撮影日2021.08.20
青空はいいなぁ・・・
■ 物として実体を伴う本は、想い出をストックすることができる。本が好きな理由(わけ)にはこんなこともある。
倉田百三の『出家とその弟子』(新潮文庫)には760728という日付とカフェの名前、5pm~7pmという時間、それから760801~というこの文庫を読み始めた日付が記されている。このようなメモが無くても、なぜこの文庫を買い求めて読んだのか、思い出すことができる(過去ログ)。45年も前のことなのに・・・。
今流行りの電子書籍ではこのように記憶を留めるなどということは無理だろう。それは単なる文字情報に過ぎない。スマホやパソコンの画面の文字を見つめて、想い出がよみがえるなどということはまずないだろう。
数日前から漱石の『門』(新潮文庫)の再読を始めた。この文庫には『出家とその弟子』とは違い、想い出は無い。ただ、なんとなく藤村の次は漱石を読もうと、自室の書棚を見ていて、取り出した。既に書いたことだが、今後再読するとしたら、夏目漱石、北 杜夫、安部公房の小説だろう、と残した。『門』は何年か前に読んでいる(過去ログ)が、ストーリーについてはよく覚えていない・・・。
この頃、書店に並ぶ文庫はカバーがやけに目立つが、読んでみたいと思うようなものがあまりない。内容にそぐわないカバーデザインで、通俗的な作品ではないかと思ってしまうものもある。
小さな活字、変色した紙、いいなぁ。
■ 夜、庭で虫たちが鳴いている。いつの間にか野外音楽堂で虫たちのオールナイトコンサートが始まっていた。今はもう秋・・・(なんちゃって)。お盆休みは庭の草むしりを予定していたが、連日雨降りであきらめ、寅さん三昧ということに。
で、今日(17日)も寅さんを観た。
第35作「寅次郎恋愛塾」。「知床慕情」と比べてしまった。恋のアシストをする寅さんということでは両作品同じだが、「知床慕情」では熟年ふたりの普段の様子がきちんと描かれていて、観ていて、ああ、お互いに相手のことが好きなんだなと分かった。だが、「寅次郎恋愛塾」ではなぜお互いに惹かれるのか、特にマドンナ・若菜(樋口可南子)が司法試験を目指しで勉強ばかりしている民夫(平田 満)のことをなぜ好きになったのか、観ていて分からなかった。民夫は別に魅力的でもないのだ。
それに若菜が寅さんに惹かれているのかどうかもよく分からなかった。「知床慕情」ではマドンナのりん子(竹下景子)が寅さんに惹かれていることも、その訳も分かった。りん子はとらやで寅さんの魅力について語ってもいる。りん子と若菜、寅さんとの距離感が違う。演出なのか、細かな演技や表情の違いなのかは分からないが。
若菜は不幸な生い立ちで、祖母に育てられたが、その祖母が亡くなったとき、寅さんにお世話になったという感謝の気持ちというか、負い目を感じてはいるだろうが、慕っているのかどうか・・・。寅さんにしても、若菜のことが好きだとは思うが、りん子の時は違い、それ程でもないように見える。
寅さんのおぜん立てでデートした若菜と民夫、デートは寅さんの想定通りに進む。デートから帰って若菜が民夫を2階の自分の部屋に誘ってからの出来事も何だか・・・、民夫は寅さんじゃないんだから。
その後のドタバタした展開も、不自然な感じで僕は好きじゃなかった。作品には印象に残るような場面もセリフも無かった。「知床慕情」では男は黙って何とかビールの三船敏郎、いや順吉が意を決してスナックのママ・悦子に惚れてるんだ、と告白する。その時の悦子の姿に僕は涙してしまった。「寅次郎恋愛塾」にはそんな感動的な場面もなく・・・。
好きな寅さんシリーズでも、ストーリーの設定や展開の好み、ということになると差がでるもの。あくまでも個人的な評価というか、好みだが、甘くしても「寅次郎恋愛塾」は★★☆☆☆くらい。ちなみに「知床慕情」は★★★★★。
観た作品が30作を越えた。
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■ 寅さんシリーズ第38作「知床慕情」を観た。第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」とは対照的に全体的に明るいトーンで観終えてから、なんともいい気分。
マドンナ・りん子の役は第32作「口笛を吹く寅次郎」で結婚に失敗し、実家の寺に戻った朋子を演じた竹下景子。今回は髪形変えてショートカットにしたりん子ちゃん、鄙里のおじさん好み。
