■ SBC(信越放送)のラジオ番組「武田徹のつれづれ散歩道」(放送は土曜日の午前中)を車の運転中に聴くことがあります。この番組では堀井正子さんの近代文学作品を紹介するコーナーが好きです(ローカルな話題です。県外の方、申し訳ありません)。
先週の土曜日(22日)には夏目漱石の『門』を取り上げていました。放送を聴いて、この小説を読みたくなりました。たぶん高校生の時に読んだと思いますが。それで、翌日名古屋に向かう特急しなので読み始めました。
新潮文庫なら やはりこのカバーでしょ!
帰りのしなのでも読みましたが、集中できませんでした。
窓外の景色の中に火の見櫓が見つかるかもしれないと思うと、気になって・・・。多治見・中津川間で進行方向左側に1基見つけました。中津川・木曽福島間でも1基、今度は右側に見つけました。
結局往復のしなのでは読み終えることができず、その後少しずつ読み続けてようやく読み終えました。
漱石の作品は、高校生の頃にひと通り読んだという方が多いのではないかと思います。漱石の作品を青春小説だと括ってしまうのは乱暴に過ぎるでしょうが、そう読めないこともないのでは。『坊っちゃん』などはまさに青春小説ですよね。『三四郎』も『こころ』も、そしてこの『門』も。ちなみに前述のラジオ番組の堀井さんのコーナーは「近代青春グラフィティー」といいます。
もっとも、この青春ということば、テレビの「青春ドラマ」の青春とはイメージが違うのですが。主人公が若いという単純な意味での青春でもないのです。ドラマでは明るく元気な心の持ち主の主人公に深刻な悩みなど無縁ですが、漱石の小説の登場人物は若いのに深い悩み、そう人生の悩みをかかえています。
さて、『門』ですが、主人公の宗助は親友の妻・御米(およね、内縁の妻かな)と結ばれます。小説ではその経緯(いきさつ)は終盤になるまで明かされません。そしてその時の様子の静かな描写で、具体的には表現しないところがなかなか味わい深いです。そのことで心傷つき、負い目も感じて、宗助、そして御米、ふたりはひっそりと生きていくことになるのです。
**宗助と御米の一生を暗く彩どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊の様な思を何所かに抱かしめた。彼等は自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過ごした。**(171頁)
そして偶然にも親友のその後を知った宗助は心を乱し、鎌倉の禅寺へ・・・。
夫婦の日常の会話と共に物語が進んでいきます。この小説を高校生が読んでもどうでしょうかね。理解が深くには及ばないのでは。年を取ってから雨に打たれる紫陽花でも見ながら、じっくり読むのがいい、そう思います。