透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 下諏訪町社東町の火の見櫓

2018-10-23 | A 火の見櫓っておもしろい


(再) 諏訪郡下諏訪町社東町 撮影日181021

■ 国道20号(甲州街道)沿いには火の見櫓が何基も立っている。この火の見櫓もその内の1基。21日、茅野から帰る途中、この火の見櫓を見て来た。小ぶりで細身。

この火の見櫓は2011年に既に見ているが、その時は信号待ちの車内から写真を2カット撮っただけだった(過去ログ)。



屋根の支え方が珍しい。3本の柱の上に3角形のフレームを組み、その3隅の束で屋根を支えている。半鐘は屋根の外にはみ出しているから、雨ざらし状態。半鐘に小屋根を付けている例も数多いがこれはそうしていない。見張り台は12角形の一部を欠いて登り口を設けている。梯子に手すりを付けてあるから、見張り台へ移動しやすいだろう。手すりが「環状に閉じていない」から揺すればぐらぐら動くのではないか。



リングが大きい。建設当初から梯子の下端はこのような状態だったのだろうか。これなら子どもは登ることができないだろう。大人でも苦労するかもしれない。


 

 


― 所変われば

2018-10-23 | A 火の見櫓っておもしろい

 

左:長野県茅野市 右:静岡県川根本町

■ 所変われば品変わるという言葉があるが所変われば火の見櫓も変わる。

普段目にしているのは左のタイプ。静岡県には右のようなタイプの火の見櫓が立っている。

こんな火の見櫓の存在を知ってしまったから、走行距離600キロの日帰りを強行してしまった。


 


1108 諏訪市岡村の火の見櫓

2018-10-22 | A 火の見櫓っておもしろい


1108 諏訪市岡村 貞松院の近く 4脚4444型(4角形の屋根、同形の見張り台、同踊り場が2ヶ所)
撮影日181021

■ 既に書いた通り、昨日(21日)茅野市内にあるフジモリ建築の見学に出かけた。ヤグラー・のぶさんからのメールでこの火の見櫓のことを知り、茅野への行き帰りにこの火の見櫓ともう1基を見てきた。

狭い生活道路沿いに立っていて、空き地などもなく全形を写すことはできなかった。



脚部直上、第1段目の横架材に取り付けてある銘板によりこの火の見櫓の竣工が大正15年(1926年)4月だと知る。92年も経っていることになるが、特に傷などは見当たらず、健全な状態だ。

踊り場と見張り台の正方形の床に平鋼を対角線の方向にすのこ状に設置している。この床面はとてもモダンな印象。







上の写真で分かる通り、2ヶ所ある踊り場の間に上面と下面の間を対角(という表現が幾何学的な意味において正しいのかどうか)に梯子を掛けて傾斜が最も緩くなるようにしている。踊り場に手すりはない。交叉ブレースがあるから省略したのだろう。



このような脚部のつくり方はここを行き来できるように、という配慮によるのだろうか。



 


フジモリ建築見学記 3

2018-10-22 | A あれこれ

低過庵

低過庵は動く建築だ。

 

 
低過庵(2017年)
 
屋根がスライドして開く。



階段を4、5段降りて躙り口から茶室に入る。広さは3帖強くらいか。

屋根が閉じていて内部はかなり暗かった。しばらくして、茅野市の職員が屋根をスライドさせて開ける。眩しいほど明るく感じる。高過庵が見える。

 
壁炉(などという呼称があるのかどうか)            黄色味を帯びているが、左の写真と同様、天井の漆喰も白色。


屋根が解放されて、高過庵が見えている。

壁は杉の積層材。帯状にマスキングしてから漆喰を塗って仕上げている。約1.5m地中に埋まっているとのこと。だが、湿気っぽくない。
 


壁に付けた短い握り棒に掴まると登りやすい。こういう配慮がうれしい。

*****

3つの茶室の内部を同日に見学できたのは実にラッキーだった。 このような建築を発想できるのは、藤森さんが旺盛な知的好奇心と遊び心を持ち続けておられるからだろう。次なる作品の出現を楽しみにしたい。


 


フジモリ建築見学記 2

2018-10-21 | A あれこれ

空飛ぶ泥舟

■ 高過庵で揺れた後、空飛ぶ泥舟へ(過去ログ)。

水にも浮かばない泥舟を空中に浮かべようという藤森さんの発想力、構想力はすごい。



空飛ぶ泥舟も揺れる。だが、ワイヤーは自然木より間違いなくリライアビリティが高いから全く安心。



この方向から見ると、4脚の哺乳動物のよう。既知のものに見立てて理解しようとするのはヒトの脳のクセ。



梯子を登っていざ中へ!