りん子が結婚に失敗して東京から故郷の北海道は知床、斜里に帰ってくる。父親・上野順吉(三船敏郎)はこの地で獣医をしている。で、今回寅さんはりん子の父親と近所のスナックの悦子ママ(淡路恵子)、熟年ふたりの恋のアシスト役。
偶々順吉と知り合いになった寅さんは順吉のところに居候。寅さんが旅先で出会う人とすぐ仲良くなるのは毎回のこと。寅さんすっかり斜里の町に馴染んで、みんなと一緒に飲んだり、釣りをしたりと、人気者。
ある日のこと、みんなでバーベキューをしている時、輪から外れてひとりで飲んでいる順吉に「今言わなかったらな、おじさん、一生死ぬまで言えないぞ」と告白を勧め、店を辞めて新潟に帰るというママに向かって「俺が行っちゃいかんというわけは、・・・ 俺が惚れているからだ! 悪いか」と言わせる。男は黙ってビールを飲んでいてはダメな時もあるのだ。
順吉を見つめる悦子ママ、さすがベテラン、淡路恵子。次第に表情がくずれ、涙があふれる様子はとても演技とは思えない。
バーベキューを始めるとき、すま けいが演ずる船長が挨拶をする。離農、廃坑、自然破壊と知床の現状を憂え、寅さんにいつまでもこの町にいてくれと言い、りん子にはもうどこにも行くなという。「俺たちとずっと一緒に暮らすべえ・・・、この町は住んでみれば決して悪い町なんかじゃないと思うよ」このような内容だったが、なかなか好い挨拶だった。
バーべキューを楽しんでいるときの順吉の告白に、みんな拍手喝采。知床旅情を歌う。この感動的な場面がこの映画のクライマックス、と言ってよいと思う。
順吉が告白した日の夜、悦子ママのスナック「はまなす」でみんな大いに盛り上がっている。スナックを抜け出してりん子を訪ねた寅さんは「かまわねえだろ、おとっつぁん結婚しても」と同意を求める。りんこ「ええ」と頷き、「それはちょっぴり淋しいけど、何て言うか・・・、お父さんをおばさんに取られちゃったような気がして・・・」と気持ちを伝える。それを聞いてスナックに戻ろうとする寅さんに向かって「もう行っちゃうの・・・」とりん子。
りん子、朋子と同じで今回も寅さんを思慕。
「あのね・・・」
「あの、どう言えばいいのか・・・」
潤んだ目で寅さんを見て「ありがとう、いろいろと・・・」
みんなとスナックで飲み明かした寅さんはりん子に宛てた手紙を仲間に託して町を離れる。その訳を聞いたりん子は泣きだして、家に駆け込む。
・・・・・
その後、東京で仕事をみつけたりん子がとらやを訪ねてくる。だが残念なことに寅さんは旅に出て、留守。マドンナがとらやに来るときはなぜかいつも寅さんと会えるのに・・・。
でも、りん子は東京で暮らすことになったわけだし、寅さんは振られたわけじゃない。
「さくらさん、私、りん子です」
「あらぁ、りん子さん。ちょうど兄が旅から帰っているのよ」
「明日はお休みでしょ。どう、遊びにいらっしゃいよ」
「寅さん帰ってるんですか、嬉しい・・・。寅さんに会いたいなぁ。お邪魔してもいいですか」
「もちろんよ」
なんてこともあり得るわけで。
後味の良い作品だった。
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(再)安曇野市三郷明盛 3脚66型 撮影日2021.08.15
消火ホースを掛けてあるので、火の見櫓の高さは14、5メートル、と見当がつく。
この火の見櫓にはまだ半鐘が吊り下げてあり、スピーカーもサイレンも設置されていない。見張り台まわり、すっきり。見張り台の床には平鋼を1方向にのみ、すのこ状に設置してある。
手すりや避雷針に機能的には必要ではない飾りがあるし、屋根はわざわざ手間がかかるような形状にしている。なぜだろう・・・。経済性と工期短縮が最優先の現代では考えられないことだ。
ワイヤーに取り付けたフックに消火ホースを掛けてある。フックを地上に降ろして、消火ホースを引掛ける。ワイヤーを引き、フックを所定の高さまで引き上げる。滑車は大した発明だと思う。
■ 雨天続きの盆休みは寅さん三昧と決めた。今日(15日)は第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」を観た。全体的に暗いトーンの作品。ラストにマドンナ・風子(ふうこ 中原理恵)の結婚式会場の近くに出た熊に寅さんが追いかけられるというコミカルなシーンがあるけれど、それだけではこの作品にかかる夜霧は消えそうもなく・・・。
盛岡で啖呵売する寅さん、元舎弟の登と再会(寅さん映画に偶然はつきもの)。登は堅気になって所帯を持ち、食堂を営んでいた。店を閉めて寅さんをもてなそうとする登を叱る寅さん。渡世人と縁を切って、堅気の生活を続けろ。寅さん良識ある大人の雰囲気で登を諭す。
