透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「沈黙の春」レイチェル・カーソン

2020-07-29 | H ぼくはこんな本を読んできた

 日々変化に乏しい生活が続くと書くことがない。だが、同じことを繰り返す日常が続くことこそ幸せなことなんだ、と改めて思う。

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そんな日のために設けたカテゴリー「ぼくはこんな本を読んできた」。今回は『沈黙の春 ―生と死の妙薬―』レイチェル・カーソン(新潮文庫1974年2刷)。改めてこの本の内容を記すまでもないだろう。化学薬品による環境破壊を警告した先駆的な1冊、とだけ記す。

20代で読んだことが水色のテープが貼ってあることからすぐ分かる。残った文庫本には水色のテープを貼ったものが多い。処分する時、このことを意識してたのかどうか。まあ、若いころ読んだ本は取り出すことができない記憶の基層に残っているのかもしれない。それは今でもものごとを考え、判断する際にあるいは有効に働いているのかもしれない・・・。


 


「パラサイト・イヴ」瀬名秀明

2020-07-27 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『パラサイト・イヴ』瀬名秀明(角川ホラー文庫1997年3版発行)

 映画が大ヒットした『ジュラシック・パーク』の原作者、マイクル・クライトンはハーバードで医学を修めた。クライトンは科学的な専門知識をベースに、サスペンスフルな長編小説を何作も残した。





『パラサイト・イヴ』には生化学に関する専門用語が多用されていて、巻末にはその解説が付いている。リストアップされている参考文献の大半は論文だ。カバー折り返しに載っている瀬名さんのプロフィールは次の通り。**一九六八年静岡県生まれ。九六年東北大学大学院薬学研究科(博士課程修了)。九五年、本作で第2回日本ホラー小説大賞を受賞。

以前松本清張の『火の路』について論文小説だと書いたが(過去ログ)、専門的な知識を駆使して書かれた小説はおもしろい。





「空海の風景」司馬遼太郎

2020-07-26 | H ぼくはこんな本を読んできた


『空海の風景 上下』司馬遼太郎(中公文庫2006年改版24刷(上)、2005年改版21刷(下))

 司馬遼太郎の作品は何作か読んだが、大半を処分した。この作品を処分しないで残したことに積極的な意味があるわけではない。ただし空海について書かれた本は今までに何冊か読んできた(過去ログ)。

上下両巻の本書紹介文を引く。**平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。**

**大陸文明と日本文明の結びつきを達成した空海は、哲学宗教文学教育、医療施薬から土木潅漑建築まで、八面六腑の活躍を続ける。その死の謎をもふくめて描く完結篇。**昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞

空海の起伏あれど幸運で充実した生涯について書かれたものは何作もあるが、司馬遼太郎の文体が好きな人はこの作品によって、空海について知ることも良いかもしれない。

ぼくも再読したい、って、この先、そんなにあれこれ読めるかなぁ(と常々思っている)。


 


「「いき」の構造」九鬼周造

2020-07-24 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 ブログのカバーを火の見櫓のある風景のスケッチに替えた。夏だから寒色系の色が良いだろうと思った。カバーのすぐ下に来る写真もこの本のような同系色が合う。

さて、「ぼくはこんな本を読んできた」だが、今回は『「いき」の構造』九鬼周造(岩波文庫2011年第52刷発行)

『「いき」の構造』という本があるということは前々から知ってはいたが、なぜか読む機会がなかった。ぼくがこの本を読んだのは2011年10月。ただし岩波文庫ではなく、講談社学術文庫で。その時に書いたブログの記事を再掲する。



「いき」とは何か・・・。九鬼周造は深く思索し、周到に論考する。

**運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。(160頁)**

広い意味での文化論。芸術論として読むこともできるし、人生論として読むこともできる。恋愛論として読むこともできるだろう。それほどボリュームがあるわけではないから、読むのにそれ程時間を要しない。再読してみたい1冊。


メモ:第5章「いき」の芸術的表現 では建築についてもかなり具体的に論考している。

 


