■ 秋になると南木佳士の作品を読みたくなる。『阿弥陀堂だより』文春文庫を読むのは何回目だろう。
上田孝夫は信州の山村の生まれ。母親は孝夫が三歳のときに肺結核で死に、父親は彼が小学三年生のときに家を出て行ってしまう。彼は祖母に育てられる。
三年間連絡のなかった父親から手紙が来て、孝夫は都内で暮らす父親のもとへ。成績が良かった彼は都立の進学校に進む。そこで彼は神谷美智子と知り合う。美智子は医学部に、孝夫は文学部に入る。やがて二人は結婚する。
孝夫は稼ぎのない作家。美智子は内科医で母校の大学の非常勤講師と都立病院の内科医長を兼ねていて多忙な日々。美智子が恐慌性障害となって3年目になる頃に発作の誘因が東京の都市環境そのものであることが分かり、ふたりは孝夫の生まれ故郷にUターンすることに。
村の広報に掲載されていた「阿弥陀堂だより」は村外れの阿弥陀堂を守り暮らすおうめ婆さんの達見を村役場の若い女性職員、小百合さんが書いていた。
主な登場人物は孝夫、美智子、おうめ婆さん、小百合の四人。
美智子は田舎暮らしを通じ、また、おうめ婆さんの「(前略)南無阿弥陀仏を唱えりゃあ、木だの草だの風だのになっちまった気がして、そういうもんとおなじに生かされてるだと感じて、落ち着くでありますよ。(後略)」(169頁)といった生活観に触れて次第に心の健康を取り戻していく。
一方、孝夫は農作業を手伝ったりしながら、やはり山村暮らしに馴染んでいく。
淡々と進む物語だが、唯一小百合さんが病気で入院していて肺炎を起こし容態が悪化、生死の間をさまようことになってしまうという展開にはハラハラ。
**阿弥陀堂に入ってからもう四十年近くなります。みなさまのおかげで今日まで生かしてもらっています。阿弥陀堂にはテレビもラジオも新聞もありませんが、たまに登ってくる人たちから村の話は聞いています。それで十分です。耳に余ることを聞いても余計な心配が増えるだけですから、器に合った分の、それもらるたけいい話を聞いていたいのです。**(185頁)
**祖母と山で働き、木を生活の糧としていた頃には覚えるはずのなかった疎外感。ふところの深い自然に囲まれていながら、それらと無縁であることの寂しさ。そして、すべてのものが枯れ、死に向かってゆくのだと認識せざるを得ない晩秋のもの哀しい寂寥。**(206頁)
不安な気持ちの時に南木佳士の小説を読むとこころが落ち着く。医者でもある作家が処方してくれる「抗不安剤」だ。
芥川賞受賞作の『ダイヤモンドダスト』は単行本で読んだ。
ストーリーは、いかにも南木さんらしい感じですね。
コメントありがとうございます。
私も南木さんの小説は好きで何冊か読みました。
この小説には夫婦で釣りをする場面が出てきます。
「山中静夫氏の尊厳死」が映画化されたそうですね。
この作品も再読したいです。