北海道に渡った寅さん、釧路でマドンナ・風子と出会う。フーテンの風子と名乗った風子と意気投合して、風子のおばがいるという根室へ一緒に向かう。途中、泊まった宿でサラリーマン風の男・福田(佐藤B作)と相部屋になる(第28作「寅次郎紙風船」では家出娘(岸本加世子)と相部屋になった)。蒸発した妻が霧多布(ってどこだっけ、ネット検索して確かめた)にいるという情報を得て、捜しにいく福田に付き合うふたり。「幸福の黄色いハンカチ」となんだか似ている。この映画では武田鉄矢と桃井かおり(ふたりとも寅さん映画にも出演している)と高倉 健が奧さん(倍賞千恵子)の暮らす夕張へ向かう。奥さんは健さんの帰りを待っていたけれど、福田の奥さんは他の男と幸せそうに暮らしていた。
などと、ストーリーをトレースすると長くなるので、省略する。
寅さんは一生懸命働いて、真面目な男と所帯を持つように、と風子を諭すが、風子はオートバイサーカスの団員・トニー(渡瀬恒彦)に声をかけられて、次第に惹かれていく。「寅さんがもう少し若かったら、あたし寅さんと結婚するのに」と風子が告白するも、「例によって」寅さんは相手にしない。このこともあって、風子はトニーに惹かれていったのだろう。トニーはやさぐれた遊び人で、寅さんの願いには全くそぐわない男だった。
風子はトニーと一緒に上京、同棲。ある時、トニーがとらやを訪ねてきて、風子が寝込んでしまって、寅さんに会いたがっていると伝える。寅さんは風子のもとを訪ね、とらやに連れて帰る。
寅さんはその後、再びトニーに会いに行き、
「用件は分かってるだろうな」
「ズバリ言わせてもらうぜ」
「手ぇ引いてもらいてぇんだ」と凄む(凄むという表現ではこの場面が正確に伝わらないかもしれないが、ぼくにはそう見えた)。寅さんのせりふになんだか、影の世界を見てしまったようで、いやだった。その後、続けてトニーに語る寅さん。
トニー、寅さんに向かって「兄(あに)さん、見かけによらず純情なんですね」と言ってその場を離れていく。まあ、毎度毎度のこと、そう見られても仕方ないだろうな。
トニーが東京を発つという日の夜、風子は寅さんに止められるのを振り切ってとらやを飛びだしていく。この時、風子を説得しようとする寅さんには、風子に対する恋情ではなく兄のような愛情を感じはしたが、そもそも男と女の恋愛に口出しをしてはいけないのだ。
いつものパターンだと、マドンナに失恋した寅さんが急に旅に出るが、ここは失恋ではないので、そのような場面はない。
季節は夏。結局トニーと別れたのだろう、北海道に帰った風子からさくらに真面目な男性と結婚することになったことを知らせる手紙が届く。結婚式に出席して欲しいと文面にあり、さくらは博と満男と3人で空路、北海道へ。寅さんは別ルートで式場へ向かう。で、式場のすぐ近くで熊と遭遇して、ひと騒動・・・。おしまい。
寅さんも歳を重ねて若い娘と恋愛騒動を起こすようなストーリーが成立しにくくなってきた、ということか。第1作では御前様の娘(光本幸子)に、第2作では寅さんが中退した葛飾商業の恩師の娘(佐藤オリエ)に、それから第5作では豆腐屋の娘(長山藍子)に惚れた寅さんが婚約者や恋人の出現によって、あえなく失恋するというパターンだったのに・・・。
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2021.08.15 ブログ開設から5600日目
■ 続く雨降り。寅さんを観ようと松本市渚のTSUTAYAまで出かけて(大雨で増水していると思われる奈良井川の堤防道路は避けた)第32作の「口笛を吹く寅次郎」を借りた(順番に観ようにも、下に挙げた第30作までの欠番作品はどれも貸し出し中のようだった)。
マドンナは備中高梁、博の父親の菩提寺の娘・朋子(竹下景子)。寅さんは諏訪家の墓にお参りに来て、朋子と出会う。寅さんは墓に向かって話しかける。「先生(注:博の父親)、しばらくだなあ。おれだよ、寅だ。覚えているかぃ。葬式には来れなかったんで、今ごろやって来た」このシーンはなかなか好いと思う。これこそ墓参り。
ストーリを追うのはやめておこう。二日酔いの住職(二代目のおいちゃん役の松村達雄)に代わって寅さんが法要を務め、更に住職と共に博の父親の法事まで務めるという設定になじめなかった。門前の小僧習わぬ経を読むとは言え、宗派も違うわけだし(ただし、法要ではちゃんと真言宗の南無大師遍照金剛という宝号を唱えていた。柴又の帝釈天・題経寺は日蓮宗なのに、寅さんすばらしい)。
印象的なラストについて。
映画のラスト、柴又駅のホームで朋子が寅さんの気持ちを確かめる場面が出てくる。
