「この子のミルクとおむつさえあれば(それだけでいいです)」
避難所で幼い子を抱く若い母親が取材者の向けたマイクに答えている様子をテレビで見た。母親は両親や親戚の安否が分からないそうだが、気丈に答える姿に涙があふれた。 避難所ではそのミルクもオムツも足りないという・・・。
なんとか、耐えて、生きて、生き抜いて欲しい。ただそう願うばかりだ・・・。惨状を伝えるニュースを見るのがつらい・・・。でもこの現実を直視しなくては。
ここでなんとか踏ん張らなくては・・・。
「この子のミルクとおむつさえあれば(それだけでいいです)」
避難所で幼い子を抱く若い母親が取材者の向けたマイクに答えている様子をテレビで見た。母親は両親や親戚の安否が分からないそうだが、気丈に答える姿に涙があふれた。 避難所ではそのミルクもオムツも足りないという・・・。
なんとか、耐えて、生きて、生き抜いて欲しい。ただそう願うばかりだ・・・。惨状を伝えるニュースを見るのがつらい・・・。でもこの現実を直視しなくては。
ここでなんとか踏ん張らなくては・・・。
■ 今回の大地震と巨大津波により被災された大勢の人たちは避難所の極めて厳しい環境で日々過ごさなくてはならない。避難所にも入れない人たちも大勢いると聞く。ここ数日、夜間の冷え込みが厳しいとのこと。仙台在住の友人からは不自由な生活の様子がメールで伝えられた。避難所で体調を崩して搬送先の病院で亡くなったお年寄りが出た、と先ほどラジオが伝えた。なんということだ・・・。
一瞬にして平穏な暮らしを断ち切られた人たちの苦しみ、悲しみを思うと、涙が出る・・・。何とか心が折れないようにして欲しいと願うばかりだ。
個人レベルの支援はもちろん大切だしそれが基本ではあるだろう。でも、国の省庁などの主導で都道府県から市町村にまで及ぶような、さらに企業や団体をも組み込んだネットワークを構築して、トップの総括的な采配のもと、有効かつ効率的な救済・支援が出来ないものだろうか。 例えば国(厚生労働省)から県、県から市町村というフローで、旅館や民宿が多い市町村に対しては被災者の受け入れを要請するというような。
■ 今回の大地震と巨大津波によって東日本各地に甚大な被害がでている。
東京電力では「計画停電」を始めた。昨日(14日)は情報が二転三転し、実施対象地域は大混乱に陥ったという。この計画停電の情報は情報弱者にも的確に伝わるような工夫が必要だ。読みにくい文字情報では、分かりにくい。
実施計画を文字情報と共に、地図上にエリアを表示して発信すべきだと思う。 視覚的な情報は短時間で伝えやすいし、把握もしやすい。ネット上に全国を網羅する詳細な地図があるではないか。実施は容易なはずだ。エリアの色分けで時間帯を分かりやすく伝えるなどの工夫をして欲しい。
■ 11日午後2時46分ころの大地震で発生した巨大津波が東日本の太平洋沿岸部を襲い、複数の町が壊滅的な被害を受けた。津波が町をのみ込む様子を見ても現実感が伴わない。信じられない光景だ。
大津波警報が発せられてから大津波が町を襲うまで、2、30分くらいだったとのこと。「逃げれば助かる」ことは分かっていても、お年寄りや小さな子どももいる。健常者だけではないのだから、避難するのは大変だっただろう・・・。短時間で避難できるような高台がある立地かどうか、町なかに避難できるようなRC造のビルがあるのかどうか・・・。
安否不明の家族、友人、知人。泣き崩れる地元の人たち・・・。惨状を見るのはつらい。悲しくて涙がでる・・・。
ここで改めて、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げ、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