「どくとるマンボウ航海記」北 杜夫

2020-07-23 | H ぼくはこんな本を読んできた

 今日(23日)から4連休! 東京オリンピックの開会式の予定日であった7月24日に合わせて海の日とスポーツの日、このふたつの休日が変更された結果だ。海の日は7月の第3月曜日から今日に変更され、スポーツの日は10月の第2月曜日から明日に変更された。

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今日は海の日だから、「ぼくはこんな本を読んできた」も海に関係する本にしようと思い『どくとるマンボウ航海記』北 杜夫(新潮文庫1974年23刷)にした。

既に何回も書いたが、5月に本をおよそ1,700冊処分した。1,400冊あった文庫本も大半を処分した結果、250冊になった。

夏目漱石と北 杜夫、安部公房の文庫本はほぼ全てのおよそ80冊を残した。この3人の作品が残した文庫本の3分の1を占めていることになる。いずれ、この3人の作品も減冊することになるだろう。

北 杜夫で残すのは『幽霊』『木精』『どくとるマンボウ青春記』。この3作品に『どくとるマンボウ航海記』を加えるかも。いや『黄いろい船』も『楡家の人びと』も『少年』も・・・。北 杜夫には好きな作品が多い。

例によってカバー裏面の本作品紹介文から引く。**水産庁の漁業調査船に船医として乗りこみ、五カ月間、世界を回遊した作者の興味あふれる航海記。(中略)独特の軽妙なユーモアと卓越な文明批評を織りこんで描く型破りの旅行記である。のびやかなスタイルと奔放な精神とで、笑いさざめく航跡のなかに、青春の純潔を浮彫りにしたさわやかな作品。**


 


「銀の匙」中 勘助

2020-07-19 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 名作は永く読み継がれる。中 勘助の『銀の匙』、岩波文庫では1935年(昭和10年)の発行、手元にあるのは2003年改版第5刷

カバー折り返しの本作紹介文を引く。**なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽匣(ひきだし)から見つけた銀の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を、中 勘助が自伝風に綴ったこの作品には、子ども自身の感情世界が素直に描きだされている。**

解説を和辻哲郎が書いているが、それによると『銀の匙』の前篇は明治44年の夏、野尻湖畔において書かれたそうだ。そうだったのか、信州で書かれたなんて知らなかったなぁ。その時中 勘助は27歳だったとのことだ。それにしても少年時代のことを細かなところまでよく覚えていたものだ。

**(前略)描かれているのはなるほど子供の世界に過ぎないが、しかしその表現しているのは深い人生の神秘だと言わざるを得ない。** 和辻は解説文をこのように結んでいる。

再読したい1冊。


 


「寺田寅彦随筆集 第一巻」

2020-07-18 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 「ぼくはこんな本を読んできた」 本稿からはパラフィン紙のカバーがついた文庫ほど古くはないものを載せていく。まずは『寺田寅彦随筆集 第一巻』小宮豊隆編(岩波文庫1994年第76刷)

物理学者にして優れた随筆の書き手でもあった寺田寅彦。夏目漱石の門人で「吾輩は猫である」には寅彦がモデルと言われる人物(水島寒月)が登場する。

寺田寅彦随筆集は岩波文庫で第一巻から第五巻まで出ている。残念ながら手元にあるのは第一巻のみ。岩波はこの随筆集を絶版にはしないだろうから、今でも書店で入手できるだろう。

「科学者と芸術家」には次のようなくだりがある。**観察力が科学者芸術家に必要な事はもちろんであるが、これと同じように想像力も両者に必要なものである。(中略)一見なんらの関係もないような事象の間に密接な連絡を見いだし、個々別々の事実を一つの系にまとめるような仕事には想像の力に待つ事ははなはだ多い。また科学者には直感が必要である。古来第一流の科学者が大きな発見をし、すぐれた理論を立てているのは、多くは最初直感的にその結果を見透した後に、それに達する理論的の径路を組み立てたものである。**(91、92頁)

建築設計にもこのようなことが言えるだろう。直感的に見出した最終的な形に、後からそれに至る理路を導き出すというデザインプロセスを採るのだから。このことに関して僕は以前次のように書いている。

