透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「気仙沼に消えた姉を追って」

2012-03-12 | A 読書日記



 『気仙沼に消えた姉を追って』生島淳/文藝春秋を昨日読んだ。

NHKの「ラジオ深夜便」、3月9日の午前4時過ぎからスポーツジャーナリスト生島淳さんの震災復興インタビューを聞いた。
 生島さんは宮城県気仙沼の出身。地元で暮らしていたお姉さんを昨年の震災で亡くされた。インタビューで生島さんはそのこと
を語り、この本のことにも触れていた。

昨年3月13日に東京で生島さんのお母さんの法要が予定されていて、お姉さん夫婦は3月11日に上京する予定だったという。ところがその日の午後、大津波に襲われて消息不明に・・・。

14時46分、地震発生。長い揺れだったが、お姉さんの家に特段大きな被害はなかったようだ。揺れが落ちつき、15時前後からお姉さんは、娘さんや息子さん、兄弟に電話をしたそうで、生島さんの家にも電話があったそうだ。生島さんの息子さんが電話を受けたそうだが、生島さんは**ここで自分が電話を受けていればすぐにでも走って逃げろ、と激しくせき立てることができたはず**(219頁)と悔やむ。

あの大震災では同じようなことが随分たくさんあったことだろう・・・。**「なぜ亡くなったのか、悔しい思いが消えない。生存した人もいて複雑な気持ちだけど、前に進みたい」**12日付朝刊(信濃毎日新聞)の社会面に南三陸町の防災庁舎でご主人を亡くされた女性のコメントが載っている。

生島さんは震災で行方不明になったお姉さんを探すべく気仙沼を訪れる。それは故郷気仙沼を知る旅でもあり、家族のことを知る旅でもあり、お姉さんの死を受け入れる旅でもあった・・・。

被災された多くの人たちの深い悲しみが少しずつ癒されていくことを願うばかりだ。


 


路傍の石神石仏 松本山辺地区

2012-03-11 | B 石神・石仏


 山辺(やまべ)は松本市の東側に位置する古くからある地区。文字通り、里にある里山辺と東、北、南の3方を急峻な山に囲まれた入山辺からなる。この季節、山辺からは遠く西方に北アルプスの白い峰々がよく見える。



文字書き道祖神(右)と常夜塔、左は青面金剛像(庚申塔)




文字書き道祖神 習字の手本のような癖のない楷書


これが青面金剛像だということは、しばらく前には分からなかった。知識を得ると見えない像でも見えるようになってくる。でも、まだまだ分からないことが多い。



石塔の高さ約1m、幅75cm。整った形の石に鳥居(鳥居は神明(しんめい)系と明神(みょうじん)系に分かれるとのことだが、この鳥居は「明神鳥居」と呼ばれる鳥居だと思う)。鳥居の右側に建立年が彫り込んであるが、文化の文字しか読みとれない。この辺りは江戸末期は林村だったということか。今ある町村よりずっと小さな集落単位の村がいくつもあったのだろう。



入山辺地区には平らな土地が少ない。石積みの擁壁で平らに造成した敷地に民家が建てられている。これは擁壁の祠に祀られた道祖神。上の道祖神と同じで明神鳥居に双体道祖神が納められている。この写真では分かりにくいが鳥居の額束に「道祖神」の扁額が掛けてある。




唐破風の下に彫られた平安貴族風の双体道祖神 

顔のあたりには何か塗った痕がある。地元の人たちが行事として行っているのだろう。雪の残る狭い生活道路に駐車していたので落ち着かず、また人も見かけなかったので、話を聞くこともしなかった。

(追記)誰にも見られることなく道祖神に餅を塗ると良縁に恵まれるという言い伝えがあることを知った。


青面金剛像

像の上にあるのは太陽と月だろうか。これにももちろん意味があるはずだが、分からない。もしかしたら正月の御柱の日天、月天とも関係があるかもしれない。民俗学か・・・。


安曇野市三郷北小倉の御柱

下には見まい、聞くまい、しゃべるまいの三猿が並んでいる。三猿が刻まれるようになったのは江戸時代のことだと資料(「道祖の神と石神様たち」西川久寿男)にある。三猿を三尸になぞらえて悪事を天帝に報告させないという意味から来ているのだという。



青面金剛像の隣の馬頭観音碑 勢いのある文字だ。

山辺地区にはまだまだ石碑があるだろう。新緑の頃、再訪したい・・・。


 ■ 死者15,854人、行方不明者3,155人(11日付信濃毎日新聞朝刊による)を出した東日本大震災発生から今日で1年が経った。私はこれら路傍の石神石仏にそっと手を合わせた。


