■ 『豆腐の文化史』原田信男(岩波新書2023年)を読んだ。感想は「すごい!」のひと言。
私の大学時代の恩師は**故事成語に「一を聞いて十を知る」があるが、それとは逆に、一のことを説明するためには十くらいの知識が欲しい。**と説いた(『マナベの「標語」100』彰国社 213頁)。『豆腐の文化史』は、まさにそのように、十を知って一を記述しているのだろう、と思わせるような内容だ。
巻末に掲載されている参考文献・典拠リストは19頁にも及ぶ。数えると1頁に18編くらい掲載されている。だから、総数はおよそ340編ということになる。これら数多くの文献を読み解いて展開する豆腐の発生地、発生時期に関する論考、さらに全国各地を訪ね歩き、その地に伝わる豆腐の製法、調理法などを調査した成果が新書1冊にまとめられている。
本書には豆腐という馴染み深い食品はいつ頃どこで出来て、それがいつ頃日本に伝わり、どのように広まっていったのか、それから現在、日本には豆腐を用いたどのような料理があるのか、詳述されている。**食文化史研究の第一人者による決定版。**と本書カバーの折り返しに記されているが、確かに決定版だと思わせる詳細、緻密な論考だ。
豆腐の起源について、著者の原田さんは文字史料の不在が、その存在を否定するものではない、と指摘。豆腐を酥(そ)と称していたか、あるいは酪(らく)の語をあてていた可能性もあるとしている。なるほど、全く別の呼び方がなされていた可能性も大いにあり得るということは頷ける。
**また随・唐の詩文類にみえないのも、その段階では文人たちの口に入りにくかったという事情があったからとも考えられる。さらには豆腐自体が、漢代から唐代にかけては、かなり地域性の高い特殊な食品だった可能性も考えられる**(35、36頁)と、実に注意深く考察している。
このようなことを受けて、**現在の段階では、豆腐の発生地が淮南付近だったとしても、その時期について断定することは難しい。**(36頁)としている。なお、発生地が淮南(わいなん 黄河と長江の中間域に位置する)付近ということに関しては別のところで論じている。
以上の内容については第2章 豆腐の登場で論じられており、続く第3章 日本への伝来と普及 は章題が示す通りの内容で、平安末期に豆腐が史料上に登場しているものの、**空海(弘法大師、774~835)が唐から、豆腐の技術を伝えたとするのも弘法伝説の一種に過ぎない。**(52頁)としている。私も空海が伝えたという説を信じていたが・・・。
その後の普及のについても多くの史料を示しながら論じている。そして江戸期の豆腐の調理法等の記述は詳しい。本書の内容紹介はこの辺で終りにするが、最後に次のことを記しておきたい。
豆腐を固めるのに使うニガリが軍用機のためのジュラルミンをつくるのに回されたということを知り、驚いた。このことについて、次のように記述されている。**ニガリの主成分である塩化マグネシウムが電気分解によって金属マグネシウムに変化することから、軽量で耐久性も強い航空機用のジュラルミンの原料として注目された。**(161頁)
知らなかった、豆腐がこんな風に戦争と関係していたなんて・・・。豆腐の世界は広くそして深い。