透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

8月の本たち

2007-09-02 | A ブックレビュー



 8月にこのブログに登場した本たちのレビュー。1枚の写真をトリミングして2枚に分けて並べた。

9月。読書の秋、今月はどんな本と出合うのだろう・・・。

とりあえず、先日復刊された『忘却の河』福永武彦を再読しよう。この本の帯を先日アップしたが、「人生で二度読む本」とある。昔と読後感はたぶん違うだろう・・・。


「逃亡くそたわけ」

2007-09-02 | A 読書日記



■ 
芥川賞受賞作『沖で待つ』で恋人でも友人でもない男女の関係を描いた絲山秋子。彼女の作品、今回は講談社文庫に収録された『逃亡くそたわけ』。

この作品に登場する21歳のあたしと24歳の男「なごやん」も恋人でも友人でもない関係。福岡の精神病院を抜け出したふたりの九州縦断逃亡記。車で福岡から九州最南端の指宿まで走り回るふたり。

「なんか、きょうだいみたいやね」
 あたしは言った。
「言葉の違うきょうだいかよ」
「でも、してもよかよ」
「いかんがあ」
「なして?」
「恋人でない人としたらいかんて。俺じゃなくても、誰とでもそうだからね」
「うん」

この作家の描く男女は「しない」。

どちらかというと女性がイニシャチブをとるふたりの関係は『沖で待つ』と同じ。この作家の描く独特な男女の関係、いいなと思う。この作家はこれからも注目だ。

さて、寄道はこの辺で切り上げて『日本の景観』に戻ろう。


白から赤への足跡

2007-09-02 | A 読書日記



 **新しい時代にふさわしい建築のあり方を模索していた。その具体的な解答がこうした「白い箱型」だった。軽やかで、存在感が希薄な、無装飾の、輪郭のみが目立つ姿。(中略)「白い直方体」と「透明な直方体」が重なり合った姿だということもできる。**

一体誰の作品を取り上げているのだろう、と思う。これは藤森照信さんが言うところの「白派」の建築の特徴ではないか。

これは初期のコルビュジエの作品解説。「赤派」の始祖のコルビュジエも初期は「白」だったのだ。それが晩年「赤」の傑作、ロンシャン教会堂を設計することになる。

**ロンシャン教会堂は、空間として、一九三〇年代以来の方向転換を経て初めて到達できた最終地点だといえる。内部のつくり方が、その性格が、開放的に囲む「白い箱型」とは正反対だ。空間に関わる発想自体が、サヴォア邸から最も遠い。**

『ル・コルビュジエ 20世紀の建築家、創造の軌跡』越後島研一/中公新書、今朝読了。

この本で著者は上記のようなコルビュジエの作品の変化を初期の傑作サヴォア邸と晩年のロンシャン教会堂を軸に論じている。

最終章(第4章)は「日本への影響」と題し、日本を代表する建築家達に与えた影響についての論述。このテーマが私としては最も興味深いところだが、残念ながらそれ程ページを割いてはいない。

現在森美術館で開催中の「ル・コルビュジエ展」何とか都合をつけて観に行かなくては・・・。