「戦火の馬」

2012-03-11 | E 週末には映画を観よう



「戦火の馬」チラシの一部  馬のジョーイと少年アルバート 

 スティーブン・スピルバーグ監督作品の「戦火の馬」を観た。この映画は強い絆で結ばれた馬と少年がそれぞれ苛酷な戦火を生き抜いて奇跡の再会を果たす物語だ。

イギリスの田舎、広大な緑の大地で貧しい農家の少年アルバートに飼われていた馬、ジョーイが第1次世界大戦勃発でイギリス陸軍に売られ、軍馬として戦地に駆り出される。イギリス人将校、ドイツ軍の少年兵、両親を亡くして祖父と暮らすフランスの少女・・・。ジョーイはさまざまな人たちとの出会いと別れを繰り返しながら戦地を生き抜いていく。ドイツ軍の苛酷な軍役に多くの馬が死んでいく中、喘ぎつつ黙々と軍役をこなすジョーイ。やがてアルバートも兵士として戦場へ。次々と兵士が死んでいく壮絶な最前線でアルバートも生き抜く。

*****

イギリス軍とドイツ軍が対峙する戦場を狂ったように疾駆するジョーイ。やがて体に有刺鉄線が幾重も巻きついてジョーイは動けなくなってしまう。万事休す。一方、アルバートは砲弾をかわして生き抜くもドイツ軍が仕掛けた毒ガスで目を傷めてしまう。ああ、なんということだ・・・。

だが・・・、この後、ジョーイとアルバートは奇跡の再会を果たす。それを観て私は安堵の涙を流した。再会までの過程は書かないでおく。

勇気と希望をもってあらゆる困難に立ち向かい、生きていく・・・。3.11 あの大震災から1年。



 


「木精」 読了

2012-03-10 | A 読書日記




■ 『木精』新潮文庫読了。


**ぼくは椅子にかけた女に近づき、その腕を調べようとして、なにげなくその顔立ちを見た。すると、幼いころから思春期を通じて、ぼくが訳もなく惹きつけられていった幾人かの少女や少年の記憶が、たちまちのうちに、幻想のごとく立ちのぼってきた。あの切り抜いた少女歌劇の少女の顔にしても、たしか片側は愉しげで、もう一方の片側は、生真面目な、憂鬱そうな顔をしてはいなかったか。その女性―まだ少女っぽさが残っている彼女の顔は、あの写真の片面同様、沈んで、気がふさいで、もの悲しげだった。**(33頁)

前回『木精』を読んだときと同様、蕁麻疹(じんましん)の治療のために往診して初めて会った女性、倫子の印象を書いたこの部分がやはり印象的だった。

いつも明るく振舞っているのに、ちらっと見せる寂しげな表情、どことなく漂う暗い影・・・。他の誰も気がつかないその刹那。昔々、僕が若かりし頃に惹かれた女性に通じる雰囲気。

**倫子、君を愛したということは、或いはぼくの人生が表面的な不幸の形で終るにせよ、なおかつ幸福であったといえることにつながるのだ。倫子、ではさようなら。ぼくは自分のもっと古い過去の時代に戻っていかねばならない。それを書き造形することがぼくの孤独な凍えた宿命なのだから。**(262頁)

物語の終盤で主人公は倫子との恋をこのように総括する。そして「人はなぜ追憶を語るのだろうか」に続けて「どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。・・・」と『幽霊』を書きはじめる。

『木精』は『幽霊』の続編という位置づけだが、今回読む順番を逆にしたのはこのことによる。

『幽霊』も『木精』同様、30年以上も前に買い求めた。用紙がかなり変色しているし、今の文庫本と比べて文字が細かい。でもいかにも昔読んだ文庫本という感じがして好ましい。


 


「木精」 北杜夫

2012-03-07 | A 読書日記



 再読中の小説『木精』が一部ばらけてしまった。糊付けをして補修した。奥付をみると昭和54年12月30日4刷となっている。昭和54年だとピンと来ない、1979年だ。30年以上も前に買い求めた本だから、劣化も仕方がない。でも紙は全く変色していない。

北杜夫は『マンボウ最後の大バクチ』新潮文庫で**以前から私のハードカバーはまったくなく、その代り文庫のところには「北杜夫」という札があって、かなりの文庫だけは並んでいた。ところが次第にその数が減ってきたときには、さすがに寂しくなり心配になってきたものだ。ところがこのたびは、北杜夫なる札もなく文庫すら一冊もないというのを発見し、ザンネンという思いよりなんだか愉快になってしまったものだ。(中略)私という生命自体もその作品もはかなく消え去ってしまうであろう。**118頁 と書いている。

そう、確かに以前は北杜夫の文庫本はかなり並んでいた。でも今では数冊しか並んでいない。新潮社は文庫の『幽霊』や『木精』を絶版にはしないと思うが、繰り返し読んだ想い出の本、読了後は書棚にそっと戻しておこう・・・。


