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■『源氏愛憎 源氏物語論アンソロジー』編・解説 田村 隆(角川ソフィア文庫2023年)を読んだ。
古典や近現代作家他の源氏評の一部を抜粋して集めた評論集。しばらく前、松本駅近くの丸善で偶々この本を目にして迷うことなく買い求めた。『源氏物語』関連本は出来るだけ読もうと思っているので、やぐらセンサー、もとい源氏センサーが作動したのかもしれない。1000年も前、平安時代に書かれた『源氏物語』は名作という評価ばかりではない。様々な評価があることも名作の証なのかもしれない。
本書はⅠの古典篇とⅡの近代篇から成り、古典篇には現代語訳はないものの、解説文があるので分かりやすい。
平安末期に編まれたという「宝物(ほうぶつ)集」は仏教説話集。本書に次のようなことが掲載されている。
**ちかくは、紫式部が虚言(そらごと)をもつて源氏物語をつくりたる罪によりて、地獄におちて苦患(くげん)しのびがたきよし、人の夢にみえたりけりとて(後略)**(35頁) 紫式部が地獄に落ちた、なんて! ひえ~、びっくり。
『源氏物語』を三度現代語訳した谷崎潤一郎は次のように光源氏を評している。
**源氏物語の作者は光源氏をこの上もなく贔屓にして、理想的の男性に仕立て上げているつもりらしいが、どうも源氏という男にはこういう変に如才のないところのあるのが私には気に喰わない。**(143頁)
まあ、一部を切り取るだけではいけないので、他の人の評論の部分的な引用は控えよう。
近現代篇には15人の源氏評が収録されている。その中では円地文子の「源氏物語の構造」と題した評がもっとも教科書的というか、読んで納得できるものだった。
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「源氏物語」は通俗的でドロドロな恋愛小説ではないか、などという評がもしあるとすれば、それはこの物語の表面的な部分しか、読んでいない、とぼくは分かったような指摘をしておきたい。そんな小説であれば1000年も読み継がれるはずがない。
円地文子は「宇治十帖」を**たいへんよくできた中篇小説で、構成としては正篇よりもまとまっているだろうと思います。**(171頁)と評している。しかしその直後に**正篇がなかったならば、宇治十帖の光彩というものは、極端に薄れるでしょう。**(172頁)と指摘している。
NHKの100分de名著「源氏物語」4回分の再放送(4月7日午前0時40分~)を録画で見た。国文学者で平安文学、中でも「源氏物語」と「枕草子」が専門だという三田村雅子さんが解説していた。三田村さんは物語最後のヒロイン浮舟が好きだと言っていた。浮舟には紫式部の願いが投影されているとも。
『源氏物語』(もちろん現代語訳)をもう一度読む気力は無い。だが、「宇治十帖」は再読してもいいかなと思い始めている。