アルコールな午後。
昆虫などの「擬態」って、不思議だ。
人間が擬態するんなら、擬態対象のモデルと似ていない場合には周りの人間から、そのことについてアドバイスしてもらうことも可能だ。「おいおい、そんなんじゃちっとも擬態できていないぞ、もっとこうしろああしろ」と。
ところが昆虫の場合、例えば「葉っぱにそっくり昆虫」って一体どうやって自分が葉っぱにそっくりだってことを確認できるんだろう・・・。いきなり葉っぱにそっくりになったわけではなくて長い長い長~い年月をかけてそうなったに違いないのだが、その過程で「誰」がそのことを確認して昆虫に伝えたんだろう・・・。「本物の葉っぱとは色が違う」とか「本物の葉っぱとは形がまだまだ違う」とか。
フィードバックを何回も何回も繰り返して次第に「葉っぱにそっくり昆虫」になったに違いないのだが、やはりその過程に「神」の存在を考えなければ説明できそうにない。
唐突だけれど脳科学者の茂木さんだってこんなことを書いている。**人はそもそも自らの脳細胞の活動を「モニター」してきたのだ。 <私>が意識の中で様々なクオリアを感じるというということは、すなわち、自分の脳内の神経活動を<私>が見渡し、観察するということに他ならないからである。<私>は、神経細胞の活動を自ら見渡す「小さな神の視点」として成立しているのである。**
(「脳内現象 <私>はいかに創られるか」茂木健一郎/NHKブックス)
脳内の神経細胞の活動全体を一瞬にして見渡す「神」の視点。そう、やっぱり昆虫の擬態だってこの脳内の出来事のように「神」が見ていて手直ししてきたんだ。きっとそうだ。
「神」などという概念の導入って「逃げ」のような気がしないでもない。謎にまともにぶつかっていないのではないかとも思うが、どうしようもない。
「透明」な建築について考えていて、「擬態」という観点が浮かんだけれど、この擬態そのものが実に不思議な現象なのだ。
なんとなく全て解き明かされた世界のような気がして僕たちは生きているけれど個々の事象について改めて問うてみると実に謎に満ちた世界だということが分かる。?だらけの世界・・・。
「地下鉄ってどうやってトンネルの中に電車を入れたんでしょうね」 こういう疑問で別に夜眠れなくなるってことはないけれど、自然界の?を考え出すと気になる。
でも夜眠れないのはいやだから、深く考えるのは好奇心に満ちた若い優秀な研究者に任せよう。アルコールな中年凡人はその成果だけ分かりやすく教えてもらえればいい。