■ 高さ約1.5m、巾約1.7mという大きな自然石の直径約74cmの真円の中に彫られた抱肩握手の道祖神。右側に嘉永五子二月八日とある。子はねずみ。西暦で1852年。左側の棒状の石碑は蚕玉(こだま)守護神。蚕(かいこ)の守り神。
半肉彫で立体感のある道祖神、細かな線まで実にていねいに彫ってある。160年も前に彫られた像だとはとても思えない程、損耗していない。この地は信仰心に厚く、経済的にも豊かな人びとが暮らす集落だったに違いない。そうでなければこんな立派な道祖神を祀ることはできなかっただろう。
■ 高さ約1.5m、巾約1.7mという大きな自然石の直径約74cmの真円の中に彫られた抱肩握手の道祖神。右側に嘉永五子二月八日とある。子はねずみ。西暦で1852年。左側の棒状の石碑は蚕玉(こだま)守護神。蚕(かいこ)の守り神。
半肉彫で立体感のある道祖神、細かな線まで実にていねいに彫ってある。160年も前に彫られた像だとはとても思えない程、損耗していない。この地は信仰心に厚く、経済的にも豊かな人びとが暮らす集落だったに違いない。そうでなければこんな立派な道祖神を祀ることはできなかっただろう。
■ 『気仙沼に消えた姉を追って』生島淳/文藝春秋を昨日読んだ。
NHKの「ラジオ深夜便」、3月9日の午前4時過ぎからスポーツジャーナリスト生島淳さんの震災復興インタビューを聞いた。 生島さんは宮城県気仙沼の出身。地元で暮らしていたお姉さんを昨年の震災で亡くされた。インタビューで生島さんはそのことを語り、この本のことにも触れていた。
昨年3月13日に東京で生島さんのお母さんの法要が予定されていて、お姉さん夫婦は3月11日に上京する予定だったという。ところがその日の午後、大津波に襲われて消息不明に・・・。
14時46分、地震発生。長い揺れだったが、お姉さんの家に特段大きな被害はなかったようだ。揺れが落ちつき、15時前後からお姉さんは、娘さんや息子さん、兄弟に電話をしたそうで、生島さんの家にも電話があったそうだ。生島さんの息子さんが電話を受けたそうだが、生島さんは**ここで自分が電話を受けていればすぐにでも走って逃げろ、と激しくせき立てることができたはず**(219頁)と悔やむ。
あの大震災では同じようなことが随分たくさんあったことだろう・・・。**「なぜ亡くなったのか、悔しい思いが消えない。生存した人もいて複雑な気持ちだけど、前に進みたい」**12日付朝刊(信濃毎日新聞)の社会面に南三陸町の防災庁舎でご主人を亡くされた女性のコメントが載っている。
生島さんは震災で行方不明になったお姉さんを探すべく気仙沼を訪れる。それは故郷気仙沼を知る旅でもあり、家族のことを知る旅でもあり、お姉さんの死を受け入れる旅でもあった・・・。
被災された多くの人たちの深い悲しみが少しずつ癒されていくことを願うばかりだ。