透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「ラーゲリより愛を込めて」

2022-12-22 | E 週末には映画を観よう

 来週観ようと思っていた映画「ラーゲリより愛を込めて」を昨日(21日)観た。

この映画の原作、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん(文春文庫2021年23刷)を6月に読んだ。文庫本には帯が付いていて**珠玉の人間賛歌、心震わす感動巨編、映画化決定! 監督・瀬々敬久 主演・二宮和也 2022年公開予定**と大きな文字で書かれていた。このノンフィクションを読み終えた時、映画が公開されたら是非観ようと思った。山本幡男という人の人間性に強く惹かれたので。こんな素晴らしい人が実在したんだ、という驚きと感動。

カテゴリーを「週末には映画を観よう」としたのは、金曜日にはDVD(*1)を無料で借りることができるために映画を観るなら週末だ、と考えたから。でも映画館で観るなら平日の方が空いているだろうと思って昨日観た。カテゴリーは直さないでおこうと思う。

さて、映画「ラーゲリより愛を込めて」。

1945年(昭和20年)8月敗戦。シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に収容された男たちの中に山本幡男がいた。極寒の地での過酷な労働、ひどい食事、栄養失調・・・。劣悪な状況下、死んでゆく仲間たち。だが、山本は決して希望を捨てることなく、仲間を励まし続けた。そんな山本を病魔が襲う。癌だった、それも末期の。余命3カ月という診断。彼は遺書を書くことを勧められる。

帰還が認められた時、書かれた遺書をどのようにして日本に持ち込み家族の手に渡すか・・・。紙に書かれた遺書を持ち帰ることはできない。見つかればスパイ行為として再び収監され、帰国(ダモイ)できなくなる。そこで彼らが考えた方法、それは遺書を暗記することだった。妻に宛てた遺書、子ども達に宛てた遺書、母親に宛てた遺書・・・。映画では分からないが、原作によると遺書の全文は字数5400字。一字一句確実に覚える・・・。

映画では山本幡男が収容所の仲間たちから人望を得ていく過程や、特にぼくが関心を持っていた、厳しい監視下で遺書を暗記する何人かの仲間たちの苦労、努力の様子の描写が思いの外、少なかった。

帰国(なんとそれは敗戦から11年後、1956年(昭和31年)12月のことだった)を果たした彼らが、家族の住まいを尋ね当て、奥さん、子どもたち、母親の前で暗唱、書き起こした遺書を手渡す。

その場面は感動して泣いたけれど、その後には不要ではないかと思われるショットがあったりした(言うまでもないことだが、これはあくまでもぼくの個人的な感想に過ぎない)。

映画の中では今現在、2022年に物語を直接的に繋ぐ場面があったが、この辺りは観客を信頼して表現しなくても良かったのではないか。観客はこの映画をそれぞれの想いで今現在に繋げたと思うから。

山本幡男の妻・モジミは夫の死を知った時、庭にとび出して慟哭する。この場面は部屋に座ったまま、静かに、理性的にと言っていいのかどうか分からないけれど、深い悲しみをぐっとこらえて、下を向いて嗚咽するというような表現でも良かったのではないか、と思う。観客はモジミと同じように嗚咽するから。同じような泣き方をすることで観客の心はモジミの悲しみにより共振するのではないかと思う。ぼくはそのような表現であれば、もっと泣いたと思う。

エンドロール。ここは出演者たちや映画製作に関わった多くの人たちの名前がゆっくり下から上へ流れていくような表現が似つかわしいと思ったなどと書けば生意気かな。流れる音楽は静かなピアノ曲だったら良かったなぁ、と感じた。もちろんこれもあくまでも個人的な感想だが、表現者の手を離れた作品を観客はどのように観賞してもよい、と言い訳めいたことも書いておこう。

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拙ブログを閲覧していただいている方にこの映画をお薦めしたいと思いますし、出来れば原作も読んでいただきたいと思います。


*1 先日の記事でVDVなどと書いてしまったが、なぜそんな間違いをしたのか分からない。DとVの組合せで、脳が視覚的なイメージ、同じアルファベットの間に別のアルファベットが入っているというイメージだけで、間違えた並びでの入力をぼくに指示した、ということなのかもしれない。