「ねえ、寅さん・・・」
さくらは気を利かせて、ふたりから離れる。
「ごめんなさい・・・」 朋子のことばには後に・・・と付けたくなるような間があるが、それがなんとも好い。
「え? なに、なにが」
「いつかの晩のお風呂場のこと・・・」
「な、なんだっけなあ」と寅さん分かっていてとぼけるというか、はぐらかす、いつもの逃げのパターン。
「ほらあ・・・」
「あの三日ほど前の晩に父がね、突然、今度結婚するんやったらどげな人がええかって聞いたの」
朋子、下を向いて「それでね・・・、私・・・」
続けて寅さん「寅ちゃんみたいな人がいいって、言っちゃったんでしょ」
朋子驚き、寅さんを見つめて、ゆっくり頷く。
朋子は寅さんのことを好きになっていて、寅さんと一緒になりたいと思っているのに、
「おれがそんなこと本気にするわけねえじゃねえか」
寅さんの言葉を聞いた朋子、小さく「そう・・・」
目を伏せた朋子の悲しそうな、寂しそうな表情。なんだかその様子をみていて僕も悲しくなってしまった。
同じようなことが第28作「寅次郎紙風船」でもあった。この時のマドンナはテキヤ仲間の女房(音無美紀子)。その時の様子を既に書いた記事から引く。
**光枝は「寅さんが見舞いに来てくれた時、うちの亭主変なこと言わなかった?」と訊く。常三郎は亡くなる数日前、光枝に自分が死んだら寅の女房になれ、寅さんにも話してあるからと伝えていたのだった・・・。
光枝は寅さんと一緒になりたかったのだ(そうではなかったという見解もあるようだが、ぼくは一緒になりたかったと断じる)。だが寅さんは、光枝に「寅さん、約束したの?本気で」と訊かれて「ん、ほら、病人の言うことだからよ、まあ適当に相槌打ってたのよ」と答えてしまう。
この時の光枝の寂しそうな表情。光枝は幸せを求めていたのに・・・。**
朋子についておばちゃんから「きれいな人なのかい?」と訊かれ、博は「何といいますか、美しさの中に知性を秘めたとでも言いますか・・・」と答える。
寅さん、竹下景子が、いや朋子が結婚を望んでいたのにぃ。なんということを・・・。
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■ 「雨の迎え盆の記憶はないですよね~」 昨日(13日)、近所のおばさんと立ち話をした。昨日は終日雨、今日も朝から強雨。予定していた庭の草むしりはやむなく延期。天気予報は送り盆過ぎまで雨。休み中にスケッチをしようと思っていたが、それも無理。
九州北部、佐賀、長崎、福岡の3県に大雨特別警報が出ている(14日 午前8時半時点)。土砂災害、河川の氾濫・・・、災害列島と化した日本。数十年に一度しかないような、と言われる災害が毎年のように発生する・・・。
昨日は全国で2万人を超える新型コロナウイルス感染者が確認された。長野県でも100人を超え、過去最多を更新した。これがオリンピックの置き土産などとは思いたくもないが、「誰か」を、「何か」をターゲットにして批判したくなるという心性は如何ともしがたく・・・。
少なくとも首都圏の医療は既に崩壊していると思うが、逼迫しているとか、危機的状況とかの言い回しで、状況を直視しようとはしない。オリンピック期間中に実施された交通規制を交通対策と言ったり、コロナワクチン接種後の副作用を副反応と言ったり。もっとも、副作用と副反応とでは意味が違うようだが。でもインフルエンザワクチン接種時、副反応などということばを耳にしたことは無かった。過去にさかのぼれば敗戦を終戦、戦争中は撤退を転進。
いかんなぁ、雨降りだとどうも気持ちが沈む・・・。
「ぱーっと明るい話って、ねーのかい、おばちゃん」
「無いよ!あるわけないだろ」
■ 今日(13日)はあいにく雨降り。しばらく雨の日が続くという天気予報。
寅さんシリーズ第30作「花も嵐も寅次郎」を観た。先日第29作「寅次郎あじさいの恋」のレビューを長々と書いたが、今回は短めに。
寅さんの旅先、今回は大分県。湯平温泉の旅館で寅さんはマドンナの蛍子(田中裕子)と三郎(沢田研二)に出会う。
三郎は亡くなった母親の遺骨を持って「湯平荘」を訪ねていた。昔、母親がこの宿で働いていたという。蛍子は友だちとふたりで旅行に来ていて、格好いい二枚目が「湯平荘」の所在を尋ねているところを見て、後をつけて同じ宿に泊まる。偶々宿に居合わせた寅さんは三郎の話を聞き、法事をすることを提案する。蛍子さんたちも同席させて、立派な法事が営まれた。