■ 河田惠昭氏の『津波災害 減災社会を築く』 岩波新書によると木造2階建ての家屋は浸水深さ2メートル、流速毎秒4m位で浮き上がり、流れ出すという。自然の巨大なエネルギーにはまったく無力だ。大津波に対しては建築的なレベルでは対処できないということが映像をみてよく分かった。護岸や堤防を整備をするという今までの発想にも無理があるのではないか。
復興計画では町の立地や構造(道路計画をはじめ避難施設として使用可能な公共施設や住宅地の配置など)をも考慮しなくてはならないだろう。今までの町の状態に戻すという考え方ではダメだ。
力技で自然を律するなどという発想は改めなくてはならない、と惨状を見て思った。未曾有の大災害の教訓を今後の都市防災計画に反映させることができなければこの国に安全・安心な将来はない。
復興はしばらく先のこと、今は被災者への支援がきちんと行われることを願うばかりだ。 それにしてもこんな大惨事が起こるなんて・・・。
以上、現時点で何を考えたか、備忘のために記す。
東北地方太平洋沖地震で被災された皆さんに心からお見舞い申し上げます。
破壊された木造家屋、車などで覆い尽くされた太平洋沿岸の町の惨状に言葉もありません。
145 東筑摩郡麻績村で見かけた火の見櫓
■ 麻績(おみ)は中山道の洗馬(せば)から善光寺に至る善光寺街道の宿場だった。
柱材、横架材、脚部のアーチ材など、櫓の構成部材は鋼管。まるで笠のような小さな屋根がちょこんと載っている。避雷針につけられた矢羽の手づくり感がいい。
山あいの村の素朴な火の見櫓。
■ 前稿に引き続き本稿も「包む」を取り上げる。
「火の見櫓はおもしろい」はただ単にタイポロジーを楽しんでいるだけなのだが、「包む」は対象も広く、内容もどうやら多岐にわたりそうでタイポロジーという切り口だけでは扱いきれないような気がする。この先どうなることやら・・・。
さて、この写真は・・・、カラマツの集成材で被覆した(包んだ)H型鋼のモデル。このような複合構造材で一時間の耐火性能を有することが実験的に確認され(これは集成材が燃え止まることによる)、耐火構造の建築が実現している。下の写真はその実例(名古屋)。一時間耐火性能では最上階から4層までに使用が制限されるから、この5階建てのビルの場合、1階はRC造。
近年、環境保全の観点から木材利用の促進が求められており、国も公共建築に積極的に木を使う、という方針を打ち出している。現行の建築基準法では木の使用がかなり制限されているが、このような複合構造材による建築がもっと実現してもいいのではないか、と思う。
■ 何のために包むのだろう・・・。ものを包む目的を挙げてみよう。
・守る 汚損から守るために包む。
・装う 例:プレゼントを包装紙で包む。
・運ぶ 例:箱詰めの果物や野菜、米俵
・まとめる 散在しないようにまとめる。例:画鋲や色鉛筆などを入れる箱、粉末状の薬のカプセル、調味料や液体を入れる容器。
・隠す 例示しなくても・・・。
・形を整える 例:おっぱいの形を整えるブラ、偽装効果もあり。おっと、呑んだ日本酒のアルコール効果が・・・
餃子、オムレツ、ロールキャベツなどの料理は?お面は?ろうそくを包む提灯は?湯たんぽのカバーは? 上記以外にも包む目的がありそうだ。いずれ網羅的に挙げて整理しよう。
包むという行為の定義付けもしなくては。包む方法も整理しなくては。「包む」のソフトとハードか・・・。
144 筑北村坂北で見かけた火の見櫓
■ この火の見櫓にはブレース(柱材と横架材とで構成される四角いフレームに入れる斜材)が無い。 柱材には等辺山形鋼が使われることが多いが、この火の見櫓には100×100の角形鋼管が使われていて、剛性が高いためであろう。
櫓の外に設置された梯子に籠状の覆い(名称が分からない・・・)が付けられている。これで上り下りの際の恐怖感が相当和らぐはずだ。
6角形の屋根に、6角形の見張り台。共に意匠はごく普通。
■ 注文しておいた『江戸の坂 東京の坂』 横関英一/ちくま学芸文庫が届いた。
