透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「週刊ブックレビュー」最終回

2012-03-17 | A あれこれ

 NHKの「週刊ブックレビュー」、1991年4月にスタートした書評番組が終わった。今朝(17日)6時半から最終回の放送を見た。今まで放送してきた番組のVTR映像をメインに構成した総集編。21年間続いた番組で紹介された本は2万冊にもなるという。僕はこの番組をスタートした時から見てきた。

1時間番組の前半は3人のゲストがおすすめの本を持ち寄っての合評コーナー。本の読み方は人それぞれ、本の評価も人それぞれだということを実感した。

番組後半のゲストコーナーには述べ4,500人が出演したそうだ。北杜夫も川上弘美も出演している。有川浩(女性作家、念のため)も。テレビ出演を断る作家でもこの番組の出演依頼にはOKすることが多かったという。

しばらく前に買い求めた『週刊ブックレビュー 20周年記念ブックガイド』の「番組20年の歩み」という記事に、この番組がどんな経緯で生まれたのか、紹介されている。**「明治時代から本をたくさん読む人というのは、おそらく人口の1割くらい。すると視聴率は最高でも10パーセント。しかも、そもそも本が好きな人はテレビが嫌いなことが多い。となると、本を読まない人でも見るような工夫をする必要がある。しかし、それをやると今度は本好きな人からは好まれない内容になってしまう。そこからして、すでに大変なジレンマを抱えているわけです」**(70頁) 確かにそうかもしれない。視聴率はそれ程高くはなかっただろう。

毎回楽しみにしていた番組だっただけに、終わってしまったのはとても残念だ。

アシスタントを5年、司会者を3年務めた中江有里さんは、この番組を1番長い物語のようだったと評し、終わらない物語はないと語った。始まりのあるものには必ず終わりがある。確かにその通り。でもこの番組ほど終了を寂しいと思った番組は他にない。


 


北杜夫再読

2012-03-17 | A 読書日記

『黄いろい船』
『どくとるマンボウ青春記』

『どくとるマンボウ途中下車』 
『どくとるマンボウ追想記』
『どくとるマンボウ昆虫記』
『どくとるマンボウ航海記』
『夜と霧の隅で』
『白きたおやかな峰』 
『楡家の人びと』
『幽霊』
『木精』

以上の作品の再読を終えた。以下の作品やその他の読みたい作品はまたの機会にしよう。

『輝ける碧き空の下で』
『さびしい王様』
『どくとるマンボウ医局記』

 北杜夫の代表作といえば、『どくとるマンボウ青春記』『どくとるマンボウ航海記』『楡家の人びと』ということになるだろうか。芥川賞を受賞した『夜と霧の隅で』はドイツのある精神病院が舞台ということもあって、それ程なじみが無いのでは。私は好きな作品として『幽霊』と『木精』を挙げる。

北杜夫は『幽霊』を昭和25年、23歳の時に書き始めている。同作品は昭和27年にひとます完成、「文芸首都」(北杜夫ファンには馴染みの雑誌)に、その年から翌年にかけて掲載された。『木精』は『幽霊』の続編だが、『幽霊』の発表の実に21年後に出版されている。3部作、あるいは4部作として構想されていたようだが完成をみなかった。全て読みたかった・・・。


『幽霊』について、北杜夫は評論家の奥野健男との対談で、**「幽霊」は記憶のよみがえりというテーマでしょう。それで、プルーストにも「失われた時を求めて」という小説があって、それがやっぱり記憶のよみがえりを主題にしていることを聞いたもんですから、うっかり模倣に陥ったらいかんと思いまして、小説を書き終わるまで読まないでいたんです。**と語っている(『北杜夫の文学世界』奥野健男/中央公論社 昭和53年2月発行)。

**人はなぜ追憶を語るのだろうか。
どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。―だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**

『幽霊』のこの魅力的な書き出しに、小説のモチーフが端的に表現されている。そう、『幽霊』は心の奥底に沈澱している遠い記憶を求める、「心の旅」がテーマの作品だ。幼年期から旧制高校時代までを扱っている。抒情的というのか、やわらかな文体で書かれた小説だ。

『木精』は20代の半ばから30過ぎまでの時代を扱い、若い人妻、倫子との恋を描いている。不倫といえば確かにそうだが、初恋のように初々しい。全くのフィクションではないことを北杜夫も認めているが、まあこれも「心の神話」という位置づけだろう。

既に何回も読んだ両作品だが、またいつか読みたい。