翌日、蛍子は友だちと寅さんの3人で観光していて、車で通りがかった三郎と再会、4人でドライブ。で、三郎が蛍子を見初め、寅さんが二人の仲を取り持つという話。蛍子は東京のデパートの店員、三郎は千葉の習志野の谷津遊園の動物園(*1)の飼育係。
それからのことは省略。
蛍子と三郎の恋のアシストに寅さん奮闘、その甲斐もあり、ふたりは結婚することに・・・。
ふたりが結婚の約束の報告にとらやに来るという日、ふたりを待つことなく、寅さんは旅に出ていく。「やっぱり、二枚目はいいなあ~。ちょっぴり妬けるぜ」とさくらに言い残して・・・。
マドンナ・蛍子役の田中裕子、彼女の愁いを帯びた表情はいいなあ、実にいい。寅さんとスナックのカウンターで飲みながら話す彼女は魅力的だった。
この作品が寅さんとマドンナの恋物語でないところは、残念。
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*1 谷津遊園は1982年12月に閉園した。
■ はじめに
東京オリンピックのために新たに建設された国立競技場の当初の計画案には多くの異論・反論が出た。建設費が予定額を大幅にオーバーすることや、未来的というか、SF的というか、異様と評してもよいとぼくは思うが、デザインが周辺の環境にまったくそぐわないことなどがその理由で、白紙撤回されるという事態になった。東京オリンピックはこの躓きをはじめ、準備期間中にいくつもの問題が起き、その都度、海外も含む多くのメディアが大きく報じた。3兆円とも言われるオリンピック費用をどうするのか、信濃毎日新聞は今日(12日)の朝刊で「都と国 赤字巡り泥仕合」という見出しでこの問題を報じている。**国と都は経費を巡って何度も衝突してきた経緯がある。異例ずくめの大会が幕を閉じた後に、祝典の華やかさとはかけ離れた泥仕合が始まることになる。**記事はこのような一文で結ばれている。
■ 東京だけではなかった競技会場―東京オリンピック
真夏の開催ということで、選手にとって過酷な天候も懸念され、マラソンは北海道で行われた。当日の気温は東京とあまり差はなかったが。東京オリンピックは東京都だけでなく、例えば自転車競技は静岡、バスケット・ゴルフは埼玉、サーフィンは千葉というように複数県の会場でも競技が行われた。
一国一都市開催から一国複数都市開催へ。次回2024年のオリンピックはパリで開催されることになっているが、東京オリンピックと同様、パリだけでなく、北部のリール、南部のマルセイユなどでも競技が行われる。
■ 複数国開催の「テレオリンピック」という構想
パリオリンピックのサーフィン競技は南太平洋のタヒチで行われるという。タヒチはパリから見れば地球の反対側ではないか。こうなると複数国開催を構想するのは容易だ。一国開催にこだわる必要性があるのだろうか。開催のルールとしてこのような規定があるのなら、ルールを変えればよい。既に2002年FIFAワールドカップの日韓共同開催という事例もある。テレオリンピックはその応用、発展形だ。
例えば、柔道は日本(東京)、サッカーはブラジル、体操はロシア、陸上アメリカ、卓球中国などというように複数国で開催するテレオリンピック。別にある競技をその競技の強豪国で開催することもないが。
選手村は不要、人数的に会場近くのホテルを充てることで足りる。財政的な負担も分散される。世界各国で同時開催となればいろんなことで各国が協調することが必要になるだろうから、国と国の間(国家間ということばはあまり使いたくない)の良好な関係保持にも効果があるだろう。
■ 開会式はサイバー空間で
開会式や閉会式も一つの会場で行うこともないだろう。サイバー空間を構築して行えばよい。先日の東京オリンピックの閉会式ではバーチャルな演出も行われている。国立競技場の空間に浮かぶ無数の発光点が次第に集まって五輪になるという演出はCG表現だったようだ。北京オリンピックでもCG表現があったことが知られている。
選手たちがひとつの会場に集まることに意義があるという主張は、コロナ禍で広まったテレワークを経験してみれば、説得力が弱くなることも予想される。
■ テレオリンピックの実現 30年、40年後には
このようなテレオリンピックの開催はハードの面でもソフトの面でも現時点で実行に移せると思う。仮に問題というか課題があるとしても、競技会場の設計、施工より短期間で、ローコストで十分解決できるだろう。
もしかしたら30年、40年後くらい先にこのようなテレオリンピックが開催されるかも知れない。その時、そう言えば昔、テレオリンピックを構想していた日本人がいたなあ、となったりして。
こんなことを夢想することは楽しい、でしょ?
