透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

安曇野の屋敷林 補稿

2009-07-20 | A あれこれ


 安曇野の景観を特徴付ける屋敷林。高木常緑樹が屋敷の北側及び西側をガードしていることは既に書きました。南側にも落葉樹が植えられていることがこの写真から分かります。落葉樹ですから、夏は陽射しを遮り、冬は陽射しを取り込むことができます。植物の季節的な変化を上手く利用しているわけですね。大きな蔵が敷地の端に配されています。この配置にも意味がありそうです(昔、川越で見た袖蔵には隣地からの延焼を防ぐという役目がありました)。




こちらはきちんと刈り揃えた、いちいの屋敷林。高さはどうでしょう、7メートル位はありそうです。

前稿で触れましたが、安曇野でも小さく分割された敷地に総2階建ての建売住宅が何件か並ぶ、そんな光景を目にするようになりました。

敷地に余裕がないからでしょうか、管理が大変だからでしょうか、植栽されていないケースが多いように思います。植栽は景観形成の重要な要素、是非木を植えて欲しいと思います。

木は建築の百難を隠し、景観保全に有効ですから。

安曇野の屋敷林

2009-07-20 | A あれこれ



 上の写真は安曇野で路上観察した屋敷林です。屋敷の北側と西側に林が形成されています。このような屋敷林をあちこちで見ることができます。中には下の写真のようにきれいに刈り込んだ屋敷林もあります。

安曇野 過去ログ






以上の4枚 20090718撮影




愛媛県外泊 198003撮影

一方こちらは石垣で有名な愛媛県は外泊の集落です。四国の西のはずれに位置する外泊は台風の通り道。このような石垣で強風から住宅を守っているのです。

安曇野の屋敷林、外泊の石垣、共に風を防ぐという役目を果たしています。その意味では共に防風垣と言ってもいいでしょう。「垣」には守るという意味があるんですね。漢和辞典で調べました。

風を防いで家を守る。そのために使う材料が地方によって違います。それがその地方の特徴的な景観を形成しているんですね。

外泊の最近の様子は分かりませんが、残念ながら安曇野では屋敷林の無い住宅がだいぶ増えて景観が様変わりしつつあります。

このような景観がいつまでも残っていて欲しいと常々思っています。


本のことも書かないと

2009-07-19 | A 読書日記
 すでに梅雨は明けたとのことだが(関東甲信は明けた、「越」も明けたのかな)、このところ毎日のように雨が降る。それもかなり激しく。まあ、天候はデジタルに変化するわけではないから、梅雨明けの日を明確に示せるわけではないだろう。あとでまだ梅雨は明けていなかった、と訂正されるかもしれない。

さて、このところ蔵モードにどっぷり。本のことも少し書いておかないと。今積読中の本はこの2冊。



『旅はゲストルーム』浦 一也/光文社知恵の森文庫 

「TOTO通信」という企業誌に連載中の「旅のバスルーム」というシリーズをまとめた文庫。先日東京は乃木坂のギャラリー間で購入。積読中。読了後、備忘録しよう。

『屋根の日本史』原田多加司/中公新書

日本の建築の屋根の通史。建築に関する基礎的な知識として押えておきたい内容。紀伊國屋書店 新宿南店で購入。やはり積読中。

『胎児の世界 人類の生命記憶』三木成夫/中公新書

現在読書中。この本に関しては**解剖学という自然科学の知識を背景にしながらも、晩年は一種の自然哲学としか言いようのない独自の世界を切り開いていた三木。この本は、その三木の世界の真髄を易しく一般向けに書き直したもの。**という金森 修氏の紹介文が『中公新書の森』に載っている。

