■ 存在の曖昧な建築、インクの染みのように境界の曖昧な建築・・・。
諏訪湖のほとりで少年時代を過ごした伊東豊雄が目指した曖昧な建築は諏訪湖にかかる靄を具現化しようとしたものだった。それが幻想であることを「せんだい」で溶接工が鉄と格闘するところを目の当たりにして彼は知る。
「透明な箱」を造ってもその存在は際立つ、海草のような柱なんてあり得ない・・・。 彼は「まつもと」でリアルなモノとしての建築に向けて舵をきった。透明なガラスの壁をあわあわな壁に設計変更したのだ。そして福岡の「ぐりんぐりん」を造る。
存在が曖昧な建築、それは建築単体では実現できない。周辺環境との相対的な関係に拠るものなのだ。「周辺環境との連続性」、透明な建築をそのような観点から捉えることができる。それを可能にするのが建築と周辺環境との間を繋ぐ縁(えん)空間としての緑(みどり)・・・。blue treeさんのコメント、なるほど慧眼!
緑は建築の百難を隠す、と以前書いたが、緑は建築の存在そのものを隠して「透明にする」装置ということなのかも知れない・・・。今夜はこのことについて考えてみよう。