1964年に開催された東京オリンピック、その時、星 新一がおもしろいことを構想している(過去ログ)。
前稿から続く
翌朝
娘は登校。かがりさんは歯ブラシとタオルを屋外の水道のところに置いて、そっけなく、寅さんに「今、ごはんの用意をしてきます」。
かがりさんは昨晩、寅さんが寝たふりをしていたことに気がついていた。
寅さん旅支度を済ませている。入り江に連絡船が停泊している。
「お客さん、出ますよ」と船員が寅さんを呼ぶ。
「もう、会えないのね」 寂しそうなかがりさん、こういう演技、いしだあゆみさんにピッタリ。動き出した船からかがりさんをみる寅さん。遠ざかる船。長い別れのシーン。
寅さん、とらやに帰るも恋のやまいで寝込んでしまう。数日後、寅さんとらや一家ともめて、旅に出て行こうとする。その時、かがりさんが友だちととらやを訪ねてくる。寅さんが出て行こうとするとき、マドンナとばったり、というのはよくあるパターン。
勧められて、店のテーブルにつくかがりさんと友だち、それから寅さん。ギクシャクするふたりの様子に、「なんやの、あんた、小学生のお見合いじゃあるまいし」と友だちに言われてしまうかがりさん。
今から芝居を観に行くというふたり。帰り際、かがりさん、テーブルの下でつけ文を寅さんの手に。寅さんビックリ、ぼくもビックリ。
「鎌倉のあじさい寺で 日曜の午後一時、待っています」 ぼくはあじさい寺と聞けば、北鎌倉の明月院を思い浮かべるが、かがりさんが指定したのは成就院。その名の通り、恋愛が成就する寺。
それからの寅さんの行動を山田監督はコミカルに描いている。
さて、あじさいの鎌倉でデートの日、寅さんはなんと満男君を連れて行く。成就院。石段を上っていく寅さん、続く満男君。かがりさんが待っている。満男君に気がついてかがりさんは内心、「寅さん、なんで?」と思ったに違いない。(注)なんでは語尾を下げず、上げる 。 かがりさん、ちょっと残念そうな表情。
長谷寺の紫陽花 撮影日2006.06.24 この後、成就院へ・・・。
その後、江の島に渡った3人。夕闇せまる江の島。
「今日の寅さん、なんか違う人みたいやから」
「私が会いたいなあ、と思ってた寅さんはもっと優しくて、楽しくて、風に吹かれるたんぽぽの種にたいに、自由で気ままで・・・、せやけどあれは旅先の寅さんやったんやね」
「今は家にいるんやもんね、あんな優しい人たちに大事にされて」
ここで思い出すのは第11作「寅次郎忘れな草」でリリー(浅丘ルリ子)が酒に酔って、夜遅くにとらやを訪ねた時、寅さんに言った言葉(過去ログ)。
リリーもかがりさんも孤独で寂しい思いをしているのだ。寅さんの優しい言葉が心にしみるのだろう。第28作「寅次郎紙風船」のマドンナ・光枝(音無美紀子)もそうだったと思うし、他のマドンナもそうだろう。
「もう看板なんですけど」と店主に言われ、江の島から帰路に着いた寅さんたち。
夜8時過ぎ、とらやでは「おそいねえ、寅ちゃんたち」と言いながら帰りを待っている。
「満男が一緒だからなあ、ふたりだけだったら、泊まってくることもあるだろうけど」と博。
「寅がそんなことできるわけねえじゃねえか」おいちゃん分かってる。
「そうだよ、そんな甲斐性がありゃ、とっくに身をかためてるよぉ」とおばちゃん。
東京にまだ2、3日いる予定だったけれど今夜の新幹線で帰ります、と東京駅のかがりさんがとらやに電話で伝える。すっかり遅くなって満男と帰って来た寅さん。
元気のない満男にさくらが訊く。
「お姉さんと別れたあと、おじさん電車の中で涙こぼしてたの・・・」
直後旅に出ていく寅さん。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ほんとうはかがりさん・・・、お兄ちゃんを好きだったんじゃないの?」
さくらはかがりさんの様子をとらやで見ただけで、ちゃんと分かっていた。
寅さんはかがりさんと別れた後、なぜ涙を流したのだろう・・・。かがりさんの想いを受け止めることができなかった不甲斐なさ?
