tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「だから、山修行はやめられない」

2023年09月25日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は「大峯にて…」(師のブログ 2013.10.29 付)、師が『金峯山時報』に連載されていた「蔵王清風」の文章である。
※トップ写真は、大峯山・山上ヶ岳で師が撮られたご来光(9/15 林南院開創50周年記念登拝)

大峯奥駈修行をしていると、神秘体験ともいうべき体験をされるのだそうだ。師は〈大自然の中で神仏を拝むとは、こういう瞬間に出会えるということでもあるのだ。だからこそ、山修行はやめられない〉と結ぶ。では、全文をお読みいただきたい。

随筆「大峯にて…」
本宗の機関誌に連載している随筆。書きたてですが、早出しします。表題は「大峯にて…」。よろしければお読み下さい。

******************

「大峯奥駈修行ではどんな体験をされたのですか」と聞かれることがあるが、そんな大した人に誇れるほどの体験をしたわけではない。でもまあ出し惜しみをするわけでもないので、2,3の話を紹介している。

峯中、「七つ池」という靡(なびき)でのこと。この靡では、苔むした大きな古木の前でお勤めをする。そのときもまた、いつものようにその大樹の前で、般若心経を唱えていた。ふと見ると、目の前の大樹を一匹の青虫が、必死に上を目指して登っていた。般若心経を唱える間、その青虫を見つめていたが、お経の終わる頃、ひらめきのように「この青虫は前世の私だったのだ」と思った。山深い大峯峯中で一生を終えた、いつかの青虫だった自分の、前世の姿を見せられたような気がしたのだ。

「今生、人間として生まれてきて、今この大峯で、奥駈修行をさせていただいている。折角人間に生まれてきて、仏縁を得たのである。今生、この人間としての生を大切に、自分のするべき修行にもっと頑張らねばいけない‥」と、そういう気持ちが素直に湧いてきたのである。5分ほどのお勤めの間、数メートルしか進まない青虫の姿を見て、前世の自分に出逢わせていただいた、そんな貴重な体験をしたのだった。

またある年奥駈。その年は雨も多く、ぐったりとするくらい、峯中で疲れを感じていた。「七曜ヶ岳」の遙拝所だったと思う。いつものように皆で一心に勤行をしていたとき、私を取りまく全てのものと、私が繋がっているという自覚が、戦慄のように体を突き抜けたのであった。降りつづく雨、そしてその雨を受けている草も樹も岩も、山も空も風も、全てが自分と繋がっている。いや自然や宇宙そのものが私自身なのだと自覚したのだ。黙々と修行に専心する日々だからこそ、心と体が大自然にとけてしまう体験があるのだと思う。

峯中体験でもっとも感動したのは前鬼山へ降る坂の途中、「二つ岩」という行場での勤行中のこと。天上から白く大きな光に全身が包まれる感触に襲われたのだった。頭上からおりてきた光は、心も体も包み込んでいった。とても柔らかで暖かい光であった。そのとき「あぁ、もし自分が死を迎えるそのときは、こういう光に包まれる感覚でありたい…」とそう願ったのだった。

朝4時前から歩き出し、まだ陽の空けやらぬ時間から、夕暮れ近くまで歩き通したその日は、すでに11時間を越えようとしていた。疲労困憊の心身ではあったが、だからといって、気絶したわけではなく、意識は清々しいほどはっきりとしていた。

山を下りて、あの時のような、白く暖かい光に包まれて死を迎えるためには、日々の暮らしの中で、それに相応しい生き方をしなければならないと自分を恥じたが、大自然の中で神仏を拝むとは、こういう瞬間に出会えるということでもあるのだ。だからこそ、山修行はやめられないのだと思うのである。
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トラットリア・ラ・クロチェッタ(大和西大寺駅南口)で過ごす、贅沢なランチタイム!

2023年09月24日 | グルメガイド
先週のランチタイム(2023.9.22)、近鉄大和西大寺駅南口「Coconimo(ココニモ)SAIDAIJI」に入居する「Trattoria la Crocetta(トラットリア・ラ・クロチェッタ)」を訪ねた。ミシュラン掲載店の「リストランテ・リンコントロ」(奈良市薬師堂町)の姉妹店である。
「Coconimo SAIDAIJI」の公式HPには、
※トップ写真は、イカスミを練り込んだ冷製パスタ。旬の魚介がたっぷりトッピング!