カバー裏面から本書の紹介文を引用しておく。
**東京の坂道と、その名前を見つめると、江戸庶民の暮らしと心が浮かび上がる。東京中を隈なく歩き、古書や古地図を渉猟して、坂道に織り込まれた歴史を辿る。**
興味深い内容の本だ。 読み始める頃には桜が咲いているかもしれない・・・。
メモ)カバー写真:東京九段坂(明治26年)
■ いま、東京新橋の汐留ミュージアムでは建築家・白井晟一展が、東京都庭園美術館では20世紀のポスター「タイポグラフィー」が開催されている。共に今月27日までの会期。また、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムではフェルメールの「地理学者」が公開されている。この3か所だけなら日帰りでも周ることができそうだ。
出かけるか・・・。
■ 雑誌「クウネル」に掲載された川上弘美の掌編小説をまとめた 『ざらざら』*1。
川上弘美の描く小説世界は春霞のように輪郭がはっきりしない。ふわふわと宙に浮かんでいる。そう、作品名にもある「風花」のように。『ざらざら』、単行本は2006年に発行されたが、この度文庫化された。カワカミワールド好きとしては当然文庫でも読む。
*1「野生時代」と「Lois Crayon」に発表された作品も含まれている。
■ 2月のブックレビュー
『成熟と喪失』を30年ぶりに再読した。副題「〝母〟の崩壊」が何を意味しているのか、どう理解するかがポイント。
『モンシロチョウ キャベツ畑の動物行動学』 小原嘉明/中公新書
モンシロチョウなどでは紫外色が配偶者を特定するための信号色として必須の役割を演じている。紫外色は鱗粉に含まれる紫外線吸収物質の量によって決まる。再読してこのことを確認した。
読み始めた『形の生物学』には、なんと擬態するトラフアゲハという北アメリカに生息するチョウが紹介されている。
『江戸の紀行文 泰平の世の旅人たち』 板坂耀子/中公新書
江戸時代の旅人には筆記用具は必携だった。カメラなど無い時代、旅先で積極的に聞き込み調査をして情報を得て、紀行文としてまとめていた。優れた観察眼と表現力、江戸の旅人を見習わなくては・・・。
■ 『形の生物学』 本多久夫/NHKブックスを読み始める。著者は生物の多様な形に共通するものとして「袋」に注目する。
**本書は多細胞動物の袋構造に注目し、袋の実体と袋の形成のされ方、および袋の果たしている役割について述べるものである。**(8頁)と「はじめに」で著者は簡潔に書いている。
袋の役割は、移動する生物体では動く個体をひとまとめにすることだと著者は指摘し、外界に対する仕切りの役割でもあると続ける。で、第一章は「身体は袋でできている」。
ヒトの体をトポロジカルに筒、管と捉え、ドーナッツと同じだとする見方はよくある。このドーナッツを覆う表皮シートをイメージすると確かに閉じた袋構造であることが分かる。
なかなか、おもしろそうな内容の本だ。今週は読書に時間を割こう・・・。
■ 『江戸の紀行文 泰平の世の旅人たち』 板坂 耀子/中公新書 を読み終えた。
江戸の紀行文といえば芭蕉の「おくのほそ道」しか思い浮かばないと先日書いたが、その後十返舎一九の「東海道中膝栗毛」もあったなと思い出した。本書で朱子学者の貝原益軒が優れた紀行作家でもあったことなどを知った。
貝原益軒は「木曽路記」の跋文で木曽路を岐岨路としている。手元の漢和辞典で「岐」にはえだみちという意味があり、「岨」には険しい山路という意味があることを知った。そうか・・・、「木曽」は元々「岐岨」で、細くて険しい山路というような意味だったのだ。
このことを知っただけでもこの本を読んだ意味があったと思う。あの司馬遼太郎だってたったひと言を絞りだすのに膨大な資料にあたった、というではないか。
伊勢松坂に小津久足という優れた紀行の書き手がいたことも知った。(加筆予定)