入口を中から見るとこんな感じ。銅板を張った2本の柱が見えている。



3連の突き上げ窓



大きなテーブルの両側に6人座れる。テーブルが場を規定し、落ち着く空間になっている。もっと大きな泥舟が構想されていたとのこと。


 


フジモリ建築見学記 1

2018-10-21 | A あれこれ

高過庵

 茅野市美術館主催のフジモリ建築見学会に参加した。高過庵、空飛ぶ泥舟、低過庵の内部に入ることができるという嬉しい企画。

今日(21日)は晴天、絶好の見学日和。茅野市民館に朝9時15分集合、午前の部の参加者は定員の25人程。用意されたタクシーに分乗して神長官守矢史料館へ。


茅野市神長官守矢史料館(1991年) 撮影日181021

神長官守矢史料館の前で藤森照信さんの説明を聞く。「時代も国籍も分からないヘンなもの」と、デビュー作について藤森さん自評。

この後、歩いて高過ぎ庵へ移動。参加者は予め7班に分けられていて、班ごとに3つの茶室の内部を体験する。


高過庵(2004年)撮影日181021



脱靴して梯子を登る。



下から見上げる。平面が5角形の茶室を支えるクリの木。揺れるだろうな・・・。床下の開口(躙り口?)から内部に入るようになっている。



梯子を登り踊り場へ、更に上の梯子で内部へ入る。この移動は火の見櫓と同じだなと、ふと思う。



梯子の片方の支柱を伸ばして、出入りしやすいように配慮してる。厚さ約40cmの床面、この中に茶室と支柱との接合部が納められている。一体どのようにジョイントしているのだろう・・・。

床に座る。やはり揺れる、揺れる。広さは3帖ないかな。



部屋の隅に設えた炉



天井のてっぺん



外開き窓から外を見る。空飛ぶ泥舟が見える。



別の大きな開口から神長官守矢史料館を見る。



10分ほど内部で過ごし、降りる。



踏み桟 下面をアーチ状に削り、強度を保持しつつ、手で掴みやすくしてある。

高過庵は海外でも紹介され、有名に。


 


古書店で飲む

2018-10-21 | A 読書日記

■ 久しぶりにMさんと飲む、と書けばふたりで飲んだと思われてしまうがいつもの通りY君も一緒。世界遺産巡りが趣味の彼女、前回会った時はエジプト土産をもらった。聞けば、来月モロッコに行くという。

この夜、最後の店が「想雲堂」という健全な飲み会。この店はコーヒーやお酒が飲める古書店。本に囲まれた空間で酒を飲みながら、本談義というのも悪くない。

 

書棚には読んでみたい本が並ぶ。『双体道祖神』伊藤堅吉/緑星社、『遙かなノートル・ダム』森 有正/筑摩書房 この2冊を買い求めた。



森 有正の本は『砂漠に向かって』 筑摩書房が書棚にあった。1981年3月に読んでいる。有名な『バビロンの流れのほとりにて』も探したがカオスな書棚に見つけることができなかった。

*****

『双体道祖神』の奥付を見ても発行年月日が載っていないが、かなり古い本だということは出てくる長野県内の町村名で分かる。

この本の著者の伊藤氏は1944年(昭和19年)に初めて道祖神とめぐり逢い、それ以来約30年に亘り、全国の道祖神を見て歩いたという。広く一般的に使われている「双体道祖神」という呼称は著者が1961年に民俗学会誌に提唱したものだそうだ。

双体道祖神の分布、碑形、碑量(大きさ)、像容、服装、持ち物など様々な観点から双体道祖神を論じている。実に興味深い内容で、これからの道祖神巡りに大いに参考になる。なかなか好い本と出合うことができた。


 


1107 大鹿村の火の見柱

2018-10-20 | A 火の見櫓っておもしろい


1107 大鹿村大河原 道の駅「歌舞伎の里大鹿」の近く 1脚無無型(火の見柱)撮影日181013

■ 道の駅「歌舞伎の里大鹿」の渋川ダムカレーを味わった後は帰るだけ、と駐車場で車に乗り込もうとした時、この火の見柱に気がついた。大鹿村では広告塔に転身した火の見櫓を昨年見たが(過去ログ)、撤去されてしまっていた。代わりにこの火の見柱が目に入ってきたのはラッキーだった。

横着をして、駐車場から望遠で写真を撮って済ませてしまった。

ガードルレールの外側に立っていて、ステップが4段ついているが、この高さなら、地上に立ったまま打鐘できる。であれば、このステップは何のため?という疑問がわく。




 



 


1106 伊那市高遠町の火の見櫓

2018-10-20 | A 火の見櫓っておもしろい



1106 伊那市高遠町長藤 高遠中学校の近く 4脚444型 撮影日181013

■ 今月6日にも出かけたが、その時はこの火の見櫓を見つけることが出来なかった(過去ログ)。道路を奥から手前に向かって走っても樹木に隠されていて分からなかった。今回は逆方向にこの火の見櫓を目指し、難なく見つけることができた。