最近は福岡伸一さんの生物に関する本が、分かりやすくて面白いと評判だが、この本も負けず劣らず面白い。

蔵の動物たち

2009-07-19 | F 建築に棲む生き物たち

 
鶴はよく見かける飾り 塩尻市内? 撮影日200606


鶴と亀 長野県朝日村にて 撮影日200907 


ねずみが遊んでいる。 同上 撮影日200606

 蔵の妻壁の開口部廻りの意匠に最近注目している。過去ログに加筆し再掲する。

縁起がよいとされる鶴や亀などの動物が飾られているのを見かけることがある。下の蔵にはねずみがついている。富める蔵には米俵がたくさん収蔵されている。米俵のたくさん収蔵されている蔵にはねずみが集まる。だからねずみは富の象徴、縁起がいい。

*****

ねずみの嫁入りという昔ばなしがある。娘ねずみをいちばん偉い者に嫁にやろうとまず太陽を訪ねるが、太陽は雲だといい、雲は風だという。風は壁だといい、壁はねずみだという。で、ねずみの娘は結局ねずみのところに嫁いで幸せに暮らした。 この昔ばなしの挿絵には蔵が描かれている。ねずみが穴をあけるのは蔵の壁だ。

どうやら中国にも同じような話があるらしいが、ねずみより猫ということになって、猫のところを訪ねた父親と娘ねずみは食べられてしまった、と悲劇的な結末らしい。 現実的というかシビアな話だ。

外国から伝わった童話の悲劇的な結末をハッピーエンドに変えることが日本では多かったようだ。このような昔ばなしにイソップ物語のような寓意が込められているのかどうかは分からない。結末の違いは何によるのだろう・・・。


 


ある科学者のブログ

2009-07-18 | A あれこれ
■ 今週の火曜日(14日)、「あと数か月の日々を――宇宙の謎に挑んだ科学者がんと闘う」というNHKのドキュメンタリー番組を観ました。

質量が無いというのが常識だったニュートリノ。そのニュートリノに質量があることを緻密な観測によって証明した素粒子物理学者の戸塚洋二さん。

戸塚さんは小柴昌俊さんに続きノーベル賞を受賞すると言われながら昨年がんで亡くなりました。

番組では戸塚さんがブログに綴ったがんとの闘いの日々の内容が紹介されました(ブログは「戸塚洋二」で検索すればヒットし、読むことができます)。

戸塚さんはCT画像を医師から入手して腫瘍サイズを測り、抗がん治療剤との関係を客観的に分析してグラフ化し、ブログに載せています。

自身の病状を客観的に観察する。そうすることであたかもそれが自分のことではないと思い込みたかったのではないか、と私は思いました。が、やはり戸塚さんの精神的な強さ、知的好奇心の強さがそれを可能にしたのでしょう。

亡くなる時の様子を最後の科学的作業として観察するつもりだが、その結果を伝えることができないことが残念、という主旨の発言が番組で紹介されました。

最期まで科学者であり続けた戸塚さんのブログを少しずつ読んでいます。

蔵の庇 

2009-07-16 | A あれこれ


松本市梓川 撮影日090711 


松本市内 撮影日090712  
 
 どーも蔵モードから抜け出せない。

今月11日の朝、松本市梓川で蔵の瓦葺きの庇を路上観察した。私のそれほど多くない蔵観察の印象から瓦葺の庇は珍しいのではないか、と書いた。が、この見解が妥当かどうかは分からない。あるいは別に珍しくないのかもしれない。下の蔵の湾曲している庇は銅板葺き。この庇ならよく見かけるような気がする。

瓦葺きの庇と銅板などの金属葺きの庇、全国的な分布にはどのような傾向があるだろう・・・。気になる。


 


建築家坂倉準三展

2009-07-15 | A あれこれ

 いま神奈川県立近代美術館 鎌倉*1とパナソニック電工 汐留ミュージアム*2で「建築家坂倉準三展」が同時開催されています。

坂倉準三の代表作といえばやはり神奈川県立近代美術館 鎌倉になるでしょうか。先日訪ねた国際文化会館は吉村順三、前川國男との共同設計でしたが、外観などは坂倉準三のデザインだと思います。既に書きましたが印象が近代美術館によく似ていますから。

