透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

不鮮明な道祖神像を見て考えたこと

2012-03-04 | B 石神・石仏


東筑摩郡山形村小坂の道祖神

■ 知らないことは見えない、読みとれない、分からない。この不鮮明な道祖神像から何が分かるのか・・・。この道祖神が祀られている山形村が発行した「双体どうそじん」という冊子にはこの道祖神も紹介されている。

冊子が説いていることは、双体道祖神は普通向かって右が男神だが、この道祖神は左が男神だから仏教系だということ。なぜ向かって左が男神だと分かるのか。冊子には説明がないが、それは右腕の位置、女神はこのようなしぐさをしないということであろう。



それから碑身(このことばは覚えておこう。)の大きさに比して像が小柄で像の上の部分が必要以上に広いのは、文字があったが消えてしまったか、意図的に消したかどちらかだろうということだ。像の上の余白を必要以上に広いとみるか、こういうバランスもあるとみるか。こういうバランスもありだとみれば、上のような疑問はわかないわけで・・・。

この辺の見極めというか、判断が重要なのであろう。医者が患者を診察するときも然り。病状を診て、特に問題ないと判断するか、直ちに治療をする必要があると判断するか。漁師が荒れた海を見て出漁問題なしと判断するか、休漁すべきだと判断するか。

的確な判断をするため必要なこと。それは「形式知」、「経験知」をひたすら獲得して磨くことだろう。

知らないことは見えない、読みとれない、分からない。


心像(知覚心像、記憶心像)、知識、記憶、情報 経験 形式知、経験知、総合知 これらの言葉の意味や関係を正しく理解しないといけないなぁ


 


「木精」 北杜夫

2012-03-04 | A 読書日記



■ ラジオ深夜便。4日の午前1時過ぎの「深夜便アーカイブス」で北杜夫の「母を語る」(平成7年10月放送から)を聞く。北杜夫は母親からは好奇心を、父親の茂吉からは集中力(という言葉だったかどうかはっきりしないが)を受け継いだと語っていた。

『どくとるマンボウ航海記』や『どくとるマンボウ昆虫記』は北杜夫の好奇心が書かせた作品。今回は再読を見送ることにした長編小説『輝ける碧き空の下で』では資料調べなどの際に集中力が発揮されたのであろう。共に作家に必要な資質だ。

『黄いろい船』
『どくとるマンボウ青春記』
『どくとるマンボウ途中下車』 
『どくとるマンボウ追想記』
『どくとるマンボウ昆虫記』
『どくとるマンボウ航海記』
『夜と霧の隅で』
『白きたおやかな峰』 
『楡家の人びと』

以上の作品の再読を終えている。今回はあと2作品、『幽霊』と『木精』を読むことにし、以下の作品は見送る。

『輝ける碧き空の下で』
『さびしい王様』
『どくとるマンボウ医局記』

『木精』は1981年、1996年、2000年、2006年(過去ログ)と、4回読んだ記録がある。今回はどんな読後感を抱くだろうか・・・。