見張り台の安全手すりの様子がよく分かる。前稿の火の見櫓(1136)にもこの様な手すりが設置されている。大きく面取りした床面の隅に方杖を突いている。丁寧なつくりであることが見て取れる。



見張り台の半鐘は撤去されているが、踊り場にはまだ吊り下げられている。これもよくあるパターン。手すりの飾りがおもしろい。





 


1105 伊那市野底の火の見櫓

2018-10-20 | A 火の見櫓っておもしろい


1105 伊那市野底 4脚444型 撮影日181013

■ 南信方面の火の見櫓は4脚タイプが多く、姿・形が整っているという印象だ。この火の見櫓然り。





見張り台の床面の開口はU形で、同形の手すりを設置してある。このように見張り台の開口廻りに手すりを設置して安全上の配慮をしてあるものもあれば、そうでないものもある。製作者の気配りがどこまで及ぶか、その差だろうか。



トラスの4脚。付け根がアーチ状の部材によって繋がっていることが望ましい。

少し発錆していることろがあるが、この位に保持されていれば嬉しい。


 


小渋ダムカレー

2018-10-18 | F ダムカレー

 先日(10月10日)信濃毎日新聞に小渋ダムカレーを紹介する記事が掲載されていた。

**大鹿村大河原の道の駅「歌舞伎の里大鹿」にある飲食店「おい菜」で提供している「小渋ダムジビエカレー」が観光客らに人気だ。隣の松川町から大鹿村に向かう県道松川インター大鹿線沿いにある小渋ダムの風景を山菜やゆで卵で表現。**と記事にある。

これは行かねばならぬ、ということで13日(土)に行って来た。大鹿村へは記事にある県道が行きやすいが、敢えて高遠から国道152号(秋葉街道)を南下、分杭峠を越えて行った。山峡の狭い道にも慣れてきた。



道の駅「歌舞伎の里大鹿」は今年の8月にオープンしたばかり。早速、チケットを購入して席で待つ。3分後にもう出来てきた。 ダム付きの(中央が仕切られた)楕円形の白い皿(長径24cm、短径17.5cm)を使っていて、ダム堰堤がご飯ではない・・・。

ダムカレーとは何か、明確な定義があるわけではない。食堂でこれがダムカレーです、と提供すれはダムカレーだから、もちろんこれもダムカレーではある。だが、私が期待していたのはもちろんご飯のダム堰堤だから、ちょっと(本当はかなり)がっかり。

鹿肉の入った、ピリ辛カレーを味わった。所要時間は18分。ダム堰堤の中央部に放流口(コンジットゲートって言うらしい)があり、そこからルーが流れ出ている。トッピングにワカサギのから揚げ、森を表現した山菜の天ぷら、ゆで卵、あと1品は不明。





道の駅「歌舞伎の里大鹿」外観 撮影日181013





1103 川根本町下長尾の火の見櫓

2018-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


1103 川根本町下長尾 撮影日181007

 火の見櫓の右側後方に大井川の対岸(左岸)の下泉の集落の家並みが写っている。往路は下泉地区を通っている県道64号を北上したのだが、この火の見櫓が見えた。その時、帰路は右岸の国道362号を下り、この火の見櫓を見ようと思った。

この火の見櫓の建設場所は対岸の下泉地区にも半鐘の音が聞こえるように、と選定されたと手元の資料にある。元々もっと大井川の近くに立っていて、建て替えの際場所を移したようだ。

ロケーションが良い。大井川の右岸の東面する傾斜地にすくっと立つ姿が凛々しい。火の見櫓は周辺環境により印象が変わる。



それにしてもこの屋根の形は・・・、やはり半鐘に被せた大きな帽子、かな・・・。雪国の子どもたちが被る藁帽子か蓑に見えないこともない。


今回はこの火の見櫓で仕舞いにした。島田金谷から新清水まで新東名を走り、山梨県内を富士川(身延線)に沿って北上、 六郷で中部横断自動車道、中央道経由で無事帰宅。走行距離598kmのハードスケジュール。初老、いや中年の身にきつい旅程だったが、楽しかった。

本稿で10月7日の火の見櫓巡りの記録終了。


 


― 川根本町上長尾の火の見櫓

2018-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


(再) 川根本町上長尾 撮影日181007

■ この日はカーナビの女性が体調不良だったらしく、一時音声ガイドをしてくれなくなってしまった。で、道を間違えて前回食事をした食堂・さか希の前に来た。かなり遅い昼食をする。「天丼895円を食す」とノートにメモがある。

今回は「火の見櫓のある風景」写真のみ。道路がカーブしているので奥行き感が出ていない・・・。