■ 物として実体を伴う本は、想い出をストックすることができる。本が好きな理由(わけ)にはこんなこともある。
倉田百三の『出家とその弟子』(新潮文庫)には760728という日付とカフェの名前、5pm~7pmという時間、それから760801~というこの文庫を読み始めた日付が記されている。このようなメモが無くても、なぜこの文庫を買い求めて読んだのか、思い出すことができる(過去ログ)。45年も前のことなのに・・・。
今流行りの電子書籍ではこのように記憶を留めるなどということは無理だろう。それは単なる文字情報に過ぎない。スマホやパソコンの画面の文字を見つめて、想い出がよみがえるなどということはまずないだろう。
数日前から漱石の『門』(新潮文庫)の再読を始めた。この文庫には『出家とその弟子』とは違い、想い出は無い。ただ、なんとなく藤村の次は漱石を読もうと、自室の書棚を見ていて、取り出した。既に書いたことだが、今後再読するとしたら、夏目漱石、北 杜夫、安部公房の小説だろう、と残した。『門』は何年か前に読んでいる(過去ログ)が、ストーリーについてはよく覚えていない・・・。
この頃、書店に並ぶ文庫はカバーがやけに目立つが、読んでみたいと思うようなものがあまりない。内容にそぐわないカバーデザインで、通俗的な作品ではないかと思ってしまうものもある。
小さな活字、変色した紙、いいなぁ。