全国各地から届くこだわりの食材で作るイタリア料理のお店。生ハムやサラミ等の加工肉、ジビエ料理が人気。季節ごとにお料理に合ったイタリアワインも多数ご用意しております。昼は2,700円(税込)のランチコースのみ、夜はアラカルト、一品料理を楽しめる居酒屋風バールです。テイクアウトでお家でも楽しんでいただけます。
open 11:00~15:00 18:00~22:00 定休日:毎週月曜日




もとは富雄(「つけ麺 無心」と「スーパーセンターオークワ富雄中町店」の中間)にあったが、「Coconimo SAIDAIJI」のオープンに伴い、移転してこられた。ランチは基本的に「おまかせコース」(税込み2,700円)のみ、それが写真の料理である。お店のHPには、



想いが行き交う「交差点」
「クロチェッタ」とはイタリア語で「交差点」「行き交う場所」といった意味があります。お客様と生産者さんの想いを繋ぐ場所、また、お客様の特別なシーンで(あるいは日常の)人と人の心の行き交う場所、そんなレストランを目指してお店の名前を付けました。



豪華なオードブル、新鮮な生野菜は曽爾村直送。中央奥のかき揚げの具はアオサだった!

クロチェッタは富雄での15年間を経て西大寺に移転いたしましたが、創業当初の想いを大切に、さらに皆様に愛されるお店を目指してまいります。


焼きたて熱々の自家製フォカッチャ(イタリアのパン)。お代りができた!

“足”であつめた、厳選素材。
全ての食材は、顔の見える生産者さんから届けて頂いたものを使っています。シェフ自ら日本全国の生産者さんの元へ足を運び、生産者さんの想いと環境を身体で感じ、伝えるべき力がある食材のみを使わせて頂いています。



冷製パスタ、トップ写真に同じ。アサリ、イカ、夏野菜が載る

北海道のボーヤファームさんや、奈良都祁村の猟師さんなど、紹介しきれなくらいの生産者さんのおかげでクロチェッタのお料理は成り立っており、全てお店で加工、手作り。パスタやパンはもちろん、生ハムやサラミの加工肉、アンチョビやカラスミ、リモンチェッロなど、出来る限りの食材は手間暇をかけて加工して提供しております。


サツマイモのリゾット。豚肉の燻製が載っていた。ご飯にも芋が入り、とても新鮮な食感だ

魚はもちろん、肉も塊で一頭単位で出来るだけ仕入れ、全てをお店で解体し、頂いた命を無駄にせず、骨まで全てを活かせる様に仕込んでおり、季節を感じてその時に一番美味しいものを提供して頂いております。


デザートは、レモンのバスクチーズケーキ

クロチェッタは自然体で楽しんで頂ける様なお店作りを考えています。お子様も歓迎ですし、ご家族やお友達とワイワイお食事を楽しんでもらえる様な雰囲気のお店です。時に綺麗なコース料理を楽しんでもらう日もあれば、ガッツリをみんなで囲むごちそう料理を取り分けて頂けたり。その日のゲストが求めるスタイルに合わせて楽しんでもらえれば幸いです。


小菓子(チョコレート)がついてきた。ミルクピッチャーは、猫だ!

前菜からデザートまで主要駅の駅前で、こんな本格的なイタリアンが税込み2,700円で味わえるとは、何とも贅沢な気分になる。ぜひお訪ねください!
コメント (2)
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田中利典師の「ルネサンス!山の宗教(5)自然とかかわり地球を守る。修験道通じて文化を見直したい」(産経新聞)

2023年09月23日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、産経新聞夕刊「新関西笑談」の最終回(2010.10.29付)、「ルネサンス!山の宗教(5)」(師のブログ 2013.8.18 付に全編掲載されたものを分割)である。
※トップ写真は、大峯山・山上ヶ岳で師が撮られたご来光(9/15 林南院開創50周年記念登拝)

修験道は山の宗教。平地の宗教と違い、山の宗教は野性的な生命力を秘めている。地球を守るのは山の宗教で、それが「修験道ルネサンス」、と話が展開する。なお私がインタビューを受けた「新関西笑談」の最終回(2013.12.6付)は観光の話で、「日帰り客を宿泊客に変えたい」だった。では師の最終回を以下に紹介する。

ルネサンス!山の宗教(5)2010.10.29
自然とかかわり地球を守る 修験道通じて文化を見直したい。
金峯山寺執行長 田中利典さん 


--執行長が提唱する「修験道(しゅげんどう)ルネサンス」とはどういうことなのですか
田中 平成12年に役行者(えんのぎょうじゃ)の1300年御遠忌(おんき)を迎えました。その前から「役行者ルネサンス」を唱え、それを機縁に「修験道ルネサンス」ということになった。修験道は日本人の精神文化を担ってきたが、明治の近代化政策は修験道を廃止し、これによって打撃を受けた。それで修験道を通じて近代を見直すことにしたのです。

--近代の見直しですか
田中 近代は日本文化を壊してきた。「グローバリゼーション」などまさにそれで、その土地にあった花や木があり、風土に根ざすものこそが文化。修験も駆逐された文化で、それを見直すことで近代のありようを考え直したい。修験には自然とのかかわり方が秘められています。

