■「包」は羊水にやさしく包まれている胎児の姿を描いた象形文字からきているそうですね。ネット検索してこのような説明を見つけました。
羊水に包まれた胎児といえば映画「2001年宇宙の旅」のラストシーンに登場するスターチャイルドがまず浮かびます。宇宙空間を漂うスターチャイルドが一体何を意味するのかということについては諸説あるようです。今回はそのことには触れません。
「包」という視点を据えることで全く関係ないと思っていたものが突然密接な関係をもつ存在になるというのは面白いことです。大気に包まれた地球とロールキャベツなども「包」という共通項で括れるのはその一例です。
さて、中国・四川大地震の惨状が毎日テレビや新聞で報じられます。死者、不明者合わせると7万人を超える被害には胸が傷みます。建物の安全性と建設コストは一般論としては正の相関関係にある、と言っていいでしょう。安全性を高めるとコストもアップするというわけです。両者のバランスポイントをどの辺に見出すかは国情によって異なるでしょう。今回の地震で倒壊した学校などの様子を見ると柱も梁も日本と比べて随分細いし破断面に鉄筋が確認出来ないものもあります。しかしだからといって直ちにそのこと批判する気にはなりません。既述のようにそれは国情によると思うからです。中国には中国の事情があるというわけです。
さて今回のテーマ「包」に話を戻しましょう。
今朝の新聞に「赤ちゃん守った母 最後のメール」という記事が載っていました。新華社電が伝えたというこの出来事を全国紙が取り上げたかどうか分かりませんが、信濃毎日新聞の社会面に掲載されていました。
**「愛していたこと 忘れないで」 中国の四川大地震で、救出された男の赤ちゃんを抱きかかえるように死んでいた母親が、携帯電話に愛するわが子への最後のメッセージを残していた。**と記事は伝えています。
建物のがれきの下に女性が四つんばいの格好で死んでいるのを発見した救助隊が、女性の下の毛布にくるまれた三、四カ月の赤ちゃんを無事救出したそうですが、赤ちゃんは母親の体に守られていたのでした。
「包む」、中身を傷つけず安全に守るということがその第一義だとすればまさにそのような奇跡が起きたのですね。この記事を読んで思わず涙してしまいました。
「かわいい坊や、もしあなたが生き延びたら、私があなたを愛していたことを絶対に忘れないでね」
信濃毎日新聞 文化面 080520
■ 新聞に「秋野不矩生誕100年展」を取り上げた記事が載りました。
**インドとの出会いは運命的なものだった。六二年、勤めていた京都の美術大学で、「誰かインドの大学で日本画を教える人はいないか」と声がかかった時、「私が行きます」と即座に引き受けた**というエピソードを美術家のやなぎ みわさんがこの記事で紹介しています。
浜松市秋野不矩美術館 撮影日 051112
日本画家、秋野不矩(1908~2001)は藤森さんの処女作、神長官守矢史料館を実際に見て、藤森さんに美術館の設計を依頼することを即決したそうです。
神長官守矢史料館 撮影日 060804
こんなほら穴のような打合せ室は藤森さんしか設計できないでしょう。
秋野不矩は54歳のときにタゴール大学の客員教授を務めインドに一年間滞在してから、繰り返しインドに旅をして強烈な光と乾いた大地を90歳を越えるまで描きつづけたということです。
やや黄色味を帯びたインドの土に似た表情をこの神長官守矢史料館に見たからではないか、藤森さんに設計を依頼することを決めた理由を私はこう推察しています。
浜松市(当時はまだ天竜市か?)に秋野不矩美術館を訪ねたのは05年11月のことでした。白大理石の床、藁すさ入りの漆喰仕上げの壁と天井で出来た空間に展示されていたのは「オリッサの寺院」でしたか、絵と展示空間とがピッタリ決まっていたことを覚えています。藤森さんは不矩の絵に刺激されて展示空間を設計し、不矩は完成した展示空間を見てから「オリッサの寺院」を描いたとのことですから、当然のことなのかも知れません。
秋野不矩生誕100年展はまず京都国立近代美術館で開催されたそうですが、モダニストの槇さん設計のこの空間が秋野不矩の絵の展示スペースとしてどうだったか見たかったと思います。
京都国立近代美術館 撮影日不明(10年以上前)
展覧会は浜松市秋野不矩美術館で6月7日から7月24日まで開かれたあと、神奈川県立近代美術館葉山で8月9日から10月5日まで開かれるとのことです。
モダンな葉山は「不矩のインド」の展示空間としてどうか、確かめに行きたいと思います。案外無機的な空間と秋野不矩の乾いた絵はマッチするかもしれません。