透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

モローとルオー展@松本市美術館

2014-03-16 | A あれこれ

 松本市美術館で開催中の「モローとルオー展 聖なるものの継承と変容」にようやく行くことができた。


「我らがジャンヌ」 ジョルジュ・ルオー  松本市美術館でポスターを撮った。買い替えたカメラはなかなか良い。

宗教画はあまり好きではないが、ルオーの絵は別。中学生のころだったのか、高校生のころだったのかは定かではないが、ジャンヌ・ダルクを描いたこの絵のポスターを自室に張っていた。

例えばスーラの点描も藤田嗣治の描法も嫌いではない。が、もっと大胆に描いてもいいんじゃないかなと思ってしまう。その点、この絵やキリストの顔を描いた「聖顔」は画題はともかく、好みの描法の絵だ。


展覧会のリーフレットの「聖顔」ジョルジュ・ルオーを撮った。 

昨年の12月に東京へ出かける機会があった。その際、パナソニック汐留ミュージアムでこの展覧会を鑑賞しようと思っていた。そのことを友人にメールで伝えると、「もう終わっています。でもこの後松本に来ます。」という内容の返信があった。この返信はありがたかった。なにも知らずに行ってがっかりするところだった・・・。

で、その友人を誘って今日行ってきた。同じ趣味を持つ友人っていいものだ。友人は既にオルセー美術館で鑑賞したという「夜の風景または作業場での乱闘」だったかな、それから最後のセクションの「《サロメ》のための習作」などを熱心に鑑賞していた・・・。

《サロメ》の目の下に引いた黒の細い線が効果的という指摘は女性ならでは、か・・・。まったく気がつかなかった。

今年も、展覧会には足を運びたいと思う。この春、東京で行きたいと思うような展覧会ないかな。


 


ぼくは知りたい きみのふるさと

2014-03-16 | A 火の見櫓っておもしろい


 安曇野市の穂高神社の近くに立っているこのユニークな火の見櫓、実は黒部ダムの工事(黒部ダムは昭和31年に着工して昭和38年、東京オリンピックの前年に完成しています。昭和の国家的な巨大プロジェクトでした)に関わる監視塔だった・・・。この情報を安曇野市のヤグラ―のぶさんが入手、自身のブログで経緯を記事にしています。→こちら 監視塔だった時の様子を写した写真も紹介しています。のぶさんの取材力に脱帽です。

その写真が大町市のくろよんロイヤルホテルにあるらしい。 ♪ぼくは知りたい きみのふるさと()ということで、行ってきました。


ホテルのエントランスホールの奥まったところに黒部ダム建設当時の写真等の資料を展示しているコーナーがありました。展示棚の上段の左端のパネルに監視塔が写っていました(ホテルの方の許可を得て撮影しました)。


持参したカメラでパネル写真を撮影(最近買い替えたカメラの性能は以前のものより数段上です)

ここで余談です。

写真のキャプションは「高瀬川骨材砕石場トラック群」となっていました。産業技術総合研究所のHPに掲載されているレポートのグラフを見て、昭和40年ころまではコンクリート骨材の大半が河川砂利で砕石はまだあまり使われていなかった事が分かりました。 高瀬川の河川敷なら砂利はいくらでも採取できたでしょうから、わざわざ砕石することもなかったのではないか、と思うのです。このことからここは砕石場ではなくて採石場ではないかと思ったのですが、やはり砕石(大きな石を砕いて所定の大きさにしたもの)だったようです。


現在穂高神社の近くに立っているこの火の見櫓のふるさとを知ることができました。それぞれの火の見櫓にそれぞれの誕生の経緯、歴史があるのですね。のぶさんの記事を読んで、改めてこのことを思いました。

この火の見櫓は穂高に移築・保存されている貴重な近代遺産、とみることもできるのです。これを安易に取り壊してはいけません。


  「ふるさとのはなしをしよう」 北原謙二 昔流行った歌です。本稿のタイトルはこの歌の歌詞から採りました。