--修験道は今後注目されそうですね
田中 最近は権現(仏が神になって現れた姿)信仰について考えています。今、神仏習合が言われ始めているが、明治以前のあり方ではない。明治以前は権現が中心で、蔵王権現こそまさに神仏習合の姿。それを知ることが日本人の多様性を考えるうえで大切です。

--日本人の多様性とは
田中 神仏習合は単なる仲良しクラブではありません。多様性は大乗仏教が入ったことで普遍的になった。蔵王権現は釈迦の姿が権化し現れたもので、普遍性がある。すなわち「一即多」「多即一」。1つに多くが含まれ、多くは1つに起因している。蔵王権現は過去を表す釈迦如来、現在の千手観音菩薩、未来の弥勒(みろく)菩薩と言うが、それは1つの方便で、蔵王権現はお釈迦さんと同体です。

--「一即多」は華厳(けごん)経の考え方ですね
田中 そう。今まで蔵王権現についてこのような説明がされたことはなく、今、権現を「一即多」で読み説こうと思います。

--修験道ルネサンスというよりも「権現ルネサンス」ですね。ところで、きらびやかな伽藍(がらん)が並ぶ平地の宗教に対し、山の宗教は野性的な生命力を秘めていると思うのですが
田中 平地の伽藍というのはつまり都会の伽藍で、自然との関係が希薄になっていく。特に今、都会の論理で進めることは破綻(はたん)が見えつつある。山の宗教は自然とのかかわりがあり、地球環境を守るうえで大きな可能性があります。

--平城京の大寺と金峯山との関係は
田中 東大寺と関係が深い。説話によると、大仏造立の金が金峯山に求められたが、蔵王権現は「金峯山の金は56億7千万年後に弥勒が現れるときに敷き詰めるものだ。近江の石山で祈りなさい」と告げられた。その通りにすると陸奥から金が出たという。

--東大寺に遠慮してもらったようなものですね
田中 東大寺二月堂修二会(しゅにえ)(お水取り)で読み上げられる神名帳(じんみょうちょう)で、一番に登場するのが「金峯大菩薩」、つまり蔵王権現。こうしたことからいかに平城京と吉野山がつながっていたかがうかがえます。

--来年以降の「ポスト平城遷都1300年」はいかにお考えですか
田中 金峯山寺としてはここ10年ほど取り組んできたことがバージョンアップし今、「権現ルネサンス」となった。奈良県が持っている価値は寺社。しかし、行政は政教分離を言う。それが遷都1300年で寺社と連携し、奈良市以外の吉野などにも目が向きつつある。これを継続していただきたいです。=おわり(聞き手 岩口利一)

たなか・りてん 金峯山修験本宗宗務総長、金峯山寺執行長。昭和30年、京都府綾部市生まれ。龍谷大学仏教学科、叡山学院専修科卒業後、金峯山寺に入った。平成13年に同寺執行長などに就任。「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録を導いた。著書に「修験道っておもしろい!」「はじめての修験道」などがある。
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カフェダイニング H&B(大和西大寺駅南口)の 爽健美料理

2023年09月22日 | グルメガイド
今春(2023.4.28)、近鉄大和西大寺駅南口に「Coconimo(ココニモ)SAIDAIJI」という施設がオープンした。複数の飲食店が入居しているので、オープン時は大変な混雑だったと聞いていた。「まあ、落ち着いてから訪ねよう」と思っていると、8月11日(金・祝)に新たに「カフェダイニング H&B(エイチアンドビー)」がオープンした。
※写真は「H&Bプレート」2,400円(税込み、以下同じ)。左上のハーブ水は無料でお代り自由





もとは、あやめ池北通り沿い・秋篠川近くにあった人気のカフェだ(奈良市中山町西)。オーナーがJAMHA(日本メディカルハーブ協会)認定会員ハーブセラピストとか、日本統合医学協会会員セラピストなど様々な資格を持ち、「ヘルシー&ビューティー」な料理やデザートを提供されていた。殺人的猛暑で冷たいものを食べすぎていたので、「これはいい!」と水曜日(9/20)に訪ねた。「Coconimo SAIDAIJI」の公式サイトには、



栄養学を軸に、健康と美容を考慮し旬の食材・自家製発酵調味料・ハーブを使いこなしたお料理をメインに「メディカルハーブセラピストがブレンドする有機ハーブティー、手作りスイーツとスペシャルティコーヒー」でカフェタイムも楽しめます。腸内環境を整える食事を通して、お客様の健康と綺麗と幸せを叶えていきたいです。
open 9:30~11:00(Morning) 11:00~14:00(Lunch time) 14:00~17:00(Cafe time) 18:00~21:00(Dinner time) 定休日:毎週火曜日