あじさいの鎌倉
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■ 寅さんシリーズ第29作「寅次郎あじさいの恋」を観た。
本作のマドンナはかがり(いしだあゆみ)さん。夫に先立たれたかがりさんは小学生の娘を丹後の実家に預けて、京都の陶芸家の許でお手伝いさんとして働いている。
寅さん京都の葵祭で啖呵売。
早めに仕事を切り上げた寅さん、賀茂川のほとりで下駄の鼻緒が切れて困っていた老人の前を通りがかり、自分の手拭いを引き裂いて鼻緒を付けてやり、その手拭いで土のついた足をはたいてやる。寅さんは優しい。さらに老人と焼餅の店で休み、お代も払う。寅さん、老人が人間国宝の陶芸家・加納作次郎であることは知る由もない。
寅さんが店の前で立ち去ろうとすると、その老人から「いろいろ親切にしてもろうたお礼にな、冷たいビールでもあげたいんやけど、ちょっとつきおうてんか」と老舗と思しきお茶屋に案内される。寅さんすっかり酔っぱらってしまって、芸者さんの膝で寝てしまう。
翌朝、目が覚めた寅さん。かがりさんが寅さんの服を入れた木箱を持って部屋に入ってくる。寅さんとかがりさんとの出会い。そう、寅さんは加納作次郎の屋敷に泊まったのだった。
この先、あらすじを端折る。
かがりさんは作次郎の弟子・蒲原と恋仲だったが、自分のところに陶芸の勉強にきていた女性と結婚することを知る。作次郎はかがりさんに向かって「あんたそれでええのんか?」と問う。
「はい、蒲原さんがそれでお幸せにならはるんやったら・・・、もちろん」
この答えに不機嫌になった作次郎。蒲原が帰ったあと、自分の部屋にかがりさんを呼びつける。
「あんた、ほんまに蒲原を好きやのか?」
「はい」
「それやったら、何であの男の首っ玉にしがみついてでも一緒にならへなんだんや!」
「人間というもんはな、ここぞという時に全身のエネルギーを込めてぶつかって行かんとあかんのや! 命をかけてぶつからんとあかへんねん。それがでけへんようなら、とてもやないけど、あんた幸せにはなられへんわ!」
傷心のかがりさんが実家に帰ってしまったことを知った寅さん、丹後の伊根にかがりさんを訪ねる(伊根はぼくも行きたいところ、民家巡りをしていた若かりし頃、行けばよかった・・・)。優しい寅さんに惹かれていたかがりさんはびっくり。
「なんで?」
「へへ、脅かしちゃって悪かったな、急に思い立ったからよ、うん」
ふたりが話しをしている間に最終便の船が出ていってしまう。バスももう無し。高額なタクシー代を払うのは寅さんには無理。
「うちに泊まりはったらどうどす、そないして、ね」かがりさんはさっさと寅さんのカバンを持って離れに入って行ってしまう。作次郎に叱られた時の言葉を思い出したのかも。
夜になって、小学生の娘はパジャマ着て「おやすみなさい」。かがりさんの母親は姪のお産のために迎えがきて出かけてしまう。
さて、ここから寅さんシリーズで唯一と言われる「大人の一夜」へ・・・。
かがりさんの酌で酒をのむ寅さん。かがりさんも寅さんの前にコップを差し出して・・・。
■〇 ふたりの位置関係。左の図で寅さんは円形の座卓の上、かがりさんは左に座っているけれど、座布団 ■ に座っていないで、寅さんに寄り添うように座っていることが、俯瞰的なショットで分かる。かがりさんは ♪わたしは ゆれて ゆれて あなたの腕の中 を望んでいる・・・。
その時ふすまの向こうから娘の呼ぶ声、添い寝するかがりさん。布団の中からのぞくかがりさんの脚、妖。
寅さん、かがりさんの色香に絶えることができなくて、「急に眠くなっちゃたんで、横にならせてもらうよ」
おいおい、寅さん、逃げちゃうの。
かがりさん無愛想になって、離れに案内して、階段の下で「二階の奥やから」。
寅さん布団の中、窓の外はブルーライト イネ。しばらくして、離れの戸が開く音、階段がきしむ音・・・。
「寅さん・・・、もう寝たの」静かにふすまが開く。
寅さん寝たふり。布団の横に静かに座るかがりさん。身を任せるつもりで部屋に入ってきたのに・・・。
この場面を冷静に、理性的に解釈することもできる。かがりさんは娘の部屋にランドセルを取りにきたついでに、寅さんが寝ている部屋の様子をうかがい、開けっ放しの窓を閉め、枕元のスタンドの灯りを消して、静かに部屋を出ていっただけだと。
しばらくして、ふすまを閉めて、階段を降りていくかがりさん。
以下 次稿
■ 今年は寅さんを観続ける。昨日(8日)第25作「寅次郎ハイビスカスの花」を観た。
