透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

擬態 その4(付録)

2007-09-09 | A あれこれ

アルコールな午後。

昆虫などの「擬態」って、不思議だ。

人間が擬態するんなら、擬態対象のモデルと似ていない場合には周りの人間から、そのことについてアドバイスしてもらうことも可能だ。「おいおい、そんなんじゃちっとも擬態できていないぞ、もっとこうしろああしろ」と。

ところが昆虫の場合、例えば「葉っぱにそっくり昆虫」って一体どうやって自分が葉っぱにそっくりだってことを確認できるんだろう・・・。いきなり葉っぱにそっくりになったわけではなくて長い長い長~い年月をかけてそうなったに違いないのだが、その過程で「誰」がそのことを確認して昆虫に伝えたんだろう・・・。「本物の葉っぱとは色が違う」とか「本物の葉っぱとは形がまだまだ違う」とか。

フィードバックを何回も何回も繰り返して次第に「葉っぱにそっくり昆虫」になったに違いないのだが、やはりその過程に「神」の存在を考えなければ説明できそうにない。

唐突だけれど脳科学者の茂木さんだってこんなことを書いている。**人はそもそも自らの脳細胞の活動を「モニター」してきたのだ。 <私>が意識の中で様々なクオリアを感じるというということは、すなわち、自分の脳内の神経活動を<私>が見渡し、観察するということに他ならないからである。<私>は、神経細胞の活動を自ら見渡す「小さな神の視点」として成立しているのである。**
(「脳内現象 <私>はいかに創られるか」茂木健一郎/NHKブックス)

脳内の神経細胞の活動全体を一瞬にして見渡す「神」の視点。そう、やっぱり昆虫の擬態だってこの脳内の出来事のように「神」が見ていて手直ししてきたんだ。きっとそうだ。

「神」などという概念の導入って「逃げ」のような気がしないでもない。謎にまともにぶつかっていないのではないかとも思うが、どうしようもない。

「透明」な建築について考えていて、「擬態」という観点が浮かんだけれど、この擬態そのものが実に不思議な現象なのだ。

なんとなく全て解き明かされた世界のような気がして僕たちは生きているけれど個々の事象について改めて問うてみると実に謎に満ちた世界だということが分かる。?だらけの世界・・・。

「地下鉄ってどうやってトンネルの中に電車を入れたんでしょうね」 こういう疑問で別に夜眠れなくなるってことはないけれど、自然界の?を考え出すと気になる。

でも夜眠れないのはいやだから、深く考えるのは好奇心に満ちた若い優秀な研究者に任せよう。アルコールな中年凡人はその成果だけ分かりやすく教えてもらえればいい。


「忘却の河」

2007-09-09 | A 読書日記


『日本の景観 ふるさとの原型』を読み終えて、新潮文庫で復刊された福永武彦の『忘却の河』を読み始めた。前にも書いたが、この本の帯には「人生で二度読む本」とある。この小説を写真左の文庫で読んだのが1981年の9月、あれからもう26年が過ぎた。

いつか再読したいと思っていた本、復刊がうれしい。どんな本でも読む度に感想は違うはず。今度はどんな感想を抱くのだろう・・・。復刊本には著者の息子、池澤夏樹のエッセイも収録された。

やはり少なからぬ読者がこの本の復刊を願っていたということなのだろう。今月は他に江藤淳の『文学と私・戦後と私』が復刊されている。帯には「不朽の名作が続々登場!」とある。柴田翔の『贈る言葉』もこのシリーズで復刊された。これからも楽しみにしたい。

昔の作家は作品を創ることに人生の全てを費やした。人生の全てを負うた作品こそ秋の読書に相応しい。

担担麺 

2007-09-09 | A あれこれ

「担担麺」

担担麺って天秤棒で担いで売り歩いたことに由来する名前だと知った。昨日の午後、テレビでグッチ裕三が四川で担担麺を食べ歩くという番組を放送していて、その中で名前の由来の説明があった。

へ~っ、知らなかった。そうか、担(たん)って担(かつ)ぐだ。

重慶だったかな、きちんと見ていなかったので確かではないが、とにかく坂の多い街で担いで売り歩いたのが始まりらしい。

グッチ裕三が天秤棒担いで売り歩いているおばちゃんから担担麺を買い求めて試食するシーンがあったが、焼きそばのようにスープがなくて食べにくそうだった。

ところで担という漢字ではなくて平坦の坦を用いて坦坦麺(坦々麺)と表記することがあるが、これは誤記とのこと。確かに坂の街で売り歩いたのが由来だというのに平坦の坦(たいらという意味)はないだろう。坦という漢字をあててしまっては、意味が分からなくなってしまう。ラーメン屋のメニューはどちらで書いてあるんだろう。今度注意して見よう。

漢字の表記はあまり変えないほうがいいのではないか、と思う。 でもいまさら白馬岳は代馬岳(代かき馬に由来)。白骨温泉は白船温泉(船は湯船の意、つまり白濁している風呂という意味、たぶん)、上高地は神降地、富士山は不ニ山(違うかな)などといっても始らないか。

名前の由来をめぐっては、以前何回も書いたから、この辺でオシマイ。