**なんとなくコーンが好きですから・・・などという説明では発注者はその採用を渋るかもしれません。採用するデザインにいかにもっともらしい理屈を後からつけるか、建築に限らず広くデザインにかかわる人たちに必要な能力、といってもいいでしょう。そう、はじめに理屈、理念、コンセプト(どの言葉でもいいですが)ありきではなく、それはあくまでも後から考えだすものなのです。結果(デザイン)から川を遡って源流の理念、コンセプトに到達するんです。**(2007.07.12)





「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」

2020-07-12 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 この『レオナルド・ダ・ビンチの手記』(岩波文庫上巻:1978年第24刷 下巻:1977年第19刷)を以ってパラフィン紙のカバー付き(*1)文庫の掲載を終了する。まだ少し残ってはいるが、一応の区切りとしたい。そして今後はこのカテゴリーへの掲載頻度を落とし、他のカテゴリーの記事を書きたい。

レオナルド・ダ・ビンチはモナリザはじめ、名画にその名を残したが、生涯を通じて数多くの手記も残している。内容は人生論、文学論、科学論など多岐に亘る。

上巻に書かれているが、レオナルドの手記の約5,000枚がフランス、イタリア、イギリスなどの各地に現存しているという。そんなに昔のものが・・・、と思う。調べるとレオナルドは1425年にイタリアはフィレンツェ郊外の寒村ヴィンチで生まれ、1519年にフランス中部の町アンボワーズで客死している。日本の歴史では室町時代の人だ。

『徒然草』が書かれたのは1330年ころ(1349年との説もあり)で、レオナルドが生まれる前のことだが、その随筆が残っていて、今でも簡単に入手して読むことができるのだから、レオナルドの書いたものが残っていることはそれ程驚くことでもないのかもしれない。

ぼくがこの2冊を買い求めたのが1978年9月のこと。当時住んでいた都内のアパートの一室で読んだのだろう。このような本にまで興味が及んでいたことにぼく自身が驚いてしまう。いくらあの頃も「何でも読んでやれ精神」だったとしても・・・。


*1 撮影のためにカバーを外している。


「徒然草」兼好法師

2020-07-12 | H ぼくはこんな本を読んできた

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらずの「方丈記」。春はなんてったって アイド~ル、もとい、なんてったって あっけぼのよね~の「枕草子」。そして、つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれの「徒然草」。以上が日本三大随筆と評されているとのこと。

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先日『方丈記』を載せたが今日(12日)は兼好法師(吉田兼好)の『徒然草』西尾 実 校注 岩波文庫(1969年第52刷)。50年以上も前の本。

第109段 高名の木のぼりの「あやまちは、やすき所に成りて、必ず仕る事に候」、この油断大敵という戒め。それから過去ログに書いた第52段 仁和寺にある法師の話などは生活心得として覚えておきたい。


 


「海の沈黙」ヴェルコール

2020-07-11 | H ぼくはこんな本を読んできた



 書棚から取り出した古い岩波文庫。『海の沈黙・星への歩み』、作者はフランスの作家・ヴェルコール。奥付けを見ると昭和四八年二月一六日 第一刷発行となっている。この頃★★はいくらだったんだろう。

**『海の沈黙』も、『星への歩み』も、ヴェルコールにとって、またおそらくは地上のよき意志の人々にとって、決してすぎ去った昔の物語ではない。**(168頁) 訳者の一人・加藤周一はこのように書いている。

この『海の沈黙』を読むきっかけ、それはこの小説がテレビ番組で取り上げられていたことだった。ずいぶん昔のことだが、冒頭の部分が朗読されたことを覚えている。

もう一度読まなくてはならない作品。


2019.08.03 掲載記事 改稿再掲(カテゴリー変更)


「歴史における個人の役割」プレハーノフ

2020-07-10 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 代わり映えのしない写真が続く。

今回は『歴史における個人の役割』プレハーノフ(岩波文庫1974年第19刷)