 


繰り返しの美学

2012-03-07 | B 繰り返しの美学



 火の見櫓に夢中になっていて、「繰り返しの美学」のことはどこへやら・・・。やはり時々原点に立ち返ることが必要だ。

アイシティ21、松本市に隣接する山形村にあるシネコンもとり込んだ大型複合店の広い駐車場内に設けられている屋根付き通路。細い鋼管で構成したフレームを直線的に、そして等間隔に繰り返している。「繰り返しの美学」の典型的な実例だ。既に取り上げているが再び取り上げる。

構成要素そのもののデザインは特にこれといった特徴もなく凡庸なものであっても、それを直線的に、そして等間隔にいくつも配置すると、「あ、きれいだな」とか、「整っていて気持ちがいいな」とか、そういった感情を抱く。このような経験は私の個人的なものではないだろう・・・。シンプルなルールによって、ものが秩序づけられた状態、様子を脳が歓迎しているのだ。

脳科学者の茂木健一郎さんは次のように指摘している(『「脳」整理法』ちくま新書)。

「規則性は歓びの感情を引き起こす」
**規則性や秩序によって呼び起こされる感情には、独特のものがあります。(中略)規則性に歓びを感じるという人間の嗜好が確かにあるわけです。**

「脳はランダムな出来事に無関心」
**ランダムだとわかってしまっている現象について、脳は、基本的に興味を失って無関心になります。(中略)ランダムな事象でもそこに何らかの規則性や傾向を読み取ろうとしてしまうのが、私たちの脳のいわば「くせ」なのです。**

なぜ繰り返しに美を感じるのか、という問いかけに対して明快に答えるのは難しい。上記のような茂木さんの説明(今までに何回も引用した)に素直に頷くしかない。




255 松本市今井小池の火の見櫓

2012-03-05 | A 火の見櫓っておもしろい

 
255 松本市今井小池の火の見櫓 撮影120304





 小さいが美脚付きの火の見櫓、半鐘付き。3角形の櫓に6角形の屋根と見張り台、外付け梯子。矢羽付き避雷針、軒先に蕨手。消防信号板。

火の見櫓に関する情報の大半を写真に頼るとしても、せめてこのくらいは書いておこうと思う。美脚というのは客観的な事実ではなく、自分の感性による判断。

情報を自分で咀嚼して「文章にする」ことが大事なのだ。理解できたことを文章にすることに意味がある、と考えてブログを続けていこう。まともな文章は書けないが・・・。


備忘のために所在地の地図を添付する。


 


不鮮明な道祖神像を見て考えたこと

2012-03-04 | B 石神・石仏


東筑摩郡山形村小坂の道祖神

■ 知らないことは見えない、読みとれない、分からない。この不鮮明な道祖神像から何が分かるのか・・・。この道祖神が祀られている山形村が発行した「双体どうそじん」という冊子にはこの道祖神も紹介されている。

冊子が説いていることは、双体道祖神は普通向かって右が男神だが、この道祖神は左が男神だから仏教系だということ。なぜ向かって左が男神だと分かるのか。冊子には説明がないが、それは右腕の位置、女神はこのようなしぐさをしないということであろう。



それから碑身(このことばは覚えておこう。)の大きさに比して像が小柄で像の上の部分が必要以上に広いのは、文字があったが消えてしまったか、意図的に消したかどちらかだろうということだ。像の上の余白を必要以上に広いとみるか、こういうバランスもあるとみるか。こういうバランスもありだとみれば、上のような疑問はわかないわけで・・・。

この辺の見極めというか、判断が重要なのであろう。医者が患者を診察するときも然り。病状を診て、特に問題ないと判断するか、直ちに治療をする必要があると判断するか。漁師が荒れた海を見て出漁問題なしと判断するか、休漁すべきだと判断するか。

的確な判断をするため必要なこと。それは「形式知」、「経験知」をひたすら獲得して磨くことだろう。

知らないことは見えない、読みとれない、分からない。


心像(知覚心像、記憶心像)、知識、記憶、情報 経験 形式知、経験知、総合知 これらの言葉の意味や関係を正しく理解しないといけないなぁ


 


「木精」 北杜夫

2012-03-04 | A 読書日記



■ ラジオ深夜便。4日の午前1時過ぎの「深夜便アーカイブス」で北杜夫の「母を語る」(平成7年10月放送から)を聞く。北杜夫は母親からは好奇心を、父親の茂吉からは集中力(という言葉だったかどうかはっきりしないが)を受け継いだと語っていた。

『どくとるマンボウ航海記』や『どくとるマンボウ昆虫記』は北杜夫の好奇心が書かせた作品。今回は再読を見送ることにした長編小説『輝ける碧き空の下で』では資料調べなどの際に集中力が発揮されたのであろう。共に作家に必要な資質だ。

