神は守護神として、庶民が野菜の生育を祈願する対象であり、農業の神様として信仰されてきました。

古代の大和国では、天皇に献上する野菜を栽培する直轄地を「御県(みあがた)」と言いました。「延喜式」にある祈年祭(としごいのまつり)の祝詞の中に「六つの御県」(高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布)の記述があり、各郡の名と土地の霊を祭る御県神社が記録されています。

地元の人たちの当神社に対する崇敬の思いは非常に厚く、十市町自治会が中心になって神社を守っています。その象徴が「だんじり」の存在。秋祭りに氏子によって引かれており、江戸時代中期に由来するそうです。

だんじりは市内に10台あり、橿原市指定民俗文化財です。うち7台が十市町にあり、江戸から明治にかけて制作されました。10月の第2土・日曜の秋祭りに登場し、最後は当神社の境内に宮入りします。(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)

(住 所)橿原市十市町1番地
(主祭神)豊受大神(とようけのおおかみ)
(交 通)近鉄新ノ口駅から北東へ徒歩約20分
(拝 観)自由
(駐車場)無
(電 話)0744・22・5344(辰己誠治・十市町自治会長)


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