■ 信濃毎日新聞9月24日付朝刊の文化面「検索@現代」に女子という言葉が取り上げられた。今、女子という言葉がブームだという。
以前は無かった女子会という言葉を見聞きするようになった。女子児童、女子生徒、女子高生、女子大生。女子は若い世代に対して使う言葉というイメージが少なくとも私にはある。いや、女子という言葉は本来そうだろう。だが、女子会というときの女子という言葉はただ単に若い、それも就職前の女性を意味するのではない。中年女性でも使うことがあることからこのことは明らかだ。
○○さんの奥さん、○○ちゃんのおかあさんというように日常生活において夫や子どもとの関係によって規定されている女性は少なくないだろう。他者(家族)とは無関係な「個」としての位置付けではないのだ。
女子という言葉には「個」としての自分を位置づける、位置づけたいという気持ちが込められている。妻や母親という家族との関係、役割を解いた自分。
女子会は家族との関係を一時的にせよ断ち切って、ひとりの「自由な」個人として参加する会だ。構成メンバーが子どもを通じての知り合いであれば、○○ちゃんのママ、ということになって、それはママ友の集まり。
年齢も職業もまちまち、一体どういう繋がり?と思われるような集まりこそ女子会。フィットネスクラブで、料理教室で、語学学校で知り合った女性の集まり。身近なところでは松本山雅サポーターの女性の集まり。
あくまでも個としての自分に立脚した集まり、女子会。参加できる女子会がひとつやふたつなければ人生寂しいだろう・・・。