『黄いろい船』
『どくとるマンボウ青春記』
『どくとるマンボウ途中下車』 
『どくとるマンボウ追想記』
『どくとるマンボウ昆虫記』
『どくとるマンボウ航海記』
『夜と霧の隅で』
『白きたおやかな峰』 
『楡家の人びと』

以上の作品の再読を終えている。今回はあと2作品、『幽霊』と『木精』を読むことにし、以下の作品は見送る。

『輝ける碧き空の下で』
『さびしい王様』
『どくとるマンボウ医局記』

『木精』は1981年、1996年、2000年、2006年(過去ログ)と、4回読んだ記録がある。今回はどんな読後感を抱くだろうか・・・。


 


「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学

2012-03-03 | A 読書日記



 この本は記憶障害や認知障害を専門とする臨床医である著者が**わかるとはどういうことか、すなわち認識の仕組みについて(中略)、専門的な用語や表現をなるべく使わず、誰にもわかってもらえるよう、やさしくまとめたものです。** はじめにより引用(009、010頁) 

以下私の理解。

心に思い浮かべることのできる全ての「現象」を心像、メンタルイメージという。この心像には知覚心像と記憶心像とがあって、「わかる」というのは知覚心像が記憶心像と照合できるということ。

視覚や聴覚、嗅覚などの「知覚」によって得られた情報が脳に伝えられると(知覚心像)、脳は記憶している情報、知識(記憶心像)を引っ張り出してきて重ね合わせ、同定を試みる。それが出来た瞬間、脳はわかった!と叫ぶ、じゃなかった、認識する。だからり脳は知らないことは認識できないというわけだ。本書に紹介されているアラビア文字を全く知らない私は、それを単なる模様としか認識できない・・・。

「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」金子みすゞの詩のような、認識の理解。


 


「変な給食」

2012-03-02 | A 読書日記


『変な給食』 幕内秀夫/ブックマン社

 『もっと変な給食』を読んでから『変な給食』も読んだ。順序が逆になってしまったのは松本駅前の丸善で2冊とも買おうと思ったのだが、『変な給食』が無かったから。

カバーに載っている3つの献立を見てもなんだか変だなぁ、と思う。一番上は「きつねうどん、いちごむしパン、牛乳」という献立。この本には「カレーうどん、たこ焼き、そら豆、牛乳」、「カルちゃんやきそば、ねぎま串、フルーツヨーグルト、牛乳」、「カレーラーメン、たこ焼き、乳酸菌飲料、牛乳」、「チョコパン、アメリカンドッグ、白菜スープ、牛乳」、「黒糖パン、桜エビのかきあげ、みそ汁、牛乳」などという献立が紹介されている。

プロの栄養士が考える献立がなぜこんなことになるのだろう・・・。到底理解できない。著者は油脂類や砂糖が学校給食の献立に多すぎると指摘する。 成人病の低年齢化、アレルギー、肥満。これらの原因が学校給食には全く関係ないと言い切れるのだろうか、成長期にある子どもたちのためのバランスのとれた献立だと胸をはって言えるのだろうか、と思う。

カバーの真中の献立のアイス型パンはなんだ。食は文化だという視点がこのメニューを考えた栄養士にはあるのだろうか・・・。栄養士は食事に関するプロのはず。「子どもたちの食事はこうあるべき」、という理念というか基本的な考え方ををきちんと実践する努力をして欲しいと思う。もちろんそうしている栄養士が大半だとは思うが。

子どもたちが残さずに食べることを優先すると、この本に紹介されているような献立になるのだろうか。子どもにおもねることなど必要ないだろうに・・・。

この本で残念なこともある。間接取材に終始していることだ。栄養士や子ども、調理員、教職員、保護者ら、学校給食に関係する人たちに直接取材して欲しかったと思う。栄養士にも言い分があるかもしれない。


 箸で食べる学校給食を!


松本市和田の道祖神

2012-03-01 | B 石神・石仏





 道祖神というと男神と女神が仲睦まじく並んでいる双体道祖神を思い浮かべますが、文字書き道祖神もかなり多いのです。この道祖神にはしばらく前から気が付いていました。 先日ここを通りかかった時、近くに車を停めて観察しました。

3基のうち、真中の小さな石塔は馬頭観世音ではないかと思いますが、文字が不鮮明で読みとることができません。左側の石塔もやはり文字が読みとれませんでしたが裏面には嘉永元年十一月十七日とありました。

右側は文字書き道祖神で、細い文字が彫り込まれています。これは石工が彫ったものではないかもしれません。稚拙だと言いたいわけではありません。素朴で味わい深い文字、なかなかいいと思います。