

前の兄ちゃんが『山に行ってきた・・』と、裏からウチに入ってきた。
山といっても魚沼丘陵で、ウチといっても家ではなく敷地のことだけれど、山からの戻りはいつも近道をしてウチの裏から帰る。
背中にリュック、腰にはアイゼンをぶら下げ、肩にかけている手提げ袋からウドの頭がのぞいていた。
斜面に生えるウドやゼンマイを採るためにアイゼンを持っていく人は、このあたりでは彼しかいない、流石に教師。
他の何人かから山にウドはまだ出ていないと聞いたのが6日前だったけれど、やっと出始めたようだ。
1本太いのを貰ったので、さっそく夕飯に味噌をつけて生で食べる。
かじると、ほんのり上品なウド独特の爽やかな苦さが味わえて、『これこれ、これを食べたいからここに居るんだ』と思える。
画像はひとかじり食べた後の『そうそう、撮らなくちゃ・・』という後先事情で、いまいち伝わらないかもしれない。
横は三月菜のお浸しで、これから毎日茹でて食べることになるのだが、自作だということもありほろ苦さが堪らなく旨い。
2枚目画像;木瓜(ボケ)が石垣から垂れ下がって咲き出したが、ウチのボケはどこのボケより頼り無さそうで、らしさを醸し出す。
どれぐらい大きくなるのでしょう?
お芋を掘って筋がでてきて、亀の餌にしたらカラスと猫がほぉうばっています。
ウドは1年サイクルの草本ですから、大木という事がそもそもおかしな話。
出始めの芽のときに食うわけですが、どんなに刈り採ってもでてくる生命力があります。
そうして、たしかにウドは木のように枝葉を広げて大きくなり2m以上になります。
そういうイメージからすると、『ウドの大木』と他人を揶揄するのは、『でかいばかりでどうにも使えない奴、食えない奴』ということではないかと。
きれいに出来上がったお浸しが三月菜。
画像から小松菜のお浸しなのかと思ったら、小松菜なのは確かなのですね。
「三月菜」調べてみました。
自作のお野菜を「毎日」調理~美味しく頂く...
その記録だけでも立派なブログが成立しそうですね。
包丁のお手入れも怠りないご様子、お浸しの仕上がりから勝手に推測したりしています。
え?そうなんですか?
初めて知りました、なんと間抜け。
こちらでは、三月菜として種は売られてるので、そういうものだと思ってました。
もう少ししたら五月菜のとう菜が食べられるようになります。
こちらは、また何とかいう菜だそうで。
苦み走ったこちらの方が好きだという人もいます。
野沢菜ももうすぐとう菜として食べられます。
三種類のローテーションで食べ飽きないようにしなくては、なんて思ってます。
包丁はすごく切れます。
かなり深く指を切ったこともあり、それ以来、同じ間違いはしないようにと気をつけているぐらいなもんです。