エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

環境月間に

2007-06-08 | 環境問題
 昨年の明日2006.6.9は東北地方南部の梅雨入りだった。その日6/9に、庭のバイカウツギが咲き始めた。今年は今日6/8に咲き始めた。でも今年の梅雨入りは遅れそうだ。

  【咲き始めた八重のバイカウツギ】

 6月は環境月間、昔書いたエッセイを読んでみた。

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地球守るためできることは」   (1994.5)

環境教育は常に私のキーワード教材であった。「自然観察スケッチ」は、学校敷地内の小さな自然との対話である。目をつむり、音やにおいや空間を感じたままにまとめる。生徒が驚き感動することは、「学んで良かった」につながる自然環境教育であった。
常々、生徒に「なぜ緑の自然が大切なのか」と言った素朴な疑問を投げかけ、「一度失われた自然は再び生き返らない」ことや「人間も生物の一員である以上、自然と調和して生きて行かなければならないこと」を繰り返し述べてきた。そして地球の大気が四十五億年という長い時間をかけて造られてきたこと、この大気の微妙なバランスを人間が数十年という短い間に崩そうとしていることを訴えてきた。
地球は宇宙船である。私たち一人ひとりが自分の生活を見直し、かけがえのない地球を守るために何ができるかを考えたい。できることから実践することが大切なのである。
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爽やかなクマシデ

2007-06-06 | 自然観察

もうじき梅雨入りだろう。夕方から雨降り、遠くで雷もなっていた。
 梅花ウツギの真っ白なつぼみが膨らみ、アジサイの額が目立って大きくなった。
 この時期一番爽やかなのがクマシデだ。毎朝、2階のカーテンを開けると、爽やかなクマシデの白い実が目に鮮やかに飛び込んでくる。
 庭に2階の屋根以上の大木に育ったクマシデは、30年も前に園芸店の通販で取り寄せたものだ。実はナラノキを注文したのに、届いた10cmくらいの苗は、その後クマシデであることが分かった。梅雨の入り間近には、いつも趣きのあるかさかさした実を付けてとても爽やかだ。クマシデは葉も何ともいえずすっきりして爽やだ。先端はとがり、ふちは鋸歯で、側脈が約20本きれいに並んでいる。
図鑑を見たら雌雄同株とあり、少し前に見た垂れ下がった細長い穂は雄花で、今鈴なりになっている実が雌花であることが分かった。
実生から数センチに育ったクマシデとトウカエデの小さい芽を寄せ植え盆栽にして楽しんでいる。
毎日緑に囲まれ、自分を見つめ、自然を楽しむ豊かさを思っている。

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漢字:熊四手
分類:カバノキ科クマシデ属
分布:新潟県、福島県以南 四国九州の冷温帯、暖帯上部に多く分布する固有種で、
   雑木林の主要な構成種。
用途:成長が遅く、硬い。農具の柄や炭材、シイタケの原木に使われる。
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美しいものに感動できる心

2007-06-05 | エッセイ
 
庭に一木一草の個性を観察する。葉上をあるいは下草の茂みを這う小さな虫たちを見つめる。訪れる鳥や蝶を目で追う。庭のすべての自然が不思議でならない。そしてささやかな感動が広がる。
 ところで目にする小さな自然は誰の目にも同じように映っているのだろうか。時々そんな疑問を抱き妻に笑われることがある。確かに眼球を通った映像は、一枚の写真のごとく誰の網膜にも同じように写るのであろう。例えば松の緑、咲き出した薔薇の黄色が風のそよぎに一段と美しいが、こうした自然を見る心の動きは誰でも同じではない。
 しかし目からの情報は伝達の過程に加工され、各人の心の動きに変えられる。この変換が人の個性であり情操、感性に違いない。 昨今、ものの豊かさが心の豊かさではないことに気づいた人間にとって、美しいものに感動できる情操は必須である。心豊かな人生を送るための人間教育の基礎はそのあたりにあるに違いない。

旬の味 ジダケ

2007-06-04 | 食文化
 
 今年も、ご近所から季節のジダケをいただいた。
 犬の散歩から戻り、林の木漏れ日が爽やかな日陰の庭で皮むきをした。
 小鳥のさえずりが静寂に響く静かな朝に、昔日の思い出が巡った。

 今の季節、子どもたちを連れてジダケを採りに行ったのは、もう30年近くも前のことだ。数年旬のタケノコ採りに通った布引き高原は一面高原ダイコンの産地で、畑の周囲にクマザサが茂っていた。最近は、時代の流れで一大風力発電基地になっているようだ。景観も一変したのだろう。
 ジダケ採りは、山が深いので自分の位置が分からなくなってしまう。子どもも一緒なので道路沿いをあまり奥に入らずに採った覚えがある。ラジオを木にぶら下げておいたり、中には塩ビテープで印を付けている人もいると聞く。
 竹藪の中で、かがんで汗を流しながら手を伸ばし1本1本を採った。自分だけの空間に、呼吸が聞こえた。もう行くことはないかも知れない懐かしい思い出が浮かんだ。

 焼いて食べる手頃な長さのジダケは残して、ナイフで縦に傷を付けて先端を斜めにカットする。ざるに取った、剥いたタケノコの緑がきれいだ。
 今夜は、ニシンとジダケのみそ煮一品が食卓に載るだろう。
 
 早速、朝食に間に合わせようと、台所のガスレンジでジダケを焼いた。剥かないジダケを網渡しに乗せ、皮が真っ黒に焼けると中のタケノコが蒸れて、食べることができる。味噌とマヨネーズで食べると歯触りの感触がよく、とても美味しかった。


大野哲司画集 懐かしい川俣

2007-06-01 | 文芸
           【「川沿いの町」1975年】

 先日、従兄弟から大野哲司画集をいただいた。
二科会で活躍する川俣在住の画家で、その存在を初めて知った。
今春、福島で個展を開いた時に、従兄弟が招待され、その際に求めた画集だった。
従兄弟は大野画家と川俣の小学校の同級生だったようだ。

 半抽象的な色彩鮮やかな絵が多い。外国の風景画多いが、中に磐梯山や川俣の風景画いくつかあった。川俣の蔵の風景は懐かしいものだった。
「川俣風景」(1973年)が2作品。「みぞれ降る日」(1974年)。「川沿いの町」(1975年)が納められていた。
 思えば東京の会社勤めを辞め、初めて川俣へ移り住んだのが1972年だった。
それから6年間、白壁の蔵が建ち並ぶ広瀬川沿いの一角に住んでいた。これらの作品はそのころ描かれたものだ。懐かしい思い出深い景色を鑑賞できた。
 絵の中の、川沿いの道を歩く姿は私であったかも知れない。


【「日本橋」2006年】