2歳で満州に渡り、そこで終戦後まで過ごしたという山田監督が想い描き続けた海の向こうの日本のふるさと。寅さんは日本各地を気ままに旅するが、それは山田監督のふるさと探しの旅でもあるのだ。そこから沖縄を外すわけにはいかない、と考えたのだろう。本作の舞台は沖縄。
店を休業にして水元公園までアヤメを見に行こうとしているとらや一家。そこへ帰ってくる寅さん、なんというタイミングの悪さ。休業を知らせる張り紙を慌ててはがし、とりつくろうとするけれど、それは無理。無理に隠そうとするから寅さんふてくされる。そこでひと騒動あって、早くも出て行こうとする寅さん。
ここで寅さんが店先で受け取っていた速達をさくらが見ると、リリーから届いた手紙だった。手紙には歌っている最中に血を吐いて病院に担ぎ込まれたこと。生きていてもいいいことないから未練はないけれど、ただ、ひとつだけ、もう一ぺん寅さんに会いたい。こんな内容のことが書かれていたから、さあ大変。
リリーは沖縄の病院に入院している。で、寅さん、飛行機で沖縄へ。飛行機が恐い寅さん、羽田空港でポールにしがみついて動こうとせず、送っていったさくらと博をあわてさせるが、そこへスチュワーデス、今はキャビンアテンダントか、が何人か通りかかり、ついて行ってしまう寅さん。
沖縄、轟音、米軍戦闘機の低空飛行。山田監督の沖縄の現実を見る強く厳しい「眼」を感じる。
病院にリリーを見舞い、優しく看病する寅さん。うれしそうな、幸せそうなリリー。何日かして、リリーは退院。ふたりは民家に下宿、離れで生活し始める(たたし寅さんは母屋で寝ている、一緒でもいいのに。寅さん映画でそれは無しか)。食事をするふたりは幸せそう。ふたりが結婚したらどうなるか、寅さんファンに山田監督はシミュレーションしてみせる。幸せは平穏な日々の生活にある。
リリーは寅さんのことが好きで、結婚してもいい、結婚したいなぁと思っている。
「男に食わしてもらうなんて、私まっぴら」
「水くさいこと言うなよ、お前とオレの仲じゃないか」
「でも・・・、夫婦じゃないだろ」
「あんたと私が夫婦だったら別よ。でも違うでしょ・・・」
「馬鹿だなぁ、お前、お互いに所帯なんか持つ柄かよ~」
「真面目な面(つら)して変なこと言うなよ、お前」
リリーの愛の告白にも、寅さんは煮え切らない。
水族館に足しげく通い始めた寅さん、ダイバーの若い女性と知り合い、仲良くなって・・・。一方、下宿先の青年(江藤 潤)がリリーに好意を抱き・・・。で、ふたりはある夜大喧嘩。
リリーはひとり東京に帰ってしまう。一方寅さんも船で九州に渡り、汽車を乗り継いで東京に帰ってくる、いやたどりつく。
お金がなくて三日三晩飲まず食わずだった寅さん、柴又駅に着くなり倒れてしまって(具体的に描かれてはいないが、たぶん)、板戸に載せられてとらやに運ばれてくる。呼ばれた医者の見立ては極度の疲労と栄養失調。
おばちゃんは「寅ちゃん」に優しい。うな重、寿司、天ぷらそば・・・。
リリーがとらやを訪ねてきて、寅さんと再会。マドンナがとらやに来るとき、寅さんが旅に出ていることってあるのかな、ないだろうな、ストーリーが上手く進展しないから。
とらやの茶の間で沖縄での生活ぶりを振り返るふたり。
「私、幸せだった、あの時」
ふたりして、沖縄での生活は夢だったのだ、と総括。
・・・・・
「リリー、おれと所帯持つか」と寅さん。
「やあねえ、寅さん変な冗談言ってぇ、みんな真に受けるわよ」
沖縄では寅さんがリリーの言葉をかわし、今度はリリーが寅さんの言葉をかわす。まあ、これがふたりには似つかわしいということだろう。
リリーを柴又駅で見送る寅さんとさくら。
「さっきお兄ちゃんが変な冗談言ったでしょう。あれ、少しは本気なのよ」
「わかってた・・・」とリリー
寅さんは少し離れたところに立っていてふたりの会話は聞こえていない。
電車に乗るリリー、締まるドア。
「幸せになれよ」と寅さん。笑顔で頷くリリー。
寅さんも旅に出て・・・、群馬県の荷付場というバス停留所で暑さにうだる寅さん。
マイクロバスが通りすぎて行く。少し先で停車したマイクロバスからサングラスの女が降りて、バス停に向かって歩いてくる。
「どこかでお目にかかったお顔ですが、姐さんどこのどなたです?」この時の寅さんのうれしそうな表情が印象的。
「以前、お兄さんにお世話になったことのある女ですよ」
「はて、こんないい女をお世話した憶えは、ございませんが」
「ございませんか、この薄情者っ」
実に好い会話、嬉しくて涙ぐんでしまった。こういうの好きだなぁ。
まさか、まさかのエンディング。
「寅さんハイビスカスの花」は優れた恋愛映画だ。
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