● 久しぶりに文学、今話題の芥川賞受賞作『ひとり日和』青山七恵/河出書房新社を読んだ。
**電車は少しもスピードをゆるめずに、誰かが待つ駅へとわたしを運んでいく。** こうして静かにこの小説は終る。 上手い、そう思った。
**20歳の知寿(ちず)と71歳の吟子(ぎんこ)さんが暮らした春夏秋冬** 小説のプロットは本の帯のこの紹介文だけで充分だろう。
週刊ポスト(3/16号)の「著者に訊け」、青山さんはインタビューにこう答えている。**人間ひとりが基本・・・・なんでしょうね。ひとりが普通の状態で、そこに誰かが足し算されることもあれば、去って元に戻ることもある。(中略)自立してひとりになるには、自由も淋しさも全部引き受ける冷静な覚悟が要る。(後略)** そうなのだ、『ひとり日和』は著者のこの認識をそのまま素直に作品にしたものだ。
ヒロインの知寿はこう思う**わたしは思春期のころから、母の若々しさとかなれなれしさが、心の中ではいちいち気に障っていた。理解されないことではなく、理解されることがなんとなくいやなのだった。**
**すっぱり縁を切って、誰も、何もないところで一から出直したい。それでも、またそこで新しい関係が始まるのだろう。そして気がつくと終わりを迎えているのだろう。**
**頼れるのは自分の心と体だけだが、これもいまいち信用ならない。それでも、なんとか一人で、どうにかしなくてはいけないのだろう。**
**そうやって知っている人を入れ替えていく。知らない人の中に自分を突っ込んでみる。(中略)ただ、目が覚めるとやってきているその日その日を、一人でなんとかこなしていく。**
文学作品をこんな風にきざんでしまっては味も素っ気もなくなってしまうが、先に書いた「人間ひとりが基本」という認識がこのように繰り返されている。
親戚先のおばあさんの家で暮らした一年。失恋をして、仕事を変えて、また恋をして、自立していくヒロイン・・・。静かに物語りは終る、最初の一文によって。