ぼくは今の派手なカバーの文庫より、昔のパラフィン紙のカバーの文庫の方が好きだ。この地味な文庫に親しんだ古い人間だからか。いや、濃い内容をじっくり読むというイメージが伝わるから。

本扉に750926~という書き込みがる。この文庫を読み始めた日を示している。このようにメモ書きしてあると後年分かる。だが、この頃は本に書き込みをすることをあまり好まなくなって、あまりしなくなった。替わりにブログに記録している、というわけ。

この本を読んだという記憶はないが、上記のように読み始めた日のメモ書きがあるから、買っただけでなく、読んだのだろう、たぶんタイトルが気になって。それに本文に数ヶ所傍線を引いてある。

この文庫には紐の栞が無い。栞代わりにしたのだろうか、カフェなどで供されるストローの袋が挟まっていた。端を五角形に折ってある。これは? 記憶にないなぁ。


 


「初雪」モーパッサン

2020-07-09 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 小学生のころはジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』や『海底二万里』、『八十日間世界一周』、『地底旅行』などの作品(子ども向けにリライトされた作品だったのかもしれない)を読んではいたが、外で遊ぶ方が好きだった。

中学生の時に松本清張の『砂の器』を読んで、読書好きになり、その後『初雪』モーパッサン(角川文庫1972年16版)なども読むことに。

モーパッサンと言えば長編の『女の一生』が知られているが、短編も数多く残している。『初雪』は、この文庫でわずか15頁の短編。この記事を書き始める前に読んでみた。

秀作だとぼくは思う。こんなに短くてこんなに深く女性の心理を描いてしまうとは・・・。未読の方には一読をおすすめします。


この頃の角川文庫にも紐の栞が付いている。


「家郷の訓」宮本常一

2020-07-09 | H ぼくはこんな本を読んできた



 「ぼくはこんな本を読んできた」 処分しないで残した文庫本の内、パラフィン紙のカバー付きの古い文庫を続けて取り上げようと思う。で、今回は『家郷の訓』宮本常一(岩波文庫1984年第2刷)

ぼくはこの文庫をかつて松本にあった書店「遠兵」で1986年1月に買い求めている。そうか、この頃の岩波文庫にはまだパラフィン紙のカバーが付いていたんだ。ただし紐の栞は付いていない。新潮文庫や角川文庫はどうだったんだろう・・・。

巻末の解説に次のような件(くだり)がある。**この本は、生活の書である。そして学問の書である。年齢や生れた地方の如何を問わず、この本を読む人は、自分自身の体験や生活を内省して、自らの成長の過程や、子どもの育て方、孫との接し方、地域活動のあり方、地域行政のあり方などを具体的に考える上でのヒントを得るであろう。
『家郷の訓』は、民俗学、子ども学、子ども史、教育史、教育学、文化人類学などを志す人びとにとっては必読の古典である。**(279、280頁)

解説にある通り、この本は読む人の年齢を問わない。名著とはこのようなものだろう。


 


「古代への情熱」シュリーマン

2020-07-07 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 前稿で取り上げたモームの『人間の絆』はずいぶん昔の本だが、この『古代への情熱』シュリーマン(岩波文庫1969年第24刷)も同様に昔の本だ。この文庫本もパラフィン紙のカバー、紐の栞付き。

巻末に岩波文庫という古典の大森林を前にすれば、たとえば15歳から25歳までの10年間の読書計画を立てるのは不可能に近いだろう、ということで識者に指標として100冊を選択してもらった、という趣旨の文章が載っている(*1)。そして「100冊の本―岩波文庫より」として100冊の文庫がリストアップされている。100冊の中にこの『古代への情熱』も入っている。

この文庫は**トロヤ戦争の物語を読んだ少年が美しい古都が地下に埋もれていると信じその発掘を志す。努力の年月を経て彼の夢は実現してゆく。**と青い帯にあるように、中学生(には読みにくいかな)、高校生くらいのときに読むのに相応しい内容だ。


*1 選者としてぼくも名前を知る臼井吉見、久野 収、桑原武夫、武谷三男、鶴見俊輔、丸山真男ら15人の名前が挙げられている。