透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

雨降りだ、本を読もう

2009-07-25 | A 読書日記



 休日のひと時、カフェ・シュトラッセで読書しながら過ごす。

屋根を打つ雨の音、水が張られた田んぼを渡ってくる涼風、店内に静かに流れるピアノ曲。
こんな時は川上弘美の小説がいいなあ、と思いつつ『屋根の日本史 職人が案内する古建築の魅力』原田多加司/中公新書を読む。

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先日(0714)見たNHKのテレビ番組「爆笑問題のニッポンの教養」で味覚の研究をしている九州大学大学院教授の都甲潔さんと爆笑問題が語り合っていた。

都甲教授によるともともと生物は「甘み」を好み、「苦み」を嫌う味覚を持っているのだそうだ。甘みは栄養、苦みは毒。どうもそのように生物にはインプットされているらしい。番組では単細胞生物の粘菌を使った簡単な実験によってそのことを実証していた。そういえば、♪あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ とホタルを誘う童謡があったっけ。

ところが、人はいつの間にかこの苦みを好むようになった。コーヒーを好むのもその一例だ。

苦みは毒というデータが人にもインプットされているためだろうか、苦いコーヒーを飲むときほんの一瞬、ためらいが生じる。さあ飲むぞ、その時たぶん自分にそう言い聞かせるのだろう。理性による本能の説得だ。

ところが、である。カフェ・シュトラッセのコーヒーを飲むとき、この一瞬のためらいは生じていないのではないかと思う。実に素直にというか、スムーズに飲むことができる。深煎りのコーヒーがまろやかで、甘みさえ感じるのだ。

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『屋根の日本史』原田多加司/中公新書

この本を読むと、古代から優れた建築技術が連綿と受け継がれ、磨かれてきたことが分かる。そしてそのような技術が今、廃れつつあることも。伝統的な建築文化を捨てたこの国の当然の帰結、悲しい・・・。

**近代以降のわが国の歴史は、有り体にいえば職人の矜持(きょうじ)をなし崩しにしていった過程であって、「近代化」や「画一化」という巨大なひき臼によって、ひき潰されていくという根の深い社会問題を孕んでいた。** 

著者は家業の桧皮葺師・柿葺師の10代目 原田真光を襲名し、国宝や重要文化財など指定建造物の修復を多数手掛けている職人。


 


車椅子は椅子か?

2009-07-25 | A あれこれ

 皆さんは車椅子を使う生活の経験、ありますか?

昨日の新聞(信濃毎日新聞)のくらし欄に車いす(記事の表記に倣います)に関する記事が載っていました。**生活の場に応じて対応が可能です。** **車いすは生活の質にかかわるもの。** このような内容から、車いすを椅子としても使うことを前提として記事は書かれていることが分かります。記事のタイトルも「生活に応じ 楽な姿勢で」となっています。

車いすは椅子と同じなのでしょうか。確かに座面と背もたれがありますから、椅子と同じです。でも車いすの大きな車輪はどうも安定感に欠けます。椅子の脚のようにしっかりと床に据えられているという感じがしません。車輪が固定されていても、です。それとフットレストが気になります。フットレストは名前の通り、足を置くところですが、やはり床に足を置くのとは明らかに安定感、安心感が違います。フットレストを跳ね上げて床に足を置くこともできますが、フットレストが邪魔で足の位置が自由になりません。

このように車いすと椅子とは明らかに違う、と私は思うのです。ちなみにウィキ
ディアにも**車椅子は、身体の機能障害により歩行困難となった者が利用する移動手段、福祉用具である。**とあります。福祉用具ということばに椅子としての機能が含まれているのかどうかは分かりませんが・・・。

老人ホームにお邪魔すると、お年寄りが車いすでテーブルに向かって食事をしていたり、テレビに向かっているところをよく目にします。そこに私は違和感を覚えてしまいます。車いすは椅子ではないのですから・・・。

その一方で介護する方のことも考えるのです。日常生活の様々な場面で車いすから椅子にお年寄りが移乗するのをサポートする。一日に何回も。これは大変なことでしょう。介護員が腰痛に悩まされ、職を離れなくてはならなくなってしまうということもよく耳にします。車いすから椅子への移乗をなくせば、かなり楽なことは分かります。それで、車いすを椅子としても使う・・・。

1台29万8000円と記事に紹介されている車椅子(かなり高額ですね)には背もたれが倒れるリクライニング機能、ひじ掛けの高さが調節できる機能、背もたれと座面の角度を変えないで傾けられるチルト機能などが付いているそうです。でも、私はやはり普通の椅子がいいです。普通の椅子に座って食事がしたいです。

新聞記事を読みながら考えてしまいました。

「日常生活の質の確保か、介護の負担軽減か、それが問題だ」