昨日12/8は特別の日だった。1941.12.8の真珠湾攻撃、日米開戦の日だ。新聞には、それでもと隅々まで目を通したが、関連する記事は全くなかった。時折、平和や戦争について考える時があってもいいと思う。でも、関連するいくつかのTV番組を視聴できた。
12/7NHKp.m10:00「”日米開戦”を語る。海軍はなぜ過ったのか。」
12/8p.m7:30クローズアップ現代「売られる日本兵の遺品、米国で」だ。
あらためて平和な日本を思った。と同時に、いまだ世界中で戦争の悲劇が繰り返えされている事実を思った。
12/8の戦争の歴史も、いつか遠い彼方に忘れられてしまうのだろうか。
今朝4時からのラジオ深夜便・こころの時代を聴いた。「特集・わが人生の歌語り」 五木寛之氏のアンコール放送だった。戦後間もない頃、辛い五木少年の北朝鮮からの逃避行の話しは涙なしには聞けなかった。
戦後すぐの、自分の幼い頃が若かった父や母の姿とともにおぼろげに浮かんできた。両親と兄弟と5人家族が慎ましく暮らしていた光景が浮かび、平和なそれなりに幸せだった家庭を思い目頭が熱くなった。のほほんと過ごしてきた我が半生と、苦労して育てたであろう両親のこころをいま老いてしみじみと思っている。
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以下は11/8付け 朝日新聞・天声人語の一部
▼批評家の小林秀雄が能について述べた一節を思い出す。〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉。名高いくだりを借りて大胆に言うなら、「『大切な命』がある。『命の大切さ』という様なものはない」となろうか▼抽象的な「命の大切さ」でおしまいにせず、ひとりの「大切な命」についてこそが、もっと語られるべきだろう。「戦争の悲惨さ」は遠くても、「悲惨な戦争」の体験を聞けば、平和への思いは質量を増していくに違いない▼今日が何の日かを知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。わが身も含めて4人に3人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。