「H&Bプレート」の説明書き。これが基本で、その日に変更があれば説明してくれる

店内は若い女性客ばかりで、ちょっと驚いた。ランチの食事メニューは、「ヴィーガン(完全菜食)プレート」2,300円と「H&Bプレート」(ヤマトポーク入り)2,400円の2種類、もちろん私は「H&Bプレート」を注文。30分ほど待って、料理が出てきた。



ひじき、切り干し大根、黒ごま、玄米、旬の野菜などを駆使したヘルシーな料理だ。ヤマトポークのフィレ肉は、長時間低温調理されていて、柔らかくて美味しい。ランチを一食いただいただけなのに、その後、私の腸は文字通り快腸である。

美味しい料理で「疲れた腸をいたわりたい」という方は、ぜひお訪ねください!
※お店の公式インスタグラムは、こちら
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田中利典師の「ルネサンス!山の宗教(4)自然と『共生』は『共死』伴う。山の神に祈らずして保全はない」(産経新聞)

2023年09月21日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、産経新聞夕刊「新関西笑談」に掲載された「ルネサンス!山の宗教(4)」(師のブログ 2013.8.18 付に全編掲載されたものを分割)である。この年、師は「紀伊半島の美しい森林づくり協議会」理事長に就任されたので、森林の話が登場する。
※トップ写真は、大峯山・山上ヶ岳で師が撮られたご来光(9/15 林南院開創50周年記念登拝)

印象的だったのが、「植林の山に神はいない」という師の言葉だった。人工林ばかりの山になり、山の生態系が破壊された。昨年は放置ゴミ(不法投棄)を求めて、熊が出没したというニュースが流れていた。広葉樹が減ったので、餌となるドングリも減っているのだ。なお私が紹介された「新関西笑談(4)」は、「細部まで凝ったツアーは大好評」という話だった。では師の全文を紹介する。

ルネサンス!山の宗教(4)2010.10.28
自然と「共生」は「共死」伴う 山の神に祈らずして保全はない。
金峯山寺執行長 田中利典さん 


--執行長は吉野・大峰を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」を世界遺産登録(平成16年)へと導かれました。どのような思いがあったのですか
田中 山の聖地性と自然の豊かさを守りたいがために登録の運動を進めました。しかし、登録後、山に入ると、今まで見られなかったようなところでも多くの登山者に出会うようになった。山を守りたいという一心で登録に導いたのに、それによって反対に自然が荒らさるのではないかという危惧(きぐ)が生まれました。

--少し後悔されたのですか
田中 山が荒れることを心配しながらその年は歩き、最後に拝み返しという場所で、山並みに向かって勤行したときのことです。「お前が手を挙げて世界遺産登録されたことによって多くの人が入山し自然が荒れたとしても、それを自分のせいとして考えるのは大きな思い上がりだ。人間は自然の一部で、荒れるというのなら自然は人間とともに死んでやる」。そんなことを大峰の神々に言われた気がしたのです。

--山伏らしい神秘的な体験のようにも聞こえますが、どういう意味なのでしょう
田中 人間は「自然との共生」と簡単に言うけれど、「共生」は「共死」を伴うのです。一緒に死ぬということを前提に考えないと、本当の共生はできない。だからこそ自然を守っていかないといけないと強く思いました。

--各方面に引っ張りだこの中、8月には「紀伊半島の美しい森林づくり協議会」の理事長にも就任されました
田中 山伏が声をあげたからって森林の間伐は進むとは思わないが、共生は共死を伴うという危機感があります。行政だけでなく民間の動きも大事。山が荒れると川が荒れ国土が荒れることを考えると、国だけに任せておけません。間伐は行われるが、間伐材を山から出してそれを生かす循環システムはまだ構築されていない。間伐材で紙や燃料を作るなどのシステムを成功させ吉野から全国に広げたいのです。

--間伐されないままの暗い森も多いようですね
田中 間伐も大切ですが、根底にはこんなことがあります。山伏は山を曼荼羅(まんだら)世界として崇(あが)め、かつて一般の人々も山に聖なるものを見いだす感覚がありました。それが、山は商売道具とされ、目に余る勢いで植林された。そんな経済、物質至上主義が山を荒らした。昔は山の神に祈りながら作業をしたもので、こういう精神なしでは本当の山の保全はありません。

--本来の山はどんな姿だったのでしょう
田中 植林の山に神はいないと思います。自然林に風が渡り、日が差し、鳥が鳴き、下草が生えているところにこそ神々しさを感じる。日本人はそういう感覚を必ず持っている。吉野の桜も枯れている木が多く、他から桜を持ってきて植えたのが一因らしい。これは桜を神木としてでなく物として考えたため。現代社会は神仏よりも金が中心になってしまったのです。

--山の再生にはやはり野性的な山伏の力が必要ですね
田中 近代の災いに気づいて山を再生させ、美しい国土を取り戻すことを提唱するのが、現代の山伏の役目だと思います。(聞き手 岩口利一)
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