■ 井原西鶴の名前は教科書(巻末に載る日本文学史略年表あたりか)に代表作『好色一代男』と共に出てきたと思うがそれ以上のことは何も知らなかった。
本書の各章のサブタイトル(副章題)を並べるだけで西鶴の多才ぶりが分かる。
「経済小説家の眼」
「ポルノ小説家の表現」
「タレント作家の演技」
「エンタメ作家の技巧」
「西鶴の謎」
裕福な町人の子として大坂に生まれた西鶴、34歳のとき妻を病気で亡くす。**男やもめで乳母を雇えず、かといって養子も無理なら、人さまの女房から母乳をもらうしかない。** 最終章「人生を探る 西鶴の謎」では「好色一代男」の作家が実は真面目で男手ひとつで必死に子育てをする様子が描かれる。妻と死別した後は生涯独身だったという。
西鶴は1693年に52歳で亡くなるが、13回忌の追善集『こころ葉』に収録されているという次の追悼句があとがきで紹介されている。
野は花に蹴つまずいても発句かな(野原の花にけつまずいても、西鶴はその体験を句に詠んでしまうほどだった) 蘭芝
西鶴は妻を亡くし子供も亡くすというつらい経験をはじめ自身の人生のあらゆる経験を作品にしてしまう強さ、したたかさ、図太さを備えた人だったということを本書で知った。
『西鶴という鬼才』浅沼 璞/新潮新書 読了。