坂倉さんは近代建築に上手く「和の雰囲気」を取り込んだと思います。洋と和のブレンド加減が絶妙(などと分かったようなふりをしておきます)。一度じっくり近代美術館 鎌倉を観察してみたい・・・。

展覧会の会期は鎌倉が9月6日(日)まで、汐留が9月27日(日)までです。あまり真夏に東京方面へ出かけたことはありませんが、行ってこようかな、と思っています。

*1 モダニズムを生きる 人間、都市、空間
*2 モダニズムを住む 住宅、家具、デザイン


 


「劔岳 点の記」を観た

2009-07-13 | E 週末には映画を観よう

明治40年7月13日 

そう、いまから102年前の今日、陸軍参謀本部陸地測量隊が剣岳登頂に成功した(登頂日についてはいくつか説があるようだが)。

日露戦争後、国防のために日本地図の完成を急ぐ陸軍。地図に残された空白域を埋めるために剣岳登頂と測量に挑んだ男たちの記録。

創設間もない日本山岳会も海外から取り寄せた最新の装備で剣岳初登頂をめざしていた・・・。

「陸軍の威信にかけて剣岳の初登頂を果たせ」「山岳会に負けてはならぬ」という厳命。

木村大作監督は「これは撮影ではない。〝行〟である」とスタッフに告げたという。陸軍の陸地測量隊の剣岳登頂を100年ぶりに再現するというプロジェクト、その登山隊のメンバーがたまたま俳優だった、と言っていいかもしれない。実際登頂シーンの撮影は7月13日に試みられたというから、徹底している。ただしこの日は頂上付近がガスって数日後に撮影されたそうだ。

映画では深い人間ドラマが展開されるわけではない。主役は測量手たちや案内人ではなく立山連峰だ、と思った。映像の全てが実写、CG無しだという。空撮も無し。

エンド・クレジットが印象的だった。ただ<仲間たち>とだけ紹介されて、立山連峰の美しい映像をバックにゆっくり流れるのは氏名のみだった。監督、照明、録音、ヘアメイクといった職種の紹介は一切無し。唯一例外は新田次郎で原作者と紹介された。

広大な自然の中では人間なんてちっぽけな存在だ。でも使命を果たすべく懸命に奮闘する・・・。

原作も読まなくては。


 


文字書き道祖神

2009-07-11 | B 石神・石仏




路上観察 松本市梓川の道祖神 090711

 ここ松本平では古くからの集落は山際に在ることが多い。集落内には蔵があり、道祖神がある。

前稿の蔵を路上観察しての帰路、この道祖神を見かけた。大胆な文字、前衛的! 三角の石、碑面いっぱいに勢いのある文字が彫りこまれている。文字の一部がかくれてしまっているのは残念。

文字書き道祖神はいままで取り上げなかった。像を彫ったものと比べると平凡という認識だから。だが、これはなかなかいい。


 


蔵いろいろ 松本市梓川

2009-07-11 | A あれこれ


路上観察 梓川の蔵 090711

 数日前、たまたま車で通りかかった松本市梓川(旧梓川村)で見かけた蔵。「あ、瓦葺の庇だ!」先日南木曽町で見かけた蔵と同様に瓦葺の庇があった。



今朝、改めて路上観察してきた。窓周りの漆喰細工。そのデザインは装飾過多でもなく簡素でもなく、程よい。丁寧につくられている。このままの状態でずっと保存して欲しい。今このような細工ができるのかどうか。仮にできるとしても相当費用がかかるだろう。

下の蔵も梓川で見かけた。下屋付きの蔵の場合、妻側のデザインをまとめるのが難しい。

妻壁の中心線を少し左に外した窓。太い窓上のまぐさと窓下の台座(窓台)。シンプルな鉢巻き。下屋はなまこ壁の見切りを一段下げている。そこに付けられた横長の小窓、その四隅にも細工が施されている。壁の白さが清々しい。存在感のある蔵だ。



