透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

C7「司馬遼太郎の時代」

2023-01-25 | A 読書日記

 **歴史を川の流れに喩えるならば、司馬遼太郎は上空から俯瞰的に源流から河口まで、川の全景を捉えようとした作家だった。それに対して藤沢周平は川岸に立って、流れのディテールを捉えようとした。両作家はよくこのように対比的に捉えられる。

司馬遼太郎は歴史の流れをザックリと捉えてみせたし、川岸に立った藤沢周平は人々の日々の暮らしを捉えて作品にした。司馬遼太郎に「武士の一分」は書けなかったし、藤沢周平には「坂の上の雲」は書けなかった。** 

「司馬遼太郎」の過去ログ検索で、2009年10月18日に書いた上掲の記事がみつかった。ふたりの作家に対する一般的な評価を私なりに文章にしただけだ。源流から河口というのは言い過ぎ、流れの一部を取り出してと変えた方が良さそうだ。

私が司馬遼太郎を読み始めるきっかけになった作品は『梟の城』(新潮文庫1999年83刷)。直木賞を受賞したこの作品を初めて読んで、おもしろいと思った。その後、司馬遼太郎の作品を何作か読んだが、熱心なファンというわけではなかった。

320    



『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』福間良明(中公新書2022年)C7を読み終えた。

上に書いたように私は司馬遼太郎の熱心なファンではないが、司馬遼太郎ついて書かれたこの本が書評(2023.01.14付 信濃毎日新聞)に取り上げられていたのを機に読んだ。

この本で著者の福間さんは何を論じているのか。答えは「はじめに」に簡潔に書かれている。**(前略)こうした必ずしも「一流」ではない教育経験や職業経験は、司馬の歴史叙述にどう投影されたのか、その後、司馬が国民作家として「一流」視されるようになるなか、それらはどのように受け止められたのか、あるいは受け止められなかったのか。**(はじめにⅴ頁)

論考で、司馬遼太郎の作品が受け止められたということだけでなく、受け止められなかったということも取り上げているところがフェアな立場を示している。

各章、何を論ずるかということがはっきりしている、ということは既に書いた。で、章題を示す。

序章 国民作家と傍流の昭和史
第1章 傍系の学歴と戦争体験 ― 昭和戦前・戦中期
第2章 新聞記者から歴史作家へ ― 戦後復興期
第3章 歴史ブームと大衆教養主義 ― 高度成長期とその後
第4章 争点化する「司馬史観」 ― 「戦後五〇年」以降
終章 司馬遼太郎の時代 ― 中年教養文化と「昭和」

この本も、そうなのか、知らなかった、というような記述のところに付箋を付けながら読んだ。以下に付箋か所からピックアップして載せる。

**「明るい明治は、フィルム写真でいうところのポジではなく、あくまで「暗い昭和」というポジを写し出すためのネガだった。**130頁
**司馬は戦国期や近代最初期の「明るさ」にこれほどの膨大な分量を割くことで、憎悪した「昭和の暗さ」を描き出そうとしたのである。**131頁
以上第2章
**司馬の歴史小説は、戦国や明治の「明るさ」を通して、昭和の組織病理やエリート主義を問いただすものだったが、これらを読み取るむきは少なかった。**第3章198頁

福間さんが繰り返し指摘しているこのような司馬さんの意図を読み取ることは私にはできなかった。

歴史探偵・半藤一利さんは司馬さんの俯瞰的なアプローチでは昭和は書けないと指摘していたが(『清張さんと司馬さん』NHKテキスト2001年)、福間さんは司馬さんが直接昭和を書かなかった理由を「好意的」に理解して次のように書いている。
**司馬が、戦国や幕末・維新という遠い時代を選び、そこから昭和を照らし返そうとしたのも、時間的な近さゆえの「なま乾き」を回避しようとしたためであったのだろう。**第2章133,4頁

**一九六〇年代に多く書かれた司馬の主要作品は、高度成長下の企業社会に親和的だった。だが、司馬作品がビジネスマン層を中心に多くの読者を持続的に獲得するようになったのは、通勤時の読書に便利な文庫化が進んだ「昭和五〇年代」以降のことだった。**第3章174頁

**(前略)司馬は余談交じりの歴史小説を執筆することで、「小説」でも「史伝」でもない、両者の中間領域を選び取った。それは、文学の「一流」「正統」から距離を取り、あえて「傍系」を選択しようとする姿勢のあらわれであった。**202頁
このような作品は支持もされ、批判も受ける。
**「私は、司馬という作家から小説の提供を欲するもので、歴史に関する講釈を聞きたいわけではない」**207頁 これは評論家・渡辺京二さんの評。さらに厳しく評している箇所があるが、省略する。
**「司馬さんほど、歴史に投じつつある人間の翳を見事に描く人は少ない。司馬さんの筆は変革期に生きた人物と人生に密着するのではなく、たえずこれを鳥瞰してその虚と実に迫る」**203頁 古代史家・上田正昭さんの評。
以上第4章

随分引用して、記事が長くなってしまった。反省。

司馬さんの作品は時代に恵まれた、時代の流れが司馬さんの作品に同調した、と括っておく。もし再読するなら、やはり司馬史観を論ずる時、取り上げられることが多い『坂の上の雲』だろう。福間さんのように**昭和陸軍に対する司馬の怨念を裏側から照らし出す作品**と読み取れるかどうか・・・。


 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。