■ 長谷川尭さんの『建築有情』中公新書を読み終えた。この本は1978年の3月に読んでいるから、31年ぶりの再読ということになる。
以下「回廊」からの引用
**<回廊>のデザインにとってもっとも重要な点は、あまり高くない柱の列に支えられたアーチのリズム、つまりアーケードとよばれる部分の意匠にある。中庭と廊下を仕切りながら、外気を歩廊の部分にまで引き込み、同時に庭と向こう側の廊下と空を見通すことのできるスクリーンのようなこの列柱とアーチの構成は、修道院建築の中でもっとも美しい部分であり(中略)<回廊>が本来歩くための空間であることから一定の間隔で立っている柱とアーチは、歩行者にそれぞれのリズムを与え(後略)**
モアサック修道院とアルハンブラ宮殿の「繰り返しの美学」な回廊の写真に長谷川さんはこのような文章を添えている。やはり表現力のある方だと思う。空間の魅力を文章にすることは易しいことではない。
「駅舎」と題する文章では御茶ノ水駅とそれを囲む都市空間の魅力を綴っている。
先週末、新宿駅から中央線で東京駅に向かっているときこの空間に注目していた。高架化された中央線が、この駅に近づくと谷底に向かうように沈んでいく。そこで目に入ってくるのが、乗客のために整備されたかのような緑の帯。無機的なビルの林が続く窓外の風景はここで緑の林に一変する。
「御茶ノ水空間」と著者は名付けているが、コンクリートの聖橋、鉄骨の御茶ノ水橋、そして植栽された土手の斜面などで構成されている空間は確かに魅力的だ。
実はセミナー終了後、この「御茶ノ水空間」の観察をしようかとも思っていたが、ギャラリー間を選択したのだった。次回はこの空間を観察しよう。
『建築有情』 良書は時の流れに耐える。
路上観察 南木曽町田立の蔵 090704
■ 茅葺の民家ほどには蔵のデザインに地域性は無いだろう・・・。これが、さにあらず。地域によって蔵のデザインもいろいろだ。今回は岐阜県中津川市と境を接する南木曽町田立で路上観察した蔵。
蔵には主として防火上の理由からそれ程大きな開口部は無い。特に妻壁にはあまり設けない。ところが路上観察したふたつの蔵は妻壁の上部に大きな開口部があった。庇は銅板葺きの薄いものをよく見かけるが、このような瓦葺のどっしりとした庇は私の記憶にない、記録にはあるかもしれないが。それと両開きの扉にも注目。妻壁の開口部には扉がないか、あっても普通片開きではないか。
蔵の壁の仕上げに用いられる漆喰は風雨で傷みやすいので、腰壁はなまこ壁や板壁にすることが多い。腰壁と上部の壁の見切りは普通下の蔵のように水平だが、上の蔵は屋根の勾配に合わせてへの字型になっている。鉢巻きも白と黒。このようなデザインから上の蔵は少しにぎやかな、というか派手な印象を受ける。
比して下の蔵は落ち着いた印象。どちらが好みかは人それぞれだろうが、私は下の蔵のデザインの方が好きだ。