蔵はいろいろ。面白い。


 


安芸の野良時計

2009-07-11 | D 切手


■ 民家 昔の記録

四国は高知県、安芸市の野良時計を訪ねたのは1980年の4月1日のことだった。のどかな田舎にあるこの時計はなんと120年以上も前につくられたものだそうだ。

この時計は平成20年度の郵便番号簿の表紙になっているが、画家の原田泰治が描いた絵が採用されている。同じ絵は切手にもなっている。

この絵がいつ頃描かれたのかは分からないが、写真と比べると赤い郵便受けの位置、蔵の外壁の漆喰の剥落した状態などまで同じだ。

今から30年位前の数年間、全国各地に民家を訪ねたが、当時の姿を今もそのまま留めているところはもうほとんどないだろう。が、ここはネット上の写真を見る限り今も変わっていない。再訪する機会など無いだろうからこの目で確かめようもないが。

蔵いろいろ 会津若松

2009-07-09 | A あれこれ





民家 昔の記録 会津若松の蔵 198210

 先日妻壁に大きな開口部を設けた蔵は記憶に無いと書きましたが、記録にはありました。上下2段の開口部、ともに両開きの扉付き。このような上下2段の開口部を妻壁に設けた例というのはあまり見かけないような気がします。

下の写真の蔵の目板葺きの庇、これは後から付けたのではないかと思います。庇以外のデザインはよく似ています。共に堂々とした、存在感のある蔵です。

♪人生いろいろ、男もいろいろ、蔵だっていろいろ・・・、ですね。


 


幸田露伴 「五重塔」

2009-07-08 | A 読書日記


 幸田露伴の『五重塔』岩波文庫。

1957年の7月6日未明、この小説のモデルの谷中五重塔が焼失した。不倫関係を清算するために焼身自殺しようと五重塔に放火するという事件によって、だった。火遊びの始末に放火しちゃいけなかったんじゃないかな。焼失後再建されることなく礎石が残るのみだったそうだが、数年前再建構想が浮上しているそうだ。

露伴の傑作と評されているこの短編(文庫本で116ページ)を6日から読み始めた。再読だが前回はいつ読んだのか記憶にない。

この小説は隙間時間読書には不向きだ。きちんと時間を確保してじっくり熟読すべきだろう。今週末、カフェ・シュトラッセで読もうかな。

「古寺巡礼」

2009-07-07 | A 読書日記



『古寺巡礼』和辻哲郎/岩波文庫

■ 先日再読した『風土』は和辻哲郎の名著だ。この本は要するに「文化の相違を風土の相違にまで還元する」という試みだった。この指摘、実は『古寺巡礼』に出てくる。

**もしゴシック建築に北国の森林のあとがあるとすれば、われわれの仏寺にも松や檜の森林のあとがあるとは言えないだろうか。あの屋根には松や檜の垂れ下がった枝の感じはないか。堂全体には枝の繁った松や檜の老樹を思わせるものはないか。東洋の木造建築がそういう根源を持っていることは、文化の相違を風土の相違にまで還元する上にも興味の多いことである。**

和辻哲郎は直観力に優れた人だったと思う。『風土』そして『古寺巡礼』を読んでそう思った。和辻は文化的事象を観察することでその背景にある抽象的で曖昧模糊とした風土を読み取った。それは論理的な思考ではなく、直観力によってのみ可能だったと思う。

『古寺巡礼』が出版されたのは大正8年、1919年のことだった。和辻がちょうど30歳のときだ。序によるとその前年友人と奈良付近の古寺を見物したときの印象記だという。この本の読了後の感想を簡潔に記すことは難しい。

和辻哲郎の名著を再読できて満足、本稿ではそれだけを記しておく。